メイキング オブ ゲティスバーグPowerPointプレゼンテーション

Peter Norvig / 青木靖 訳

 

なぜ作ったのか

「彼はこのプレゼンテーションが時間の無駄だということがわからないのか? どうして彼はさっさと何が重要なのかを話し、それで済まそうと思わないんだ?」

こんなのを何度耳にした(あるいはつぶやいた)ことだろう。PowerPointその他の視覚的な資料によって要点がはっきりするよりはむしろ曖昧になってしまっているようなプレゼンテーションをあまりに多く 見せられ、うんざりしている人がどれほどたくさんいることだろう。2000年1月のとあるミーティングでひどいプレゼンテーションをたくさん見せられた後、これに関して私に できることが何かないだろうかと思い立ったのだ。

 

どのようにして作ったか

ホテルの部屋に戻ってから、エイブラハム・リンカーンがゲティスバーグで雄弁の力を使うのではなくPowerPointを使っていたなら、いったいどんな風だったろうかと想像してみた。(ゲティスバーグ演説を選んだのは、それが、たとえばマーティン・ルーサー・キングの「私には夢がある」†なんかに比べてずっと短いということと、 「87年前」のくだりを無駄なグラフに変えるというアイデアを持っていたためだ。) ゲティスバーグ演説のテキストはGoogle検索ですぐに見つけられた。そして私が感じているのと同じフラストレーションを表明しているアーティクルもいくつか見つけた。USAトゥデイのライターであるケビン・メイニーのPowerPoint obsession takes offでは、Sun社内ではPowerPointが禁止されていることを指摘しており、リンカーンを使うアイデアにも触れていた。 「エイブラハム・リンカーンがゲティスバーグ演説でPowerPointを使っているところを想像してみてほしい。『OK、このスライドは87年前の我々の国家を示している』 」。しかし私の知る限りでは、ゲティスバーグPowerPointプレゼンテーションを実際に作って公開した人は誰もいない。(注: ジョン・S・リグデンもまた、Physics Today誌の1990年3月号に書いたアーティクル"The Lost Art of Oratory: Damn the Overhead Projector"の中でゲティスバーグ演説のアイデアを使っていることを読者が教えてくれた。デビッド・ウィッテンバーグとスーザン・ヘスラーは親切にもこの雑誌を私に送ってくれた。) それで私はPowerPointを起動し、 「インスタント ウィザード」を使って新しいプレゼンテーションを作りはじめた。テンプレートには"全社ミーティング"を選び、可能な限りまずいデザインを加えるようにした。インスタント ウィザードは私の要求を驚くほどよく満たしてくれ、ほとんど修正する必要がなかった。スライドのタイトルのうちの4つはテンプレートのものをそのまま使っている。私がやったのは不必要なスライドを削除し、 「課題ではないこと」というスライドを「課題」のスライドの後に追加したことだけだ。

†原文が書かれたのは2003年だが、 このリンクを始め、翻訳時点でデッドリンクとなっているリンクが少なくない。Internet ArchiveにコピーがあるものについてはInternet Archiveを参照するようにリンクを変えている。Internet Archiveにもない場合はリンクの色をにした。

私はプロのデザイナではないので、どうすれば意図した通りになるのか、真夜中に真剣に調べなきゃならないだろうとはじめ思っていた。すごくけばけばしい配色にするために色彩科学を調べ、最悪のフォントが何か知るためにタイポグラフィを調べ、そうやってデザイン全体がほんとにひどいレイアウトになるようにするのだ。しかしありがたいことに、便利なインスタント ウィザードはこれらすべてのことについて面倒を見てくれたのだ! ナビゲーションボタンには濃い色の上に赤を使うように勧め、ものすごく見づらくなるようにしてくれた。日付のフォントにはセリフ体を選択して低解像度のWebモードでは判読できないようにしてくれた。そしてもちろんExcelはグラフで実にうまくやってくれて、新規国家数の0と1の間に0.1刻みの目盛りを勝手に付けてくれた。私がやらなければならなかったのは、リンカーンの言葉を断片にばらして、オリジナルにある主要なフレーズは間違いなく押さえておきながら、全体の流れや力強さやインパクトは完全に消えるようにするということだけだった。

私はその夜に作ったプレゼンテーションを自分のWebサイトにアップして、それについてはすぐに忘れてしまった。しかしそれに目を留めた人もいて、口伝え(それにリンクやemail)で広まっていき、やがて次の表に示すようにまでなった。

ゲティスバーグPowerPointのアクセス数
アクセス 累計
2000 50,000 50,000
2001 115,000 165,000
2002 170,000 335,000
2003 344,000 679,000
    
ゲティスバーグPowerPointの2003年11月における検索順位
検索語 順位
powerpoint presentation
(PowerPoint プレゼンテーション)
1
presentation
(プレゼンテーション)
2
powerpoint
(PowerPoint)
6
gettysburg address
(ゲティスバーグ 演説)
3

このプレゼンテーションについて早い時期に言及しているのは、ダニエル・ダーンのニュースレター(彼はByte.comの編集責任者だ)、memepoolフィリップ・グリーンスパンビル・セントクレアGadwellグループなどだ。ポール・E・シンドラーはこう書いている。 「OK、今週のおすすめサイトはどれも見に行く価値があるが、しかしこれはとりわけそうだ。『我々がやらないこと』(原文のまま)として、箇条書きで『捧げる。清める。神聖にする』と書かれている。これは可笑しい。ボブ・ニューハートが活動を今日から始めていたら、PowerPointを表現手段に使ったんじゃないかしら?」 ニューハートになぞらえてもらえたのはすごい名誉だ(それからポールが彼のおすすめリストを 「シンドラーのリスト」と呼ぶ誘惑に抵抗してくれたのはありがたい)。ジェリフ・ガリは「こんなに笑ったのはロベルト・ベニーニのIl Mostro以来だ」と書いている。 タフティはこれを「破壊的で皮肉なPowerPointを作る切り札」と呼んだ。

それからビジュアルインタフェースデザインの世界に君臨するグルであるエドワード・タフティ†が、Stonybrookの誰かからこのことについて聞きつけ、セミナーで引用しても構わないかと聞いてきたので、私は喜んで それを認めた。

†Tufteの発音がタフトでなくタフティであることを、著名なUIデザイナである増井俊之氏に教えて頂いた。

2000年11月20日、オリジナルのゲティスバーグ演説から137年と1日の後、ウォールストリートジャーナル 紙のトム・ウェバーがユーザインタフェースデザインについての記事(登録要)を書き、Webと今日的な話題である投票用紙のデザインについて扱っている(バタフライ投票用紙と子持ちの穿孔くずのことは覚えている?)。ウェバーはいつもの顔ぶれの タフティ、ドナルド・ノーマンヤコブ・ニールセンを引用しているが、さらにカッコ付きのコメントの中でこう書いている。 「リンカーンのゲティスバーグ演説がPowerPoint形式に押し込まれたらどんなにおかしなものになるか見たければ、Peter NorvigのWebサイトwww.norvig.comに行くといい。『人間はみな平等に創られている』というのが退屈な箇条書きの1項目になっているのだ 」。ウォールストリートジャーナルの読者というのが早起きな連中であるということを私はすぐに知ることとなった。東部時間で朝の7時に私のWebサイトへのアクセスが殺到し始めた。アクセスに圧倒されて私のサイトが落ちたのはそれが最初で最後だ。幸いミラーサイトをすぐにセットアップすることができた。

私が多くの人の琴線に触れたのは明らかだった。(私が本当に驚いているのは、多くの人がそれを見たというだけでなく、8割の人が6枚のスライドを最後まで見ていたということだ。専門家によれば、2枚目のスライドを半数の人が見るというのさえあまりないことなのだ。) 私の即座の反応は、私には隠れた才能があるんじゃないかしら、といいうことだった。きっとまずいデザインに関するイデオサバンなのだ。それからまた、ロサンゼルスで 映画The Big Pictureを「業界」の人間であるゲリーとレイチェルといっしょに見に行ったときのことを思い出した。まずい学生映画のシーンで始まるThe Big Pictureは私のような素人の観衆にも楽しいものだが、業界のインサイダーにはものすごくおかしく、彼らにはそこであらゆるルールが破られているのがわかるからだ。私もまたあらゆるルールを破ることに成功したが、その仕事のほとんどはインスタントウィザードがやってくれたのだった。

 

リンカーン、タフティ、ファインマンの幽霊と向かい合う

2002年6月のことだが、私はワシントンにいて何時間が時間が空いたので、リンカーンメモリアルに行くことにした。私はそれを見たことがなかったのだが、一度見に行くべきだろうと思っていた。何しろ私はゲティスバーグ演説の権威になってしまったのだ。一言言っておくと、自分の言葉をPowerPointに入れるか、それとも30フィートの大理石像に刻むか選べるなら、私は大理石の方を選ぶ。

2003年5月に、タフティが私のプレゼンテーションを含むPowerPointについてのエッセイを出した。これでまた記者たちからたくさんの電話を受けることになり、その中には私がコラムを書いたことのあるLancetの記者もいた。2003年12月には、 タフティのセミナーに出て参加者たちと少し話すことができた。私は自分の経験とタフティの話の間にいくつか類似点があることに驚い た。タフティはチャレンジャー号とコロンビア号の事故調査委員会のことについて話したが、私のプレゼンテーションは火星プログラム委員会に対するフラストレーションが出発点になっていた。 タフティは 「リチャード・ファインマンはどうやってるか?」ということを有用なガイドラインとしていて、私は自分の委員会の中でファインマンのように核心をつく唯一のメンバーである優れたエンジニアのボブザックハイムのことを思い出した。私たちのチームは火星気象衛星が失敗したときに何が起きたのかという(比較的簡単な)疑問をかなり良く解明したが、そのあと進行中のミッションであるマーズ・ポーラー・ランダーで安全の確保をどうするかについてのすごく退屈なPowerPointプレゼンテーションを最後まで見ることになった。最初のコーヒーブレークの後、ボブがいなくなったことに私は気付いた。後になって彼を見つけたとき、 「ボブ、1日中どこに行っていたんだ?」と聞くと、彼はこう答えた。「あのミーティングはくだらないから抜け出してホールをうろついていたら、[ロッキードにいる]古い友人に会ったので、彼と[ランダーの]推進力チームのところに行って、彼らのデザインについて話し込んでいたんだ。それでフィードラインヒーターに潜在的な問題があるのを見つけた。プリコンディショニングパルスを使えば安全性の確認ができると思う 」。それで私は「へえ、ボブ、抜け出してそんなことをやっていていいとは知らなかった。私もソフトウェアチームに対して同じことをやる必要があると思う」と言った。私には古い友人はいなかったが、ロッキードの降下着陸チームにいるソフトウェアエンジニアを2人捕まえて半日ほど話をした。悔やまれるのは、MPLミッションの失敗の原因と考えられるハードウェア/ソフトウェアの欠陥をそのときには診断できなかったということだ。それでも私がそれをやってみたのは、ファインマン張りのルール破りをするザックハイムがいたからだ。

 

さらにメディアで取り上げられる

このプレゼンテーションは今でも時々Webサイトやブログで取り上げられている。たとえばElectricfrogドク・サールズ(彼自身プレゼンテーションについてすばらしいアドバイスをしている)、SlateFark (Fark経由のアクセスが39,000あった)、TextismArts & Letters Dailywhatreallyhappenedアーロン・シュワルツblogspot、ダニエル・ピンクのjustonething、そのほか。私は言語学の授業でフィンランド語が多総合的言語であることを教わったが、このフィンランド語のサイトを見て実際"Powerpoint-esitysgrafiikkaohjelma"みたいな単語があるのがわかった。

出版物でも取り上げられている。FORTUNE誌のトーマス・A・スチュワートによるアーティクル"Friends don't let friends use PowerPoint"、ニューヨーカー誌Digital Ageエディションの2001/5/28号、パメラ・オコネルのニューヨークタイムズ紙のコラム(彼女は私の「最長の 回文」についても以前に書いている)、ジョン・ノートン がガーディアン紙に2003年12月21日に書いた文章(これ を「Web上に現れたもっともきつい皮肉」と呼んでいる)、レイチェル・コンラッドの2003年12月27日のAPのアーティクル(その中で私はデビッド・バーンの助演をするという人生に一度のチャンスを得た)。それからローラ・リーのPocket Encyclopedia of Aggravation(腹立たしいもの事典)に``potholes''(洞窟探検) と ``road rage''(交通渋滞)の間で出たことも喜びだった。

 

Email

何百という人たちが私に素敵な言葉を書き送ってくれ、また、何十人という人がこのプレゼンテーションを授業や自分のプレゼンテーションの中で使わせてほしいと言ってきた。私はシェリー・カーニーのReading Great Speeches, Making Great Speechesが特に好きだ。このプレゼンテーションをグラフィックスで 「改善」したバージョンを送ってきた人もいた。ナレーションを付けたいという会社もあった。ラファエル・セナによるマクロメディアバージョンや、良くできた独立宣言版もある。次に挙げるのは私の一番のお気に入りのメールだ。

ああ、大失敗したよ。私はそれがエイブラハム・リンカーンのでっち上げのメー
ルアドレスだとばかり思って、president@whitehouse.gov宛てにメールを出し
てしまった。ビルとヒラリーがユーモアのセンスを持っていてくれたならいい
んだけど。

親愛なるエイブラハム、ちょっとした画像とか版画とかペンのスケッチを入れる
と、趣が出るんじゃないかと思う。それから配色が少し変だね。どうしてユニ
オンブルーを使わないの? まあ、君も言っているように、世界は君の言ったこ
とを記憶してはいないだろうけどね。それじゃあ、お元気で。

--NLM

p.s. 今やってるOur American Cousinの舞台は見た? すごくいいらしいよ! メ
アリーと子どもたちによろしく!

読者の反応の中でネガティブなコメントはたった2つしかなかった。1つはこのページの最初に引用したやつで(「彼はこのプレゼンテーションが時間の無駄だということがわからないのか? どうして彼はさっさと何が重要なのかを話し、それで済まそうと思わないんだ?」)、もう一つは次に挙げるものだ。

これは高校の課題か何かなのだろうか? プレゼンテーションがもっと見やすく
なるように誰かレビューしてあげるべきだ。印刷物であれば黒地に赤い文字は
映えるが、コンピュータの画面ではそうはならない。とても読めたものじゃな
い。

まあ誰かが言ったように、みんなを同時に騙す(あるいは喜ばせる)ということはできないのだ。

 

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オリジナル: The Making of the Gettysburg PowerPoint Presentation