いくつの人生を生きられるのか (TED Talks)

Sarah Kay / 青木靖 訳
2011年5月

私はお月様を見ている
お月様は私を見ている
お月様は私の見てない誰かを見ている

神様はお月様を祝福する
神様は私を祝福する
神様は私の見てない誰かを祝福する

私が先に天国に行ったら
あなたを引っ張り込む穴をあけるから
星の1つひとつに あなたの名前を書くわ
そしたら世界は そんなに遠く感じなくなる

宇宙飛行士は 今日は仕事に行かないだろう
病欠すると電話していたから
携帯もパソコンもポケベルも目覚ましも切って
彼のソファでは黄色い太った猫が眠っている

雨粒が窓を流れ
キッチンには コーヒーの気配すらしない
みんな取り乱している
15階のエンジニアは粒子加速器を使うのをやめ
反重力室が漏っている
ゴミを出すことだけが仕事の
そばかす眼鏡の男の子でさえ
不安になって ゴミ袋を取り落とし
バナナの皮と紙コップがこぼれ出たけど
誰も気付かない

これが失われた時間に どう関係するのか
計算し直すのでみんな忙しい
毎秒いくつの銀河が失われているのか
次のロケットを どこかに打ち上げるのに
どれだけ時間がかかるのか
電子がエネルギーの雲を吹き散らし
ブラックホールが爆発し
お母さんが晩ご飯のしたくを終え
『ロー&オーダー』マラソンが始まる

宇宙飛行士は眠っている
切り忘れた腕時計が
鉄の鼓動のように手首で時を刻んでいる
彼には聞こえていない
珊瑚礁とプランクトンの夢を見ているのだ
彼の指が枕カバーのマストを見つけ
寝返りを打って 一度に目を開く
スキューバダイバーが世界で一番素敵な仕事に違いないと思う
滑り込める水が あんなにもあるんだから

(拍手) どうも。小さい頃、私は1つの人生しか生きられないということが理解できませんでした。比喩としてじゃなく、文字通り私は思っていたんです。為されるべきことすべてをやり、あるべき存在すべてになるのだと。ただ時間の問題であって、年齢や性別や人種や時代さえ制限にはならないと思っていたんです。それがどんなものか、実際に経験することになるものとばかり思っていました。市民権運動の指導者や、ダスト・ボウル時代の農家の10歳の男の子や、唐の皇帝。母から聞いた話だと、将来何になりたいかと聞かれると、私は「お姫様バレリーナ宇宙飛行士」と答えていたそうです。母が分かっていなかったのは、私は何か新しいすごい職種を作り出そうとしていたのではなく、自分がなるであろうと思っていたものを列挙していたということです。お姫様と、バレリーナと、宇宙飛行士です。このリストはたぶんもっと長かったのを、そこで切っていただけです。なれるかどうかに疑問はなく、それがいつかだけが問題だったのです。もしあらゆることをするのであれば、素早く立ち回らなければならないはずで、しなければならないことは山ほどあります。だから私の人生は常に駆け足でした。いつも遅れはしないかと怖れていました。ニューヨークに育った人間には、駆け足なのはごく普通のことだと思いますが。でも成長するにつれ、ただ1つの人生しか生きられないと理解するようになりました。つまりニューヨークの10代の女の子であって、ニュージーランドの10代の少年でもなければ、カンザスのミス学園祭でもありません。私は自分のレンズを通してだけ見ることができるのです。その時から、ストーリーに惹かれるようになりました。他の人のレンズで見られるのは、ストーリーを通してだからです。それがどんなに短く不完全であったとしても。私は他の人の体験談を聞きたいと強く思うようになりました。私の生きることのない人生をうらやましく思い、自分の見逃したすべてについて聞きたいと思ったのです。そして視点を変えたとき、気が付きました。ニューヨークの10代の女の子がどんなものか、けっして体験することのない人々がいるということに。それはつまり、ファーストキスの後地下鉄に乗っているのがどんな感じかも、雪になった時どれほど静かなものかも知らないということです。教えてあげたい、という思いに取り付かれました。そしてストーリーを語り、共有し、集めることに忙しくしていました。でも詩は急いでできるものではないと、最近になって気が付きました。4月に全米詩月間があって、詩のコミュニティに属す多くの人がその課題に挑戦しました。「30/30チャレンジ」です。どういうものかというと、4月の間中、毎日新しい詩を書くんです。去年初めて参加して、詩をすごく早く作れることに興奮しました。でもその月の終わりに、自分の書いた30篇の詩を振り返った時、それが語ろうとしているのがみんな同じストーリーだということに気付きました。そのストーリーが語られるのを望む形を見つけようと、30回やり直していただけです。このことは、もっと大きなスケールで、他のストーリーでも同じだと気付きました。何年も語ろうと試み続けてきたストーリーがあって、何度も何度も書き直しては、絶えず正しい言葉を見つけようとしているのです。フランスの詩人でエッセイストのポール・ヴァレリーは、「詩というのは完成することがなく、ただ放棄される」と言いました。これは怖く感じます。好きなだけ推敲し書き直し続けることができ、詩をいつ完成し歩み去るかを決めるのは、ただ自分にかかっているということだからです。これは正しい答え、完璧な言葉、適切な形を見つけようとする私の偏執的な性質に、真っ向から反することです。私は詩を、自分の人生を舵取りし導いていく助けとして使っています。でも詩を書き終えるというのは、自分の取り組んでいた問題が解決したことを意味しません。昔書いた詩に立ち戻るのが私は好きで、その時自分がどんなだったか、はっきり見せてくれます。その時自分がどう切り抜けようとし、どんな言葉を助けとして選んだのか。私が長年引きずり続けてきたストーリーがあります。果たして完璧な形を見つけられたのか、それともこれは単なる1つの試みで、もっと良い語り方を求め書き直すことになるのか分かりません。でも、後で振り返った時に、自分がこの瞬間どこにいてどう切り抜けようとしていたのか、きっと分かるはずです。そう、この場所で皆さんと一緒にです。

(カメラを出して) じゃあ、笑って。

いつもこんな風にいくわけじゃなかった
手を汚さなければいけないときもある
暗がりの中にいたら
たいていは 手探りが前提で
もっとコントラストが もっと彩度が
もっと暗い暗さ もっと明るい明るさが必要だ

長時間現像と言っているけれど
それはつまり 長い間化学薬品を吸い込み
腕まくりするということだ
いつも簡単とは限らない

スチュアートおじいちゃんは海軍のカメラマンだった
若く 赤ら顔で 腕まくりをして
手の指は太いコインの束のよう
『ポパイ』を実写版にしたみたいな
しかめたような笑顔と ふさふさの胸毛をして
にやにやしながら 第二次世界大戦に趣味でやってきた
写真について詳しいか聞かれたとき 嘘をついて
ヨーロッパを地図みたいに読む方法を学んだ
逆さになって 戦闘機の高みから
飛行機の高みで カメラが音を立て
目をしばたたかせる
闇の中の闇 光の中の光
帰り道を読めるよう戦争を学んだのだ

他の人たちは戦争が終わると武器を置いたのに
祖父はレンズとカメラを持ち帰って
店を開いて家業にした
父はこの 白黒の世界に生まれた
バスケ向けの手で細かな操作を学んだ
レンズをフレームに
フィルムをカメラに
薬品をプラスチック容器に

父のお父さんは 道具は分かっていても
アートは分かっていなかった
闇は分かっていても
光は分かっていなかった
父は魔法を学んで
光を追いかけるのに時を費やした

ある時 国を横断して
カメラ片手に1週間
山火事を追いかけたことがあった
「光を追うんだ」と彼は言った
「光を追うんだ」と

私には 写真からだけ分かる部分がある
ウースター通りにある
廊下が軋む建物のロフト
4メートルの天井に
白い壁と冷たい床
それが母の家だった
母が母になる前の
妻になる前 母は芸術家だった
家の中でたった2つの部屋だけが
天井までちゃんと届く壁と
開閉する扉があって
それがお風呂場と暗室だった

暗室は母が自分で作った
特製のステンレスの流しと
大きなクランクで上下する
8x10判の引き伸ばし機
色を調整した照明と
印画紙を見るための白いガラス板
壁から出し入れできる乾燥用の棚
母が自分で据え付けて
自分の居場所にした

バスケ向きの手をした 光の見方を知る男と恋に落ちて
2人は結婚し 子どもができ
公園の近くの家に越した
でもウースター通りのロフトは
お誕生会や宝探しのために取って置いた

赤ん坊はグレースケールを変え
両親の写真アルバムを
赤い風船や 黄色いアイシングで充たした
その赤ちゃんは そばかすのない
しかめたような笑顔の女の子へと成長した
その子は友達の家に暗室がないのを不思議に思っていた
両親がキスするのを見たことがなく
両親が手を繋ぐのを見たことがなかった

ある時 別の赤ちゃんが現れ
その男の子は完璧にまっすぐな髪と
風船ガムのほっぺをしていて
スイートポテトと名付けられた
笑う時に大きな声で笑うので
非常階段のハトを驚かせた

4人は あの公園の近くの家に暮らしていた
そばかすのない女の子と
スイートポテトの男の子
バスケットボールのお父さんと
暗室のお母さんが
ろうそくを灯してお祈りをし
写真の隅が丸まった

ある時 塔が倒れて
公園の近くの家は 灰の下の家になり
みんなで逃げ出した
リュックで背負われ 自転車で 暗室へと
でもウースター通りのロフトは芸術家向けで
お人好しの家族向きではなく
壁は天井に届かず
泣き声を閉じ込められず
バスケ向けの手の男は 武器を置いた
彼はこの戦いを戦うことができず
地図は家を指してはいなかった
彼の手はもはやカメラに合わなくなり
妻の手に合わなくなり
体に合わなくなった
スイートポテトの男の子は握り拳を口に押し込んで
もう何も言えないようにしたので
そばかすのない女の子は
1人で宝探しに行った

ウースター通りの廊下が軋む建物の
4メートルの天井のロフトにある
流しの多すぎる暗室の
色を調整した照明の下で
女の子はメモを見つけた
画鋲で壁に留められた
塔が倒れる以前の
赤ん坊が生まれる以前の
そのメモには
「男は間違いなく暗室で働く女を愛している」
と書かれていた

それは父が再びカメラを手にとる1年前だった
初めて取った休みにクリスマスの光を追い
ニューヨークのツリーを点々と繋ぐ
小さな光が 瞬いていた
彼の内から 闇の中の闇から

1年後 彼は国を横断し
山火事を追った
1週間に渡り カメラを手にして
火事は西海岸に被害をもたらし
18輪トラックを飲み込んだ

国の反対側で 私は教室でノートの隅に
詩を書いていた
私たちは どちらも捉える術を学んでいたのだ
あるいは私たちは 受け容れる術を学んでいたのかもしれない
あるいは私たちは 忘れる術を学んでいたのかもしれない

 

ありがとうございました (拍手)

 

Tweet このエントリーをはてなブックマークに追加
home  rss  

オリジナル:  Sarah Kay: How many lives can you live?