フロンティアはどこにあるか (TED Talks)

Reid Gower / 青木靖 訳
2011年11月12日

フロンティアとは何でしよう? それが思い起こさせるのは、人類とか、地球とか、文明といったもので、それもすごく野心的な文脈で捉えた姿です。未来と人類文明の交わりの中に大いなる挑戦を見るのです。しかしフロンティアについて最初に気付くのは、必ずしも未来に目を向ける必要はないということです。我々はフロンティアを生きているという実感があるからです。多くの人は、現代はことさら興味深い時代ではなく、昔の人も自分の時代を我々と同じように見ていただろうと仮定しています。しかし私は、我々が生きているのは人類史上特別な時代だと思います。地上初のことが近年どれほど多く起きているか考えてみてください。ほんの1世紀ばかり前、ライト兄弟は危うげに地上を離れ、12秒間飛行しました。地球で生命が40億年の歳月をかけ、テクノロジーによって空を飛ぶ種を進化させたのです。その42年後、ニューメキシコの砂漠で我々は原子力時代に突入しました。そしてそのほんの24年後に、我々はか弱いほ乳類の体をロケットにくくりつけ、月へと辿り着いたのです。かつては人類の進歩は何千年、何万年という単位で計られていました。それが今や、人類初の飛行、大量殺戮兵器、宇宙探査、動物のクローン、インターネットがすべて、人の一生の時間で実現されています。たったの66年で、飛べさえしない段階から、月へ降り立つまでになったのです。夢と現実を隔てる距離がものすごく縮まり、夢の実現にすっかり浸れるようになりました。フロンティアがあるのは明日ではなく、今なのです。

しかし人類の進むスピードが加速するにつれ、問題も出てくるようになりました。地球温暖化と持続可能なエネルギーは、我々が直面している大きな技術的問題の例です。しかし前世紀が示しているのは、人類は技術的困難の解決にとても長けているということです。だから私は人類の発明の才には不安を持っていません。私が懸念するのは、大きな課題が求める社会的、政治的、経済的意志の有り様です。それで私は惑星規模の問題への社会的関心の喚起を使命とするようになりましたが、これにはカール・セーガンの影響がありました。カール・セーガンは宇宙物理学者で、一般の人に科学を広めることに熱心でした。そして1980年に「コスモス」という画期的なテレビシリーズを制作しました。当時、彼は他の科学者たちから、テレビに出て売り込んでいるということで批判されていました。でも彼はメディアが社会に及ぼしうる力を理解していたのです。31年たった今日、コスモスはPBSで最も多く視聴されたテレビシリーズであり、多くの人に影響を与え、番組に触発された科学者の世代を生み出しています。しかし今日の視聴者には、その古さゆえに十分浸透しているとは言えません。幸いセーガンはもう1つ「惑星へ」(Pale Blue Dot)という素晴らしいオーディオブックも作っていて、彼の生で詩的な言葉をデジタルの形で残しています。それが私のプロジェクトの出発点になりました。私はこの本の1章1章を精読して短い語りを抽出し、それを新しい音楽や映像と組み合わせ、「セーガン・シリーズ」と名付けました。惑星的な視点を人々に広める道のりは長いですが、第一歩です。これが多くの人を触発し、皆さんにも楽しんで頂けることを願っています。

(映像) 人類はかつて狩猟採集者だった。あらゆる場所がフロンティアだった。人類を遮るものは、大地と、海と、空ばかり。どこまでも続く道がやさしく誘っている。水と陸からなる我々の小さな星は、あの千億ある世界の中でも混乱に満ちた場所だ。

自分の故郷の惑星すらちゃんとできず、争い合い、憎み合っている我々が、宇宙へと乗り出していくべきなのだろうか? 一番近い惑星系に移り住む準備ができる頃には、我々は変わっているだろう。幾世代もの経過が人類を変えるだろう。必要が人類を変えるだろう。人類は順応できる種なのだ。ケンタウルス座アルファ星や近くの恒星に辿り着く者は、我々ではないだろう。我々にごく似た種だが、我々の強みをもっと多く持ち、弱みはもっと少なく、もっと自信に満ち、先見の明があり、有能で良識的なことだろう。我々のあらゆる欠点や限界、間違いの犯しやすさに関わらず、人類には偉大になれる力がある。

我々の時代には夢にも思わなかったどんな新しい驚異を、次の世代は成し遂げることだろう? さらに次の世代は? 次の世紀の終わりに、この放浪的な種はどこまで辿り着いていることだろう? そして次の千年紀には? 我々の遙かな子孫たちは太陽系やその外の世界に安全に広がりつつ、繋がりを保っていることだろう。共有する遺産によって。故郷の惑星への想いによって。そして他の生命はどうあれ、全宇宙で人類だけが地球からやってきたのだという知識によって。

彼らは空を見上げ、目を凝らして青い小さな点を探しては、驚きの念に打たれることだろう。我々の力が、かつてどれほど貧弱なものであったことか。我々の幼年期が、いかに危険に満ちたものであったことか。我々の始まりが、いかにちっぽけなものであったことか。道を見出すまでに、幾多の川を越えねばならなかったことか。

[フロンティアはどこにでもある]

 

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オリジナル:  Reid Gower: Defining the Frontier