ランディ・パウシュの近況

2006年9月、私はすい臓がんと診断された。私と家族を助けてくれた人たちみんなに感謝している。

このページを初めて見る人は、この冒険についての短い要約が ここにある。この要約の中国語訳はここに 。

中国のチーム(連絡先: Tao Yuting)がこのページを中国語訳してくれた - ありがとう!  Lichao ChenとKathy E. Jiangがしてくれたもう1つの中国語訳がある。ドイツ語訳はLisi Drinerがしてくれた(ありがとう!)。

 

2008年7月25日
ランディが今朝亡くなりました。すい臓がんの合併症が原因です。カーネギーメロンによる告知記事がここにあります。

 

2008年7月24日 がんが進行している
先週行った生検により、最近のPETスキャンの結果で想像していよりもがんが進んでいることがわかりました。先週以来ランディは一歩後退し、病状はこれまでになく重い状態にあります。現在はポスビスに入っています。彼はもはやこのページを自ら更新することができないため、私が友人として彼に代わって更新しています。たくさんの人たちがこの場所を見守っているのが分かっているからです。

 

2008年6月26日 ゆっくりとだが、引き続き回復している

引き続きゆっくりと回復している。化学療法には蓄積的な効果があり、深く使うほど回復に長くかかる。

私たちの現在の考えは、これ以上の化学療法は賢明でないということだ。現時点で可能な化学療法はほとんどすべてが私を弱らせ/病気にするため、腫瘍の動きを遅らせることができたとしても、それがいいトレードオフなのかどうか明らかではない。

今は免疫療法をベースとした方法に絞っており、こちらは副作用がほとんどない。進展があればまた知らせしよう。

ボックススコア:

クレアチニン(腎臓機能): 2.2

CA19-9 (腫瘍マーカー): 1400

血圧: 120 / 70

体重: 64

 

6月21日 連邦議会議事録

去年の秋に議会で証言したとき、ロイバル=アラード議員が私の対応をしてくれたが、今回この過分な記事を連邦議会議事録に載せてくれた。

健康面では、私は力を取り戻しつつあり、十分に回復したら新たな治療を試みるつもりだ。


ランディ

人生の最も困難な時においても、あなたは感じのよい洞察力あふれる教師であり続けています。あなたの与えてくださった教えとインスピレーションに感謝しています!

ルシール・ロイバル=アラード議員(カリフォルニア34区)

 

2008年6月15日 素晴らしい父の日

パウシュ家では素晴らしい1日だった。子供たちが私のために絞り染めのシャツを作ってくれた(注意! 絞り染めは体につくとなかなか消えないよ!)  近いうちに写真をアップするつもりだ。

健康面では、前回の化学療法から徐々に回復している。先週木曜のPETスキャンはがんが拡がり続けていることを示していたが、拡がるスピードは依然本来より抑えられており、これはいいことだ。

 

2008年6月10日 ブッシュ大統領からの手紙

本物かどうか確認する手段もなければ、疑うべき理由もないのだが - 最近こんなものを受け取った(クリックすると拡大する)。

 

2008年5月28日 化学療法が不調

3日間38度を超える熱を出し、たくさん吐いて、5、6日は具合が悪くてベッドを出られなかった。言うまでもないが、今回の化学療法はいい取り合わせではなかった。振り出しに戻る…

 

2008年5月20日 化学療法再開

今日は新しい投薬を試した(エルビタックス + イリノテカン)。血圧はうまくコントロールできているので、試せるだけの体力はあると判断したのだ。

 

2008年5月18日 完璧な1日!

誰もがその人生においてこんな完璧な日を持つべきだと思う。カーネギーメロン大学は卒業式でジェイと私をピッツバーグに呼んでくれた。私は式の最後に卒業生への説示を述べる栄誉を与えられた。天気さえもがこの日を完璧なものにしようとするかのように、式が始まる直前になって太陽が雨雲を破って現れた。私はまたSCSとETCの学位授与式でも短いスピーチをした。古い友達や同僚みんなに会えて本当に良かった。招待されて心動かされる経験ができた。
私の3分間のスピーチと、ドラマチックなエンディングはこちら ---------------->

 

2008年5月13日 ゆっくりと体力が回復している

しばらく更新せずにいて申し訳ない。単にあまり書くことがなかったのだ。大方は休息と体力の回復に努めていた。今日は最近では一番体調がいい。2時間ほど午後に昼寝をしたが、 あとは一日中起きて動き回っていた。

ボックススコア:

クレアチニン(腎機能): 2.8

CA19-9 (腫瘍マーカー): 634

血圧: 135/85

 

2008年5月10日: ブルルーン!

母の日の贈り物として、ジェイと地元のホテルに一泊し、彼女は朝9時まで寝ていることができた。3人の小さな子供の母親には滅多に出来ないことだ!

私たちはそれから「キットカー」65年型シェルビー・コブラに乗ってドライブした。

 

2008年5月2日 がんが拡がる

昨日の断層撮影の結果、ごく小さな(5ミリ以下の)転移が肺と胸のリンパ節に見られた。また腹膜と後腹膜(大まかに言うと腹の内側)にも転移があった。

これは残念な結果ではあるが、遅かれ早かれ起こることはわかっていた。そして予想されていたのよりもずっと遅らせることができたのはありがたいと思っている。

現在の戦略は心機能と腎機能の障害からの回復を続け、体力が十分回復したら、肝臓の腫瘍と肝臓以外の腫瘍の相対的な広がりの程度に応じて、SIRスフィア(放射線療法の一種)か全身的な化学療法を行うというものだ。

 

2008年4月27日 依然回復中

ゆっくりと力を取り戻す過程にある。血圧を低く抑えられるようになれば、血圧療法を再会する。これは疲労感の主な原因になっているものだ。

腫瘍マーカーの値を心配してくれる人がいる。確かに上昇はしているが、最後にはおそらく5,000以上になるだろうから、まだまだそんなに気にすることはない!

ボックススコア

クレアチニン(腎機能): 3.1

CA19-9(腫瘍マーカー): 404

血圧: 130/82

 

2008年4月19日: 最近の通院と健康状態

家で試合のスコアを付けている人のために、本日のボックススコアを挙げておこう。

今回は鬱血性心不全からの回復がずっと早い(きっと上達したということなのだろう)。まだ恐ろしく疲労感があるが、今日はほとんどベッドの外に出ていた。

大好きな二人、MR・ケルシーとジェシカ・ホジンズが来てくれた。すごく楽しくて気分が高揚した!

ボックススコア

クレアチニン(腎機能): 3.2

CA19-9(腫瘍マーカー): 295

血圧: 134/88

 

4月18日 私が気にかけているのは最初の3部だけ・・・

出版社のハイペリオンが素敵な額を送ってくれた・・・私たちの本がベストセラーの1位になったそうだ (これはジェフリー・ザスローの手柄だ)。

ハイペリオンは発行部数が200万部くらいになると言っているが、私が気にかけているのは最初の3部だけだ。

 

 

2008年4月16日 薬壜の素晴らしいデザインに感心する

左の写真は私が現在摂っている薬だ。全部揃えるのがすごく大変だ。

Target社のユニークなデザインには本当に感心している(右の写真を参照)。この壜は大きく平らなキャップを下にして立てるようになっていて、ラベルの文字は可能な限り大きくしてある。これは「良いデザインは世界をより良い場所にする」ことのいい例だ。

 

4月15日 クロエとシンディー・ルー・フー


クロエとシンディー・ルー・フーが双子みたいに似ていると教えてくれた友人のジャックに感謝!

 

2008年4月15日 心不全 第二弾

うえっ。昨日心臓専門医のところに行ったら、心不全が再発しているのがわかった。私の「駆出率」(心臓の出力)は30%にまで下がっていた。

いいニュースは、24時間後には彼らの治療のおかげで私の血圧は正常な範囲内に戻ったということだ。それに利尿剤で水分にして2キロ体重が減った。どちらも疑いなく原因となっていたものだ。病院にまた逆戻りするほど深刻な事態ではないし、速やかに回避できると期待している。大きな問題といえば、血圧治療は体が疲れ切ってしまうことだ。

 

2008年4月12日 メリーランド大学でSIRスフィアに適格と判断される

木曜日を一日中メリーランド大学で過ごし、素晴らしい医師たちと会った。そしてこの治療を受けられることになった。

ジェイと私で、治療を始められるだけの体力を回復するのにどれくらいかかるか判断する必要がある。

それから写真は本文とは全然関係ない。ただクロエのいい写真だと思っただけだ!

 

2008年4月11日 ロビンが聖火を持って走った!

がん患者仲間であるロビン・ルオ(下を参照。彼女は「部屋の中の象」を手に入れた子だ)がオリンピックの聖火ランナーを務めた。素晴らしい!

 

2008年4月9日 次のステップに進む準備が整う

まだ自転車に乗れるほどではないが、旅行して治療を進められるくらいには体力が戻った。明日は一日メリーランド大学でSIRスフィア治療の候補者として評価を受ける。

基本的には、この治療ではイットリウム90で放射線を帯びているたくさんの小さな球(髪の毛よりも太さよりも小さい)を肝臓に流れ込む動脈に注入する。これらの球は腫瘍に集まり(直感的にはわからないが、そうなる)、血流を妨げるとともに放射線を浴びせる。

 

2008年4月8日 本の発行とメディアの騒乱

今日、例の本が出た。ありがたいことに多くのメディアが取り上げてくれている。

ダイアン・ソーヤーが明日(水曜)夜10時にABC放送で特別番組をする。私が実際どんな人間か知ってる人たちは、きっとテレビに向かってトマトを投げつけることだろう ;-)

 

2008年4月2日 戦いに戻る

ボクシング好きの言い方をすると、心腎機能不全以来の何週間かは「スタンディング・エイトカウント」だった。見事にノックダウンされ、立て直すまでに時間がかかった。今は自分の足で立っていられる。まだふらふらはするが、戦える準備ができた。

昨日のCTとMRIスキャンの結果、11番目の新しい(小さな)腫瘍ができ、前からあった10個の腫瘍も少し大きくなっていたが、ほんのわずかだ。一番大きな腫瘍で2.5センチある。6週間の間化学療法をしていなかったことを思えば小躍りするくらいの知らせだ。

1) 化学療法を止めて以来恐れていたようにがんがものすごい勢いで拡がりはしなかった。

2) 腫瘍はすべて肝臓にあるため、肝臓専用の治療法が使える。

私はこれを回復室で書いている。がん細胞の生体検査を受けたところなのだ。サンプルはアリゾナのTGENに送られて、どの化学治療薬が私の腫瘍に最も効果的かを調べることになっている。

次のステップはたぶんセラスフィアによる塞栓治療になるだろう。これは肝臓専用の治療法で、副作用がごく小さく、全身的な化学療法みたいにうんざりするものではないとのことだ。

戦いは再開し、私は力を取り戻している――1週間かそこらでまた自転車に乗れるようになることを期待している。

 

2008年3月30日 ポルポトにできなかったことを、すい臓がんがやった

今日、キリングフィールドの話の元になった英雄ディス・プランがすい臓がんで亡くなったことをニュースが伝えていた。詳しいことはここに書かれている。

ポルポトのクメール・ルージュもプラン氏を殺せなかった。

しかしすい臓がんは、診断からたった3が月で彼の命を奪った。

 

2008年3月29日 だいぶいい

体力が確実に回復している。毎日ベッドで過ごす時間が短くなり、より「人間らしく」感じられるようになっている。医師は、おそらく2週間の内に、検査と治療を次のステップへと進められるだけの体力ができるだろうと言っている。もう一つ良いこととして、私のケースでは腫瘍の活動と強く相関するCA19-9血液マーカーの上昇が緩やかだということがある。

これは最近のCA19-9の値だ。
2月29日: 94
3月14日: 103
3月21日: 170
3月27日: 216

私の腫瘍が株だとしたら、「買い」だと評価されるところだ ;-)

 

2008年3月26日 遅々としているが、勇気づけられる知らせ

この何週間かはきつかった。一日中ほとんどベッドの中にいてエネルギーを温存する必要があったが、これは私には不自然なことだった。疲労感は苛立たしいばかりだ。しかし、ごくゆっくりではあるが、毎日体力を回復し始めている。

火曜日に心臓病医のところに行ったが、いいニュースがあった。心エコー図は私の心臓機能が確実に回復し、25%まで下がっていた「駆出率」(心臓の血液を送り出す力 を表す)が、今では低いときでも45%、通常は55%から70%になっていることがわかった。心臓医はまた、私の疲労は血圧治療薬の1つ(コレグ)のためかもしれないと言っていた。たぶん来週別な薬に変えるので、もっと良くなるだろう。

腎臓の方については、腎臓医がすごく喜んでいた。家で試合のスコアをチェックしている人たちのために言うと、私の(一時は3.9にまでなった)クレアチニンレベルが3.1に下がり、これは私の腎機能が回復しつつあるしるしだ。

唯一悪いニュースは、腫瘍がおとなしくしすぎだと思ったらしいことだ。CA19-9が103から170に上がり、絶対的というわけではないが、これは腫瘍が広がっていることを示している。だから私は急いで体力を回復し、次の治療に取りかかれるように する必要がある。

 

2008年3月25日 タイムマネジメントの講義が注目を集めている

私のことを知る人は、私が一番得意とする講義は長年続けている『タイムマネジメント』についてのものだと知っている。

ゲイブリエル・ロビンズのおかげもあって、Googleで"time management"を検索すると、現在私の講演ビデオが6番目に出てくる! ワクワクするね。(ところで私はこのビデオをクリエイティブコモンズライセンスにしたので、帰属さえ明記してもらえば、誰でも自由に掲載することができる。)

 

2008年3月19日 とてもゆっくりとした回復

議会に行った日を別にすると、1週間以上ずっと家で休んでいた。1日中ベッドで過ごすというのは私には普通のことではないが、疲労が非常に強い。

利尿薬のことをずいぶん勉強した。これは水分の排泄を促す薬だ。私の臓器不全(心臓/腎臓)の理由の一部は、体の中にたまった水分だ。利尿薬を使って12日間で9キロ排出させた。 すごい。絞られたブドウみたいな感じだ。

医者は私の心臓は本来の容量の80-90%くらいまでは回復するだろうと楽観的に見ている。最大の問題は、私の腎臓が回復して自分で機能するようになるかどうかだ。私たちは利尿薬をやめて、腎臓が働き出すか見ているところだ。確かなことがわかるまでには2週間くらいかかる。スコアを気にしている人のために言うと、クレアチニンレベルは最高で3.9だったが、3.4まで下がった。私の腎臓医(素晴らしい人物だ)はこれがとても勇気づけられる兆候だと言っている。

そういうわけで、私はずっと休み続けている。すごくいいニュースは、少なくとも血液マーカーに見る限り、腫瘍がとてもおとなしくしており、私が応戦できるほど回復する前のこの機会に暴れてやろうとはしていないことだ。CA19-9は先週の金曜日103で、前回化学療法を行ったときからわずかに増えているだけだ。

 

2008年3月13日 病院を出て、議会へ…

月曜の午後病院から開放された。私の守護天使であり、私に付き添うためピッツバーグから出向いてくれたMR・ケルシーに感謝。MR、君は最高だ。

排水したおかげでずっと良くなった(彼らは1.4リットルの液体を私の右肺の方から出した)。同じくらいの量が左肺にあるが、こちらは利尿剤で出す予定だ。穴を開けて排水するのは、小さいにしてもリスクがあるためだ。

医者に相談して、今日ワシントンDCに行く許可をもらった。すい臓がん研究のためにもっと投資すべきであることを議会で証言するためだ。かなりうまくいったと思う。職員の話では、議員たちがブラックベリー(スマートフォン)を置いて話に耳を傾けるというのはすごくいいサインだということだ。そしてこれはまさに起こったことだった。

ああ、それから「決して退屈することのない」カテゴリのこととして、私たちが車で行くときにかなりの事故に遭った。幸いみんな無事だったが、すごく皮肉なことになるところだった!

ジュリー・フレッシュマンと、そのほかPanCAN (www.pancan.org) のみんなには感謝している。彼らが私の証言を実現してくれた。やってきて手を貸してくれた長年の親友であるジャック・シェリフにも感謝している。心臓/腎臓のトラブルのため私はまだ少しふらつくのだが、みんなの助けのおかげで乗り切れた。この先何週間かでもっと回復できることを期待している。

 

2008年3月8日 入院

木曜日に、ジェイと私は腎臓専門医のトーマス・ウィーランに会った。素晴らしい人だ。臨床検査と私の症状から、肺のまわりの水を抜くのに利尿剤と「タップ」を組み合わせて使うことを勧めてくれた。スピードと安全性を考えると入院治療が望ましいということだったので、木曜の夜に入院した。

原因はまだ調べている最中だが、化学療法の薬が心臓と腎臓に大きな負担をかけたためだと考えている。それにより肺のまわりに水がたまったのだ。金曜の朝に彼らは「タップ」をした。針を背中から肋骨の間を通して差し込み、肺の外側の袋に穴を開ける(肺自体には開けない)。それから1リットル以上の水を吸い出した。臨床検査でわかっていたので驚くことでもなかった。1時間もかからずに、普通に呼吸できるようになった(このところずっと、がんばっても浅い呼吸しかできなかった)。一番いいのは、2週間ぶりでちゃんと横になって眠れるようになったことだ。これは本当に気持ちよく感じられる。

私の左肺の方にも1リットルばかり水があるが、こちらはまた針を刺すのではなく、利尿剤で出す予定だ。これはごく安全な治療だが、彼らは可能な限り体を傷つけないアプローチを選んでいる。

彼らは今、高血圧治療薬と利尿剤を、一番いい組み合わせになるよう調整している。心臓に長期的な障害が残らないことはとても確信があるが、腎臓の方についてはそう言い切れないとのことだ。まあそれでも私は現状で十分生きていける。心臓と腎臓が両方ともくたびれたときに水がたまってしまうのが一番大きな問題だった。

私はたぶん明日(日曜)か月曜に退院する。再びしゃんとするまでには1週間くらいかかるだろうが、水を抜いてもらったおかげで私はすでにずっと快適に感じている。ちなみにタップというのは、物理学的にはビール樽と同じ原理だ!

短期的な危機はコントロール下にある。がんの治療をどう続けるかという長期的な戦略は、新しい制約の元、今週見出す必要がある。

 

2008年3月5日 いいニュースと悪いニュース

いいニュースは腫瘍がまだ基本的に抑えられているということだ。

悪いニュースは、化学療法の薬の副作用が顕著になってきたことだ。私の腎臓の働きは50%よりだいぶ低くなっている(スコアをつけている人たちのために言うと、クレアチニンは3.4、BUNは54だ。) 血圧は100-200にまで上がっている…専門用語で言うと、私は「高拍出鬱血性心不全」だが、聞いた感じほどひどいわけではない。

これの辛い部分は腹腔に水がたまり始めていることで、腎不全と高血圧の副作用だ。特に具合が悪いのはたまった水が肺と心臓を圧迫することだ。私は横になって眠ること(呼吸すること)ができず、座ったままで眠ろうとするしかない。そして階段をちょっと上っただけで息が切れる。

この問題に対処するためいろいろなことをしている。
- 化学療法をすべて止めている。
- 高血圧治療をしている。
- 利尿剤を服用している。これは体から水分を排出することで、(理論上は)腹腔にたまった水を体が吸い出し、やがてはそれが尿として排泄されるようになる。
- 明日腎臓専門医と会うことになっている。
- 昨日輸血をした。これは減少した赤血球を補ってエネルギーを与えてくれる。

これは躓きだが、小さなものであることを願っている。しかし化学療法薬による腎臓へのダメージが恒久的なものであるなら、かなり具合の悪いことだ。

何か進展があればまたお伝えしよう。

 

2008年3月1日 メジアンはメッセージではない

スティーヴン・ジェイ・グールドが素晴らしいエッセイを書いている。すべてのがん患者が恩恵を受けるのではないかと思う。ほんの数ページの文章で、ここで読める。

 

2月15日 6ヶ月後 … まだ生きており、元気だ

今日はとても重要な日だ。2007年8月15日に、私は「健康な状態でいられるのは3ヶ月から6ヶ月」だと言われた。

今日がその6ヶ月後になる。私がまだ生きている証拠に、今日のニューヨークタイムズを持った写真を挙げておく。

今日は自転車に乗った。化学療法の副作用でスタミナが多少落ちているが、それでも400メートルをほとんどのアメリカ人よりは速く走れると思う。

医者が間違っていたわけではない。彼らはいつも緩和的化学療法が効けば時間を稼ぐことができるが、勝算は高くないと言っていた。そして彼らは私の勝算を高くすべく見事に投薬を調整してきた。これがいつまで効き続けるかわからないが、私は残された一日一日を楽しむつもりだ。それがどれほど 多くある(あるいはわずかしかない)のだとしても。

 

2月11日 部屋の中の象

「最後の授業」で私はたくさんのぬいぐるみを持ち出して、ほしい人は講演の後に持って行ってかまわないと言った。

他のがどうなったのかわからないが、しかし象のぬいぐるみは、勇敢なカーネギーメロン大の4年生ロビン・ルオが手に入れた。彼女が最近この写真を送ってくれた。

ロビンは彼女自身がんと闘っている。ヒューストンで大変だった時期に、私たちはよくメールでやり取りしていた。彼女はとても良くやっており、すごい運動家にもなっている。命のためのリレーを見て、自分に何ができるかを考えてほしい。

がん仲間が「部屋の中の象」を手に入れたのはとても相応しいことに思える。

 

2月9日 腫瘍が拡がり始めたが、反撃する

1月の最初の週に撮ったCTスキャンは、肝臓の腫瘍が徐々に拡がり始めていることを示していた。これは緩和的化学療法が効果を失いはじめているということで、大きな失望だ。

私たちの対抗策はアバスチンの追加だ(私の処方はゲムシタビン + タルセバ + アバスチンということになる)。これは賭けだが、アバスチンは悪い副作用がないので、最初に試すことにした。

そして効果が出た!

2月5日のスキャンでは、1ヶ月間で成長が見られなかった(幾分縮んだかもしれない)。私と医者は賭けが当たったことに大喜びした。

当然の疑問は、これがいつまで効いているかということだ。誰にもわからない。しかし効かなくなるまでは続けるつもりだ。うまくすると、これで何ヶ月か稼げるかもしれない。その間に、「次の手」を考えている。どれも副作用の点でより有害なものになる。だからその時のために備えている。

否定的な要素としては、

1) 腎機能が弱っている。まだ危険というほどではないが、悪い方向に向かっている。アバスチンが原因の可能性があるが、アバスチンとゲムシタビンと毎月撮っているCTスキャンの造影剤の組み合わせによるのかもしれない(多くの人は2月に一度しかスキャンしない)。だから腎臓を注意深く観察している。

2) この前の化学療法では3日間熱が出て、38度を超えたのに加え、吐き気がした。

これは小さな対価だ…肝臓に腫瘍がある人間には、腫瘍が大きくならない日はいい日なのだ!

 

すい臓がんアクションネットワーク推進日

3月10日と11日は、すい臓がんアクションネットワークがワシントンで推進活動を行う。

私も参加する予定だ。集会でかけ声をやるかもしれない…こんなのはどうだろう?

2…4…6…8…すい臓がんで細くなる!

 

2月1日 どう感じているか?

これは私が最も良く聞かれる質問だ。短く答えるなら、腫瘍はまだ小さくて感じられないし、健康への影響も出ていない。

だから私の感じは化学療法によるものだ。疲れているように感じる日もあるし、風邪のような症状になるときもある(寒気、筋肉や関節の痛み)。私の消化管はまだ混乱状態にある。毎日4000カロリー食べているが、そうしないと体重を維持できないのだ。時々軽い吐き気がするが、頻繁ではないし、ごく軽いものだ。

先月出た新しい副作用はニューロパシーだ。指やつま先が無感覚になる。これは悪化しており、まだタッチタイプはできるが、タイプミスがものすごく多い。それから指先の感覚がなくほとんど圧力しか感じ取れないため、ポケットの中のものを見つけるのがすごく難しい。

しかし全体としては、歩き回れることの代償としては安いものだと思っている!

 

1月28日 オーランド旅行!!

ジェイと私は長い休日を取ってディランとローガンをつれてオーランドに行ってきた(クロエは小さすぎるので、ジェイの親戚に預けた)。

今回の旅行のハイライトは、

- ローガンが"シャンプー・ザ・キラーホエール"を見たいと言った。

- ジェイが必死に追いかける中、ローガンがバリケードを越えてパレードに入り込み、2人の警備員に取り押さえられた。

- ミッキーに会った。

- ぬいぐるみをゲットした。私はヘビを、ディランとローガンも最初の「自分で取った」動物を手に入れた! (彼らに水鉄砲の才能があることがわかった。)

- モノレールの運転席に座った。運転手はディランとローガンに副操縦士のライセンスまでくれた!

 

 

1月23日 ロビー活動

すい臓がんアクションネットワークがRaise the Cureという大きなイニシアチブを立ち上げた。すい臓がん研究にもっと資金を出すよう議会に促すのが目的だ。

私は一日議会で過ごし、上院議員や下院議員に会った(「やあ、私はランディ、今日は『マイケル・J・フォックス』として来ました)。

これは私たちが多数党院内総務のステニー・ホイヤーと一緒にいるところだ。私の隣がPanCANの政府対策部長であるミーガン・ゴードン・ドンで、私から一番遠いのがPanCANの議長兼CEOであるジュリー・フレッシュマンだ。

 

1月15日 本ができた!

世界最速の作家ジェフ・ザスローを称えたい。「最後の授業」の本ができたことを喜びをもってお伝えしよう!

家族の時間をほとんど取られることなく本を作り上げるという大きな制約の下で成し遂げられたことにいっそう誇りに感じている(以下にある「自転車に乗って本を書く方法」を見てほしい)。

ジェフと私は本の出来にとても満足している。61章、206ページからなり、18の写真と、1つの棒グラフと、(数学好きの友人たちのために)1つの方程式が載っている。

出版社に交渉して表紙に「カーネギーメロン」の文字を入れてもらえたのもすごく気に入っている。

4月の始めにハイペリオンから出版される予定だ。詳しくはwww.TheLastLecture.comを見てほしい。
[訳注 日本語版がランダムハウス講談社から出ている。]

 

李開復が中国の学生からの挨拶を送ってくれた

fromchinatorandy



李開復が素敵なものを送ってくれた。ダウンロードしてexeを実行すると、たくさんの中国の学生が授業に感謝を述べている愛らしいアニメーションが流れる。

それにしても世間は狭いものだ。

 

1993年ESPYでのジム・バルバーノ

jimv

何人かの人が、この感動的なジム・バルバーノのビデオのことを教えてくれた。彼は私と同様、末期がんであることを知りつつ講演を行った。個人的には、あと30秒しか残っていないと彼に知らせようとする部分が気に入っている! このビデオはここをクリックすると見ることができる。

 

12月31日 ディランが6歳になる

pancan



ほとんどの人にとっては12月31日は大晦日だが、私たち家族にとってはディランの誕生日だ。今日はとくに素晴らしかった。ディランは午前中水族館でいろんな動物を見て過ごし、午後はパパと従姉妹のハンナと一緒に映画を見た。それからみんな集まってレッドロビンで夕食を取った。風船付きだ。

ディランと私は写真ブースに行った。撮った写真を処理して人がパステルで描いたみたいに加工してくれるやつだ。とくにいいのは、人が実際に描いているように見せるビデオのあるところだ。たびたび「おっとしまった」と言っては描き直している。ディランはそれがすごく可笑しいと思ったようだ! これが最終的な作品だ。

 

12月25日 パウシュ家のクリスマス

クリスマスは素晴らしい休日だ。もう一度経験できるかわからなかいときには、なおさら素晴らしいものになる。


 

12月23日 緩和的化学療法はいつまで効くか?

自然な疑問は、「緩和的化学療法(ゲムシタビン+タルセバ)はいつまで効き続け、腫瘍の拡大を抑えられるか?」ということだ。データによれば、ゲムシタビンで効果の出る転移性すい臓がん患者の割合はおおよそ10-15%だ。

がん専門医と話し、医学誌も読んだ。単一の答えというのはないが(ベル型の曲線になっているのは確かだ)、手に入るデータに基づいて推測するなら、腫瘍が「じっとしている」のはあと2-4ヶ月の間だ。

これはすごくありがたい。ジェイと私は「ボーナス時間」と呼んでいる。

医療方面で一般に合意されているのは「効いていることはとにかく続ける」ということらしい。効かなくなったら、試せることはたくさんあるが、それらはどれも、最初に試した方法の10-15%というのよりさらに見込みが低い。

 

12月10日 自転車に乗って本を書く方法

ffffff

ジェイは私にを書くことを望んだが、問題は家族と過ごす時間を減らすことなくどうやって書くかということだ。答えが知りたい? ジェフリー・ザスローが文面を作り出す重労働を引き受け(そして彼は素晴らしい作家だ)、私は1日1時間自転車に乗って運動しているときに彼と話をするのだ。

そうすることで、家族の時間を取られることなく、私の話やら逸話やらすべてを本物の作家に伝えることができる(私が書いても下手なものしかできないしね)。

 

12月7日 緩和的化学療法は引き続き効いている!

緩和的化学療法(ゲムシタビン + タルセバ)は効き続けている。12月7日のCTスキャンは11月8日のスキャンをコピーしたように変化がなかった。腫瘍はまったく増えていない。(家でスコアをつけている人のために言うと) CA19-9は8月14日の208から11月2日の59に減り、11月26日は64だった。これはみんないいニュースだ。

地元のがん専門医のマイケル・リー(素晴らしい人で、彼自身がんを克服した)は、私の反応は1から10で点数を付けると10だと言った。

はっきりさせておく必要があるが、これは治ったということではない。あまり長くは続かない。現在「勝っている」というのは何ヶ月か稼いだということであって、何年も変わるわけではない。それでも私はこの「ボーナス時間」にはワクワクしている!!! それにクリスマスを元気な状態で過ごせそうだ。

たぶん遠からず私のカクテルにアバスチンを追加することになるだろう…これはたくさんの転移がん患者にとって魔法の薬になっているが、すい臓がんにはあまり大きな違いが出ないことが試験で示されている。しかし何人かの医者が、ある「幸運な」患者がこの薬で12ヶ月だか18ヶ月だか生きたという逸話を知っていた。だからその幸運な患者になるべく試みたいと思っている。

化学療法の副作用が少し出ている。週に1-2日は(点滴の後48時間後に始まる)軽い吐き気とすごい疲労感がある。「化学療法の日」を金曜日から月曜日に変えて、レイチェルが子供の世話の手伝いに来てくれる平日に一番具合の悪い日がくるようにした。ときどき指先やつま先の感覚がなくなる。頻繁ではないが、強い痛みをともなう腸の痙攣が起きる。しかし全体としては、がん業界で言うところの「歩き回れることに対する小さな代償」だ。赤血球数が少し減っているが、毎日自転車に乗り、子供たちと本気で遊び、人生を楽しむことができる。

一方で私はゲムシタビン + タルセバが効かなくなったときのための「プランB」治療を熱心に検討している。率直に言って銀の弾丸はないのだが、できる限りのことをするつもりだ。有力な候補はジョンズ・ホプキンスで開始しようとしているワクチンの試行と、患者向けにカスタマイズした治療を行うTGEN (www.tgen.org)だ。調べているものは他に30くらいあるが、この2つが最有力だ。

 

12月1日 スキューバダイビング!

 

私は「アメリカで最も健康な末期患者」候補だと思う。この写真は12月1日にケーマン諸島の海中105フィートで撮ったものだ。

私ががん専門医にスキューバに行っても大丈夫かと聞いたら、しばらく考えてからこう答えた。「医学的にはそうできない理由は思いつかないが…しかし正直なところ、転移性すい臓がん患者からはあまり聞かれない質問だね!」

ダイビング仲間のスティーブ、ジャック、スコットに感謝。彼らは水中でずっと私に注意を払っていてくれた。

 

 

スタートレック!!!

これは今までのところ最高にクールなものだ(まあ化学療法が効果を上げているのがあるから、2番目かな)。JJ・エイブラムス(ハリウッドのプロデューサー/監督で、テレビシリーズの「LOST」、映画「ミッションインポッシブルIII」その他たくさんのものを手がけている)が、突然私にメールを送ってきた。

JJ Abrams wrote:
> ランディ様 --
>
> こんにちは -- 私はJJ・エイブラムスという者で、スタートレックの新作映画
> を監督しています。
>
> あなたのことや、あなたの状態、それにあなたがスタートレック好きであるこ
> とについて伺いました。
>
> それであなたを招待したいと思いました -- もしこの映画に出てみたいと思わ
> れるなら(艦長役はお約束できませんが……でも何かの役は用意できると思いま
> す!)、私としても名誉であり、喜びとするところです。
>
> あなたを煩わせることは私の一番したくないことであり、ご返事はされなくと
> も結構です -- しかし知っておいてほしかったのです。もしあなたがそうした
> いと思い、そうできるのであれば、扉は広く開かれているということを。
>
> あなたの治療がうまくいき、いつの日かお目にかかれることを願っています。
>
> 敬具
>
> JJ

当然のこととして、私は友達の誰かがいたずらでやったに違いないと思った。しかし少し調べてみると、本物であることが明らかになった。ジェイと私は飛行機に飛び乗ってロサンゼルスに向かった。そして私はカスタムメードのスタートレックのユニフォームと、ボタンや制御機器がいっぱいなブリッジの持ち場を手にした。通信機だって手に入れた!!!

JJ・エイブラムスに感謝するとともに、彼が非常に無私でクールな人間であることを言っておきたい。撮影の合間に少しおしゃべりしたが、彼はとても技術に詳しい(Aliceのことをよく知っていたから言うわけじゃないよ!)。何にしても、これは本当に魔法のような体験だった。魔法と言えば、この旅行の途中でジェイをマジックキャッスルに連れて行くという長年の夢をかなえることができた。ピーター・ファークワーのおかげだ。魔法のように魅力的なMK・ヘイリーが加わって、ピーター夫婦とジェイと私で素晴らしい夕べを過ごした。

このスタートレックの映画は2008年の12月に劇場公開される。瞬きしないように気をつけて。どこかで男がブリッジを横切って、「艦長、映像が出ます!」と言う場面がある。

私のコスチュームをお見せしたいところだが(彼らは記念にくれたのだ)、JJ・エイブラムスに「写真は出さない」と約束した。彼らはすべて秘密にしておこうとする。実際、パラマウントの敷地内でも、スタートレックのコスチュームで移動する時にはトレンチコートを羽織らなければならない。露出狂の集まりに行ったみたいだった!

私が作り話していると思う人には、パラマウントの小切手をお見せしよう(組合の規則かなんかのために、私に支払わなければならなかったらしい…これは募金することにするよ)。

 

11月29日 新生活に慣れる


私が余命宣告を受けてすぐ、私たち家族はバージニアに引っ越した。目的は家族ができるだけ早く落ち着けるようにすることだ。この戦略は正しかったことがわかった。ここでの生活は物的な面でずっと楽だ(暖かい気候、静かな郊外)。ピッツバーグの人たちに会えないのは淋しいが、新しいご近所の人たちは暖かく迎え入れてくれ、子供たちも元気にしている。これはいつでも私たちの主要な関心事だ。ジェイの家族の近くにいられるのは予想したとおり大きな利点があった。

ディランは幼稚園が気に入り、空手の授業を受けている。ローガンはおむつが取れた(あの子が「おむつは自分で使っていたんだ!」と言うプライドは本当にノーマン・ロックウェル的だ)。クロエは100語くらいしゃべれるようになり、 その一言一言に心がとろけそうになる。残念ながら最近彼女は「だめだめだめだめ」というのを覚えて、これを1つの言葉のように使っている。ジェイは新しい家を飾っている(つまり「巣作り」だ ね)。私たちには素晴らしい乳母のレイチェルと、ピッツバーグから手助けに来てくれるローラがいて、私たちがたびたび旅行できるようにしてくれる。

ホスピスという選択肢も視野に入れ始めている。何にしても、子供たちが新しい生活に慣れ、来るべき嵐に備えて落ち着けたことをジェイと私は喜んでいる。

 

11月28日 知名度を良いことのために使う

私がDリスト有名人(キャシー・グリフィンのパロディ)であることを何か良いことのために使えないか、ジェイと私で考えてきた。私はすい臓がんアクションネットワーク (PanCAN)とラストガーテン財団の両方で活動していて、公共広告のビデオを撮ったり、ワシントンの政治家に会ったりしている。すい臓がんがこれほど見捨てられた病気である理由は、ワシントンへの行進を導いてくれる長期生存者があまりいないためだ。だから私は「すい臓がんのマイケル・J・フォックス」になろうと試みている。

 

11月27日 後の人たちに残すタイムマネジメントの授業

私が退官するときみんなに知られている講演は、時々やっている『タイムマネジメント』のやつだろうと思っていた。私は今日バージニア大学に行ってこの講演をしてきた。骨折ってくれたゲイブリエル・ロビンズに感謝する。

講演したのはオールド・キャベル・ホールだったが、本当に素晴らしいホールだ。180度の拡がりと高さがあって、850の座席のすべてに手が届きそうな感じがする。この講演をしてちゃんとビデオに収めることは私にとって重要なことだった。講演を世界中で広く見られるようにする上でGoogle Videoがとても効果的なことが今ではわかったので、この講演の中の情報は誰でも自由に使えるようにしておきたい。加えて、昔の同僚に会って家族みんなで交流することができ、素晴らしい一日だった。

この講演はここで見ることができる。

 

11月27日「最後の授業」が本に

ジェフリー・ザスローのコラムがウォールストリートジャーナル(WSJ)に出て以来、1ダースばかりの出版社が私にメールしてきて、これに基づいて本を書く気はないかと聞いてきた。(これはお話にならなかった。このときはまだ緩和的化学療法に効果が出ておらず、いい健康状態でいられるのは6週間くらいだと思っていたからだ。) 緩和的化学療法が効果を上げ始めると、一息付く余裕ができて、この話をジェイにすると、彼女はそうしてほしいと言ってくれた。彼女は実際とても断固としていた。残された時間でジェイと子供たちのために「マニュアルを書く」ことを私たちはいつも話し合っていた。そしてこれが「本物の」プロジェクトとなれば、私がいっそう真剣に取り組むと思ったようだ。

WSJのジェフリー・ザスローは素晴らしい作家で、進んで私のパートナーとして重労働することを引き受けてくれた。2人がパートナーとして本を書くという取り決めだが、実際書くのは彼の方だ(Aliceチームの同僚は笑っていることだろう。この私が本を書くスタイルは彼らにはおなじみのものだ)。こうすることのいいところは、私たちが家族で過ごす時間をほとんど減らさずに済むことだ。毎日、私が自転車に乗る1時間の間に、ジェフと携帯電話で話している。このやり方は既に素晴らしい体験となっている。彼は私から、自分でやっても引き出せないようなことをうまく引き出してくれるのだ。

ニュースメディアに対してはちょっとがっかりしている。ジェフが私の話で金儲けしようとしているみたいなことを言っている。そんなのは単に正しくない。彼にせよ私にせよ、金儲けしようなんて思っていない(印税がたくさん前払いされたのに2人とも驚いたくらいだ)。彼がこれを自分で仕組んだかのように伝えているのは特に間違っている。

この本を出版するのがDisneyの出版部門であるハイペリオンであるこにワクワクしている。これは何かふさわしいことに思えるし、彼らは一緒に仕事して素晴らしい人たちだ。私の状況に対してとても敬意を払ってくれている。この本のプレスリリースがここにある。

 

11月21日 ライオンやトラや賞ですって、まあ!

先月、私はたくさんの賞を受賞した。正直自分がこれらの賞にふさわしいと思えないことを認めないとしたら不誠実というものだろう。どう見ても「死にゆく者に賞を与える」要因があるのは確かだ。しかしこれはカーネギーメロンにとってもいいことだし、ありがたく受けることにした。よく言うように、「死ぬというのはいいキャリア戦略なのだ」:-)

具体的には

ACM SIGCSE Outstanding Educator Award (ACMコンピュータサイエンス教育分科会最優秀教育者賞): これは年次カンファレンスの基調講演でAliceのことを話せるので素晴らしい。3月12日だ。ビデオの魔法を使って「生きていようと死んでいようと」この講演をやるつもりでいる。 ;-)

ACM Karl V. Karlstrom Outstanding Educator Award (ACMカール・V・カールストロム記念最優秀教育者賞): これはアンディ・ヴァン・ダムが電話で知らせてくれたので特に感動した。

ACM Fellow (ACMフェロー): 私が果たしてこれにふさわしいのか確信がないが、とても栄誉に思う。

CHI Academy (CHIアカデミー): ACMフェローと同様、私には過分だが、とても名誉に思う。

 

アリス・メリットのバッジ

ガールスカウトのためのアリス・メリットのバッジだ。1つの隊で戯れに作られたものではあるが、私はすごくうれしかった!

 

11月19日 ピッツバーグではランディ・パウシュの日

ピッツバーグ市が11月19日を「ランディ・パウシュの日」に決めた。賞状はランディ・ブライアントが私の代わりに受け取ってくれた。カーネギーメロンとピッツバーグがどんなに素晴らしいかを世界に示したことに対し、電話で彼らから感謝の言葉をもらった。

 

このハゲワシは何を思う?

ポリスのコンサートに行く途中、ウィリアムズバーグに立ち寄った。ジェイはハゲワシが散歩の間何時間もずっと私の後をついてきたのを可笑しがっていた。

 

下の写真では木に留まっている。

 

 

2007年11月6日「ポリス」との会見

ジェイと私は久々に子供抜きで休日を楽しんだ。

3泊3日でウィリアムズバーグとシャーロッツビルを冒険旅行した。バージニア大ではポリスの公演を見た。コンサートは本当に素晴らしかった。

ジェイはポリスの大ファンだったので、舞台裏に招待されてバンドの人たちに会えたのをどんなに喜んだか想像してほしい。これを実現してくれたゲイブリエル・ロビンズとその他のバージニア大の人たちに感謝している。

 

 

2007年10月31日 ハッピーハロウィーン!!

halloween

なんて「インクレディブル」な家族!!

治療状況: 順調に進んでいる。週に一度化学療法を受けていて若干の副作用はあるが、私のスーパーパワーにはさほど影響していない。

 

 

2007年10月19日 緩和的化学療法が効いている!!!!

10月1日に私はCTスキャンを撮り、続けてPET-CTスキャンを10月13日に撮った。どちらも私たちの望んでいた結果を示していた。脾臓の腫瘍はなくなり、肝臓にある1ダースほどの腫瘍も変化がないか、若干小さくなっていた。

これはゲムシタビン+タルセバを処方した人の15%にしか起きないことだ。宝くじみたいなものであり、私はそれに当たったのだ。統計的に言うと、健康な時間を2-4ヶ月余分に手にしたことになる。言い換えるなら、人生の残り時間を2倍にしたということだ。あなたもやってみるといい!

特に重要なのは、これにより「プランB」を行えるだけの時間が得られたということだ。ゲムシタビン+タルセバはいつまでも効き続けるわけではない。次の手をいつでも出せるように用意しておきたい 。

私が現在目を向けているものには、他の化学療法、ワクチンを使うアプローチ(私のがん細胞から作るカスタムメードのワクチンを含む)、それに内容を話すことのできない極秘のものもある。自分が受けている医療のクオリティの高さにはぞくぞくしており、人類が提供しうる最新鋭の治療をうけているのだと実感している。

そうは言え、ここで「勝利」が意味するのは時間を稼ぐということに過ぎない。奇跡のような治療法が開発されて私に人並みの長さの人生を与えてくれる希望は抱き続けるだろうが、今のところは、一度に数ヶ月生き延びるべく闘っている。

私の生活の質はとてもいい。毎日1時間自転車に乗り、子供たちと好きなだけ遊び、世界で最も素晴らしい女性と結婚したことを楽しんでいる。毎週、化学療法の後24-72時間は、間欠的に起きる腹痛、疲れ、軽い「風邪のような症状」があるが、扱いかねるほどのものではない。歩き回れることの対価としては安いものだ。

 

[訳注 2007年9月18日に「最後の授業」が行われた。]

 

2007年9月4日 ディランといっしょにイルカと泳ぐ

この投稿が遅くなってしまい申し訳ない。私はどうも少しばかり忙しすぎた。余命宣告を受けてすぐ、自分にとって最優先のことの1つは子供たちに思い出を作ってやることだと気が付いた。

クロエとローガンはどちらも幼くて、私の直接の記憶は残らないだろう。一番年上のディランは5歳(12月で6歳になる)だが、この子の記憶も曖昧なものになるだろう。技術的な疑問は、どうすればできるだけはっきりとした深い記憶を残すことができるかということだ。特にそれが動物好きの子供だったら? 答えはきっと、イルカと一緒に泳ぐことだろう!

ディランと私は3泊4日ですばらしい「パパとディラン」のオーランドの休日を過ごし、マジックキングダムに行き、それからディスカバリーコーブでイルカたちと泳いだ。どちらも私たちにとって素晴らしい場所だった。特別な機会を与えてくれ、さらにいいことには、写真家たちが記憶を強めるイメージを提供する写真を撮ってくれたことだ。すごくたくさんの写真があるが、何枚かをここに挙げておこう。私がいなくなった後にディランが大事に取っておいてくれることを望んでいる…

 

2007年8月31日 緩和的化学療法が始まる

昨日私はゲムシタビンの最初の投与を受けた。来週はタルセバを追加する予定だ。最初の36時間は副作用がなかった(やった!) 明日はディランと私で3日間の「ディランとパパの旅行」をして、フロリダでイルカと泳いだり、ミッキーマウスに会ったりしようと思っている!

 

2007年8月26日 一番いい時と、一番悪い時と

今は一番いい時だ。3週間くらい前、私の健康が本当に戻ってきた。週3回ウェイトトレーニングし、毎朝1時間自転車に乗っている。がんになる前と同じペースだ。再び廊下を跳ねながら歩き、ご覧の通り、3人の子供たちをみんな持ち上げ、思いっきり遊んでやることができる。(写真は昨日撮ったものだ。)

 
 
 

 

今はまた一番悪いときでもある。最近のCTスキャンは私の肝臓に10個の腫瘍があることを示していた。脾臓にも細かい腫瘍が点々とある。医者は今まで見た中で最も急な再発だと言っている。医者は「どれだけ生きられるか」予想するのは難しいとすぐに答えたが、共通認識としては比較的いい健康状態でいられるのは3-6ヶ月というところらしい。その後、どれほど早く終末を迎えるか言うのは難しく、それもあまりきれいな終わり方にはならない。始めからわかっていたことだが、この時点に至っては効果的な治療法はない。時間を稼ぐために緩和的化学療法をすることになる。これが機能するのは15-20%のケースで、しかも稼げるのは数ヶ月だけだ。CTスキャンの結果については血液マーカーと針生検で確認を取っており、診断には間違いの余地がない。

 

今何が起きているのか?

妻のジェイと私は長い間この可能性を考えてきたが、妻と子供たちはノーフォークの少し南、バージニアの親戚の近くにいるのが最善だと思う。計画では労働者の日の休日に移って、ディランが9月4日から幼稚園に通えるようにしたいと思っている。家の契約をそんなに早くはできないので、一時的な住まいとして近くのビーチハウスを借りるつもりだ。

こういう結果になることはもちろん望んでいなかったが、妻と私は後悔していない。勝算を最大にするためにできることは何でもしてきた。親切に助けてくれたみんなには感謝している。

このことで奇妙なのは、私が失望していないということだ。私は現実から目を背けているわけではない。(安心してほしい。私は何が起ころうとしているのか完全に理解している。) 自信を装っているわけでもない。最悪の気分と11ヶ月の病気を体験したあと、ようやく完全な健康を取り戻し、その活力が素晴らしい感情的な支えになっている。だから私は一日一日を全力で楽しみ、動けなくなるまで子供たちと一生懸命遊ぼうと思う。

個人的にこのことをお知らせできなかった人たちにはお詫びを言いたい。たくさんの人が同じ質問をするので、ここで簡単に答えさせてもらうことにする。

エンターテインメント・テクノロジー・センター(etc.cmu.edu)はどうなるのか?

私は実際2006年1月でETCの運営から離れており、それ以来ドン・マリネッリがすべての責任を負っている。だからETCには何の影響もない。

Aliceプロジェクト(www.alice.org)はどうなるのか?

私は長らくこのプロジェクトの公の顔を勤めてきたが、実際にはプロジェクトは複数の大学の共同作業へと成長していて、中心になる研究者が4人か5人いる。Aliceチームはプロジェクトに専念しており、2008年中にAlice v3.0 (Javaの学習とSimsキャラクタの使用ができる)のリリースを予定している。ピーター・リー、ダン・サウォーリク、ランディ・ブライアント、ジャレド・コホンに会ったが、みんなAliceプロジェクトがスムーズに進むようカーネギーメロン大として取り組むと言ってくれた。

ピッツバーグとカーネギーメロンを永久に去ってしまうの?

違う。ディランが幼稚園に最初の日から通えるように急いで引っ越しをしているが、私はカーネギーメロンに戻ってくる。私はメールでも電話でも連絡を取れる。9月18日にはカーネギーメロンで講演をする予定だ。

私たちがすべきでないことは?

専門家から子供たちにはまだ話すべきではないと忠告されている。だから私たちに会いに来るときや、留守電を入れるような時には、そのことを注意してほしい。

カーネギーメロン、教会、友人、親類、私たちに良くしてくれた人たちすべてにお礼を言って締めくくりたい。私たちはとても感謝しており、ハッピーエンドにならなかったことを申し訳なく思っている。

 

2007年7月23日 ジョンズ・ホプキンス ワクチン The image “http://justinsomnia.org/images/mission-accomplished-banner.jpg” cannot be displayed, because it contains errors.

月曜にジョンズ・ホプキンスで最後のワクチン投与を受けた。前の2回の摂取と同様、6本の注射(太ももに2本ずつ、2本を左腕に)を打ち、蜂に刺されたみたいに大きく腫れ上がった(20センチくらい)。しかし痛みはなく、ちょっとかゆいくらいだ。6ヶ月ごとに追加の摂取を受けることになるが、ずっと先の話だ。

興味深いのは、これが私にできる最後のことであり、そのことに少し不安に感じる。この不安からすごく熱心に運動をやりはじめた。さらに手術や化学療法が必要になる場合に備えて体を作り上げておかなければ…

 

2007年7月9日 私を命をつないでいる人たち

私を生かし続けるために時間外まで働いてくれている人たちの写真を見たいだろうと思った。これは私を担当している外科医のハーブ・ ゼー先生だ。ウィップル手術を何百とこなしてきており、私の経験から言わせてもらうと、自分のしていることを本当に良く分かっている人だ。彼はメールアドレスと携帯番号を教えてくれ、いつかけてもらってもかまわないし、電話してもらえるのは光栄だと言ってくれた。

手術に加え、彼はワクチンによるアプローチについても研究しており、これは本当に大きな変化をもたらすかもしれない。この研究を支援したいという方は、ピッツバーグ大学がん研究所開発部にいるカンブラ・マコネルに電話 (412) 623-4700 かメールmcconnelk@upmc.edu でコンタクトしてほしい。寄付も“UPCI/Pancreatic Cancer Research/Liver Pancreas Institute”宛で受け付けている。小切手のメモ欄に「ゼ博士の研究支援のため」と書いて、Development Dept., UPMC Cancer Pavilion, Suite 1B, 5150 Centre Avenue, Pittsburgh PA 15232に郵送してほしい。

 

2007年7月9日 私を命をつないでいる人たち パートII

これはロバート・ウォルフ先生で、私の担当のがん専門医であり、M.D.アンダーソン病院で頻繁にお会いしている。彼もメールに応えてくれ、そして彼の素晴らしいのは何でも隠さず話してくれるところだ。副作用を軽減し、がんという体験全体を感情的に受け入れられるよう助けてくれる彼の医療経験は貴重なものだ。

(私の5歳の子供は「どうしてウォルフ先生が動物のお医者じゃないのか不思議がっていた。:-)

 

2007年6月28日 ジョンズ・ホプキンスワクチンの2回目

昨日ジョンズ・ホプキンスワクチンの2回目の摂取を受けた。取り立てて変わったことも痛みもなかった。ただ6本注射を打ち、ゆっくりと20センチの痛みのない腫れが腕と脚にできるというだけだ。これは実際クールだ。ちっとも痛くない。

 

2007年6月6日 感情的ジェットコースターはもうたくさん。本物はどうだ!

 

最近感情的なジェットコースターをいくつも経験し、今度は本物に乗るべき時だと思った。それで私たちはピッツバーグにある有名な遊園地のケニーウッドに行ってきた。2番目の子供のローガン(2歳半になる)にとっては初めてのジェットコースターだ。

この写真ではローガンは両手を上に上げていて顔はよく見えない。

この日の写真を全部見たければここにある。

私の一番奇妙な趣味は遊園地でぬいぐるみをゲットすることなのだが、がんのために腕が落ちたりしていないのがわかってほっとしている。

あなたが次にしようと思っている2つの質問に答えると:

1) ソフトボールをミルク缶に投げ入れる

2) 1回2ドルで、4回目でゲットした。

 

2007年6月1日 嚢胞だった! ワクチンを受ける…

昨日のMRIでCTスキャンにあったのは嚢胞だったことがわかった(MRIは他の小さな病変もがん性ではないことを示していた)。やれやれ!! 昨日ワクチンの接種を受けた。6本の注射をし(両脚に2本ずつと、左腕に2本)、右腕を生検のため2針分だけ切った。大きな痛みも副作用もない。ワクチンがどう取り込まれているか見るために血液の採取を1日1回4日間行う。母はジョンズ・ホプキンス大の近くに住んでおり、今週末には家族みんなで来ている。ジョンズ・ホプキンスの人たちはすごく親切だ。研究者のバーバラ・ビジツキーは日曜も仕事しているので、来週いっぱいいなくて済む。今回の旅行ではたくさんの素晴らしい人たちに出会えた。

 

2007年5月30日 弾をかわす

昨日はジョンズ・ホプキンスワクチンに適格か調べに行った。CTスキャンを撮るので、悪い知らせを聞くことになる可能性があるのはわかっていた。今回は実際悪いニュースがあった。詳細はここに。(いい話だ。)

幸い、これもまた擬陽性であることがわかった。こういった瞬間(ヒューストンで2回あった)は、たぶん化学療法や放射線療法自体よりももっと辛いものだ。妻のジェイに言ったのだが、私はあといくつ弾をかわせるかわからない…

これはワクチン接種の開始を数日遅らせることになったが、同時に家族と過ごす1日1日に自分がどれほど価値を置いているかを再確認することになった。

 

2007年5月25日 縫い目は開いてないみたい…

かわいい妻のジェイと私は48時間を2人で過ごしてきたところだ。7回目の結婚記念日を祝ってネマコリンに行ったが、ここにはターザンロープがある。

この写真は担当の外科医に送ったものだ。「縫い目は開いてないみたい…」というメモ付きで。

 

2007年5月22日 また結婚指輪を付けられるくらいに体重が戻った!

治療が始まったときには83キロあった。一番体重が減ったときで63キロになり、20キロ落ちた。一番気落ちしたのは、結婚指輪がすぐに抜け落ちてなくしてしまいそうなので、外さなければならなかったことだ。今は76キロにまで戻り(83キロもいらない。79キロまで戻れば十分だ)、再び結婚指輪ができるようになった - やった!

 

2007年5月15日 コイン投げで決める人生…

私にわかる限りで言うと、私が5年生きられる確率は45%だ。だから私はよく自分のことをコイン投げにたとえている。親友のピーター・ファークワー――私のディズニー・イマジニアリングよりクールなサバティカルをやった人間は、彼くらいしか知らない――はマジシャンでもある。彼はこのビデオクリップを、「表の方に賭けて!」というメモをつけて送ってくれた。おかげですごく楽しい気分になった。

緑色のボタンで再生できる…

 

2007年5月6日 フラッグフットボールをする!?!?!

化学療法から開放されて6日目で、私はフラッグフットボールチームに復帰した。試合の最初のプレーで、私は25歳の選手の投げた大きなパスをキャッチした。

当然ながら、試合の間中息を切らせていた。それでもフィールドに戻ってこれたのはすごく良かった。

 

2007年5月4日 治療終わり!!!! The image “http://justinsomnia.org/images/mission-accomplished-banner.jpg” cannot be displayed, because it contains errors.

月曜日に化学療法を完了した! PICC(静脈カテーテル)をはずしてもらった。あれがなくなってせいせいした! 家族が素晴らしいお祝いをしてくれた。写真は風船を持った男の子たちだ。クロエは初めて歩いてお祝いしてくれた! 私は運動を再開し、まずは自転車から始めた。スタミナがまだ全然ないのだが、追々戻ってくるだろう。最近撮ったCTスキャンに影はなく、CA19-9は19でこれは正常値だ。今のところは、がん再発の兆候は見られない。勝利まではまだまだ長い道のりだが、負けなかった日は長期的な勝利へと一歩近づいた日なのだ。

半年間の化学療法でまだ体が弱っているが、6月1日までには、すっかり健康状態が戻るはずだ。すでに失った20キロのうちの8キロを取り戻した。

私の長期的な勝算は相変わらず45%だが、私はこのコイン投げに勝てるだろうと楽観的に思っている。

Rabbit Out of Hat
帽子からもう一匹のウサギ…

2007年4月18日…

ジョンズ・ホプキンス・ワクチン…

去年の9月にどのような治療法があるか調べたとき、可能な選択が2つあった。バージニア・メーソン・プロトコルと、ジョンズ・ホプキンス大学で開発されたワクチンだ。バージニア・メーソン・プロトコルの方を選んだのは、より良い成果を出していて、多くの人に処方されていたからだ。

しかしバージニア・メーソン・プロトコルをやった後にジョンズ・ホプキンスワクチンを受けることも可能だということがわかった。ワクチンは化学放射線療法とはまったく違ったアプローチを取るため、両方の治療を受けることで可能性を高められる。また、ワクチンの方には実際的な副作用がないということもある。

ジョンズ・ホプキンス大で5月29日からワクチン治療を始めるように調整した。

これは正式に帽子の中の最後のウサギになる。しかしいいものには違いない。確認する方法はないが、私の45%の生存率をたぶん何ポイントか引き上げてくれるだろう。そしてこういった賭ではほんの小さな違いが大きいのだ。

(素晴らしいイラストを描いてくれたアンジェラ・ラブに感謝!)


バージニア・メーソン・プロトコル再現される!!!!!

手術の後に治療コースを選択したとき、「標準的な治療」である化学療法の5年生存率は15%だった(あるいは死亡率85%と言ってもいい。その方がお好みなら…)。

私は有害度の高い「バージニア・ソーソン・プロトコル」に賭けた。これは45%の人が5年以上生きている…ただしこの結果はたった100人に基づいたもので、すべてバージニア・メーソン病院でのことだ。科学者として、そのような危うい木の枝に上るのは気が進まない。しかし今の場合、ジャニス・ジョプリンが歌っているように、「自由というのは、失うものがないということ」なのだ。

だからセントルイスにあるワシントン大学でこの結果が再現されたということを知ってどれほど私が心を躍らせたか想像してみてほしい! 自分が正しい馬に賭けたのだと知ってどれほど安堵したか…治療は有害性のあるものなので、実際はいいアプローチでないとわかったなんてことになったら、本当にひどい思いをしただろう。今ではいいアプローチであることが明らかになった。

 

2007年4月25日 足を引きずってゴールラインを超える…

今週のスローガンは「化学療法は累積する」だ。私のエネルギーレベルは低下し、初めての医療的恐怖を体験した。月曜日に、私は突然吐き気と、一過性熱感と、刺すような胸の痛みを経験した。幸い、起きたのが病院にいるときだったので、医師たちが心臓の問題のような深刻なものから速やかに消していった。どんな感じかというと、ひどい胸焼けの発作みたいだった。月曜の夜に再び起きたが、その後は起きていない。(どちらの場合も制酸薬と休息により速やかに消えた。) 後から考えると、これは「ああ、いったい何が起こったんだ」という最初の経験だった。私の受けた手術の難しさと化学療法の度合いからして、こういう発作がもっと起きていないのは驚くほど幸運なことだったのだ。それも病院にいるときに起きて、すぐに処置してもらえたのだから!

いいニュース: 来週月曜日、4月30日午後2:30、私はすべての治療を完了し、この6ヶ月間腕につけていたPICCを外すことができる。それから一月ほどで私の体の強さ/活力/健康は正常な状態に戻る。ああ、待ちきれない!!

-------------------

2007年4月17日 読んでもらいたいメール…

今回のことすべてを通じ、私はポジティブでいようととても努力してきた。しかしこのような状況で実際どれだけできているのかは分かりがたい。以下のメールを受け取って、少なくともここに書かれている瞬間におては、私は人生を楽しめているのだという希望を与え られた。

・・・昨夜(月曜)、私は偶然に大学から帰るあなたの車の数ブロック後ろを走っていました。それがあなただとは気付かずに、こんな風に思っていました。「ああ、あの人は本当にこの瞬間を楽しんでいるのね ・・・暖かい早春の夜にドライブしながら、屋根を開けて風に髪をなびかせ、顔に笑顔を浮かべて・・・たぶん奥さんと、それに小さな子供たちのいる家に向かっているんだわ・・・あれこそ人が生きるあり方だわ」。それからその車が左折したときに、それがあなただったことに気付いたのです。そして思いました。「あれはランディじゃない! あんなに幸せそうにして! (車の中に一人でいるけれど、誰からも見える道の上という)最も私的な面が外に現れたこの瞬間において、これ以上に人生を生きている人というのは想像できない。これ以上に人生がふさわしい人なんていないわ!」 あなたの幸福と人生を、私たちたくさんの者に分け与えてくださって本当にありがとう。あなたの知るよしのないことですが、昨夜のこの一瞬の光景が、どれほど私を高揚させ、人生のなんたるかを思わせたか・・・

 

2006年4月16日 さらに腫瘍専門医との素晴らしい面談

あとたった2週間で終わる。すべて順調だ。

-------------------

2007年3月30日 腫瘍専門医との素晴らしい面談

さらにいいニュース…血液検査の結果はすべて問題なく、医者と私は化学療法の最後の一ヶ月を「ボールを回して時間を潰している」ように感じている。さらに重要なのは、化学療法が終わればフラッグフットボールや、ウォーターパークや、スキューバダイビングに行ってもかまわないと言ってもらえたことだ(どうも彼は患者からそんなことを聞かれることはあまりないらしかった!)

-------------------

2007年3月26日 すべてのシステムが依然前進中

1週間前に、5-FU化学療法の最後の6週間の部分を開始した。今日血液検査をして、WBC(白血球数で、感染への抵抗力を示す)、ヘモグロビン(血液の酸素を運ぶ能力を示す)、マグネシウムレベルはいずれも許容範囲内だった。

最も重要なのは、体重が少し増えていることで、67キロになっていた。食欲刺激剤のメゲストロールを処方してもらったのが効いているようだ。一日中ブタみたいに食べながらわずかしか体重が増えないのは奇妙だが、これは私の体が現在食べ物をあまり効率的に処理できていないためだ。化学療法が終われば改善するはずだ。

-------------------

2007年3月17日 ポジティブでいることについて

多くの助けを受けて私はこの過程を進み続けることができた。どれほど多くの人が私を応援してくれているかということは特に励みになった。私が最初に診断されたとき、5年生きられる可能性は3%しかないと聞かされた。その時の私の反応は、「 私は勝つ手のないシナリオなど信じない」というものだった(スタートレックのファンなら、これが2番目の映画である「カーンの逆襲」からの引用であることがわかるだろう。この映画の中で宇宙艦隊の士官は 「コバヤシマル」と呼ばれるシミュレーショントレーニングを受けるのだが、そこではどんな選択をしようと、乗員全員が死ぬことになっている。カークがアカデミーの士官だったとき、彼はこのシミュレーションをプログラミングし直した。それは「 勝つ手のないシナリオなど信じない」からだ。

だから私がM.D.アンダーソンできつい状況にいたとき、下の写真を受け取ってどれほど勇気づけられたかを想像してほしい。手書きの文字が読み取れないなら、それはこう書いてある。「ランディに――私は勝つ手のないシナリオなど信じない――ビル・シャトナー」

ビルは実際だいぶ以前に私たちの研究室を訪れたことがあった。彼とチップ・ウォルターは、スタートレックに出てくるサイエンスフィクションの中で実現されているのは何かについての本 I'm Working on That を書いており、そのための調査をしていた時の話だ。彼は私たちの研究室でバーチャルリアリティをたくさん体験していった。

kirk ランディに

私は勝つ手のないシナリオなど信じない

ビル・シャトナー

-------------------

2007年3月13日 きれいなCTスキャン!

妻のジェイと私はヒューストンのM.D.アンダーソンがんセンターから戻ったところだ。CTスキャンはがんの再発をまだ示していなかった。血液中にCA 19-9の上昇も見られなかった。言い換えると、健康証明をもらったということだ。

これは私が「勝った」ことを意味しないが、まだ負けていないことを意味しているのは確かだ! 私の5年生存率は相変わらず45%のままだが、まだ勝利の道を進んでいるということだ。スキャンの厳しいところは、完全な記録が必要だということだ。がんが再び現れたらゲームオーバーで、私はおそらく数ヶ月以内に死ぬ。だから私は幸運を必要としているが、45%より分の悪い賭けなら人生ていくらでもしてきた。

ここピッツバーグで化学療法(5-FU)をあと6週間続ける。薬のため疲労が激しいが(毎日休息のため何時間か横になっている)、短い時間だけでも「自分」でいることができる。欠けているのは長く続くスタミナだけだ。いつものようにキャンパスで人と会っているが、仕事の多くは家でやっており、一日中メールを読んでいる。SIGCSEでAliceシステムについてプレゼンするためシンシナティまで旅行さえした。(Aliceチームに感謝。私が1/2のスピードで動いている間に、彼らは素晴らしい仕事をしてくれている。)

子供たち(ディラン、ローガン、クロエ)に付き合うのは消耗するが、一度に10分だけ遊び、それから休む、というのを繰り返している。子供たちはとても順調だが、これは私の素晴らしい妻のジェイが何事もないかのように見せるためどれほど努力しているかを示すものだ。

6月1日(化学療法が終わってから1ヶ月後)には、通常の活力レベルに戻ると医者は言っている。このニュースの感情面で素晴らしいところは、カレンダーを指さして「普段のランディが戻ってくるから、そのときのために活動を計画しよう」と言えるようになったことだ。普通に戻れるというのは小さな期待であってもすごい贈り物だ。

次のスキャンは4、5ヶ月後の予定だ(通常3ヶ月ごとだが、検査は - どういうわけか - ここだけスキャンの間に大きな間がある -- 個人的には、何か安堵を覚える!) ジェイと私はスキャンの日を前もって知らせないことにしたが、それはただ心配する人を増やすだけで、生産的でないからだ。結果はスキャンの後にポストする。

支援してくれるみんなにもう一度感謝したい。喜んで助けようという人がこんなにもたくさんいるというのは、本当に勇気づけられる。

ピッツバーグで一家幸せな一日を過ごしている!

 

-- ランディ



-------------------

3月1日 ランディの更新


引き続きいいニュースだ。今日5-FUから切り離された。2週間半置いて、それからまた6週間5-FUをやり、それで治療はすべて終わりだ! 月曜の血液検査はいい結果だった。ヘモグロビン、白血球、マグネシウムレベルはどれも許容範囲内だった。

疲労のため相変わらず1/2のスピードで動いており、胃腸の問題(腸の痛みと下痢)は残っているが、5-FUのよく知られた副作用なので、5月になればなくなると期待している(2週間半の休みはたぶん体が回復するのに十分ではない)。

子供たちが結膜炎にかかったみたいだ。幸い、これは私がかかってもたいした問題にはならない。
-----------------------------------------------------

2007年2月19日 - 更新

今日のニュースはみんな良かった - 白血球数もヘモグロビン数も先週から上がっている。5-FU化学療法を受けていながら、私の体は自ら修復しようと努めているようだ。あと9日で、5-FUの最初の5週間半のセッションが終わる。それからウェストポーチやチューブなしで3週間休む(これは子供たちともっと思いっきり遊べるということだ!)。

日によって疲労の度合いは大きく変わる - 先週の金曜は一日仕事し、とても調子が良かったが、週末は大部分横になって過ごした。今日は調子がよく、ジェイと一緒に一晩ミニ休暇に出かるつもりだい。彼女は私と3人の子供の世話を少し休むことができる。


それに晴れているし!!


----------------------------------

2007年2月9日 ランディ・パウシュの更新

クレアからみんなもっと様子を聞きたがっているというフィードバックをもらった。毎週クレアに近況を伝えるようにしよう。

今週はいいニュースがある。体力と胃腸が目に見えて良くなっており、これは素晴らしい。ベッドで休んでいる時間は短くなっており、家で椅子に座って仕事する時間が増えている。思い切って家の外に出ることもある。私は依然「正常」とはほど遠いが、毎日家の外に出ている。昨晩はカーネギーサイエンスセンターのイベントがあってUMPC SportsWorksに家族みんなで行った。

今日は妻のジェイと朝食に出かけて、普通の食事を取ることができ、後で強く痛むこともなかった。これは新しいことで、すごくありがたい。だからヒューストン以来、5-FU化学療法で傷つくよりも回復の方が大きいということだ。ピッツバーグはすごく寒いが、先週は珍しくずっと晴れていた。陽の光は大歓迎だ!

ああ、それから「踏んだり蹴ったり」のすごい例があった。私がヒューストンにいる間に、www.randypausch.comのドメイン登録が切れて、誰かスロバキアの人間が金目当てで横取りするという事件があった。ゲイブ・ユーのおかげで、取り戻すことができた。

ケン・ケネディがすい臓がんで亡くなったこと(http://tinyurl.com/yudcpn)と、ジム・グレイが海で行方不明になった(http://tinyurl.com/2hshgw)というニュースには、他のみんなと同様、悲しんでいる。ジム・グレイは私の論文審査委員であり、私が出会った中でも最も傑出した人物の一人だ。彼が見つかることを願っている。

 

----------------------------------

2007年1月31日 ランディの更新

治療のヒューストン(M.D.アンダーソンがんセンター)での部分を終えてひと月になる。一番辛い部分が済んだ。

様々な形で私と私の家族を助けてくれた人たちにお礼を言いたい。みんなの励ましや物的な支援があって、このとても挑戦的な道を進むことができた。とても感謝してる。

家で家族といられるのは素晴らしい。私の疲労(下記参照)は、3人の就学前の子供とその活動レベルを前に、挑戦を受けることになるけれど。以下に小さなわんぱくたちの写真を載せておく…

9日前、私は化学療法のピッツバーグ部分を開始した。これは4月末まで続くことになる(5.5週の間、フルオロウラシル、あるいは5FUと呼ばれる薬を投与し、3週間休んで、それから5.5週やる)。[ナード向け情報: これはウェストポーチに入れたポンプから継続的に注入する。このポンプはセグウェイを作ったディーン・ケーメンが発明したものだ。] この治療はそんなにひどいものではない(ヒューストンでは、この薬に加えてインターフェロンとシスプラチンを取り、さらに毎日放射線照射をしていた)。実際、ヒューストンから引きずっている影響の方が、現在の化学療法の影響よりも大きい。ヒューストンの化学/放射線療法で血液成分が減少し(特にヘモグロビンとマグネシウム)、そのためずっと疲れているような状態だ。夜は9-10時間眠っており、日中もある部分はベッドで休んでいる。私の消化器官はまだへたばった状態だが、痛みはゆっくりと少なくなっている。

ありがたいことに、ヒューストンの後3週間続いていた恒常的な吐き気はようやくなくなり、(ゆっくりとだが)体重も回復し始めている。一時は64キロにまで減ったが、現在は67キロになった。

この後何ヶ月かは虚弱状態が続くだろうが、その後は完全な状態に戻るはずだ(手術による消化管の小さな構造的変化は除く。私は胃の1/3と、小腸を数フィートと、胆嚢と、すい臓の1/3を恒久的に失った――だから食事するときにはすごく注意している)。いいニュースは、ヒューストンの化学/放射線療法は消耗させられるにしても、多くの場合、体に長期的なダメージは残らないということだ。

これらすべての中で特に重要なことは、私が治療をすべて「スケジュール通り」にやってこれたことで、長期的な可能性を増やす上でこのことは鍵になるのだ。様々な理由により、私が5年生きられる可能性は現在おおよそ50-50だ。医者は私に対して決して「治った」という言葉を使うことはないが、5年生き延びることができれば、再発の可能性はずっと低くなる。

50-50という勝算はすい臓がんになった人の多くよりはずっといい。そして私は自分がどちらに賭けるかわかっている!

助けてくれているみんなにもう一度ありかどうと言いたい。

 

----------------------------------------------------------------------------------

ランディは2007年1月22日月曜から化学療法を開始します。

----------------------------------------------------------------------------------

 

2006年12月30日

カードは自宅にお送りください。4932 Ellsworth Ave. Pittsburgh, PA 15213

ランディによる2007年1月2日の更新

治療が終わったことを喜びをもってお伝えしたい。儀式用の鐘があって鳴らせるようになっていた。写真を添付しておこう(だいぶやせた。83キロから67キロに減った)。この体験自体については、1985年の 理論試験の通過が私の人生で2番目に困難なことになったとだけ言っておこう…

ピッツバーグに今日(12月30日)戻ってきた。副作用(寝たきりになる疲労と、恒常的な吐き気)は、化学療法と放射線療法の影響が私の体からゆっくりと抜けるまで、まだ2週間くらい続くだろう。しかし重要な点は、私がすべての治療を受けることができたということだ(患者の多くはこの毒性に体が耐えられないために治療を中断ないしは中止している)。これは私が治療の恩恵を最大限に得られたということだ。

----------------------------------------------------------------------------------

2006年12月20日

ランディは12月29日か30日に治療を終えます。その後ピッツバーグに戻って治療を続け、回復に専念します。ジェイは子供たちと一緒に12月30日に帰ってきます。

---------------------------------------------------

2006年11月28日

ランディはほとんど中間点まで来ました。この金曜に、化学療法のはじめの半分を完了します。金曜の治療のあと、土曜日は休息し、日曜にノーフォークに向かい、家族と一週間過ごします。12月9日に戻ってきて2回目に取りかかります。化学療法による副作用が出ていますが、医者は彼が楽になり、体重を保てるようにと様々なことを試みています。

2006年11月22日 昨日はあまりいい日ではありませんでした。治療でランディは具合が悪くなりました。彼は長い時間眠っていますが、強い寒気を感じ、暖まることができません。体の震えが止まらないため、夜も昼も休むことができません。

2006年11月21日 ランディはうまくやっています。明日で治療が半分まで来ます。彼は化学療法を幾分の副作用だけでうまくしのげています。あなた方の送ってくださるカードやメモを彼はとても喜んでいます。その一つ一つが彼の一日を明るくしています。あまりに長くネットに接続してメールを読んでいるため、ジェイはコンピュータが煙りを出しはしないかと心配しています。彼のために祈ってください。

住所:

Randy Pausch
Rotary House
1600 Holcombe
Blvd
Houston, TX  77030


--------------------------------------------------- 

2006年11月16日

化学療法の3日目で、ランディは順調です。眠れない夜を過ごしましたが、日中は眠れました。
1回に1日取られます。トランプの本が役立っています。2人は時間を潰すためにゲームをいくつか覚えました。

--------------------------------------------------- 

2006年11月14日

昨日の夜ランディは最初の化学療法を受けました。治療は午後6時頃に始まり、1:30頃に終わりました。
夜遅くにです! 今日ランディは調子が良く、朝食を取りました。私がジェイと話している間、彼はメールを読んで返事を書いていました。

看護婦は化学療法が効き始めるにはしばらくかかると言っていました。

第一日が終わり、ランディはポジティブな気持ちで、実際すごくいい気分でいます。

次の更新をお楽しみに。



カードはランディに直接送ってください。
Randy Pausch
Rotary House
1600 Holcombe Blvd.
Houston, TX  77030

--------------------------------------------------- 

11月7日 ランディの更新


化学/放射線療法は昨日(11月6日)開始される予定だったが、1週間延期され、11月13日から始まる予定だ。
結果として、私はここに12月30日までいることになる(スケジュールがずれればもっと長く。これは起きうることだ)。
延期の理由はこの10日間に2回ほど「スキャンで影が見つかった。がんがすでに転移している可能性がある」
と言われたためだ。最初のは肺の上で、2番目のは肝臓の上だった。

幸い、どちらの場合も続けて行った試験により、がんは拡がっていないことがわかった。いい知らせは、
私がアメリカで最もスキャンされている男に違いないということだ。それだから本当にまだ拡がって
いないということがわかる。がんが他の器官に拡がった場合、治癒の見込みはなく、生きられるのは3-9ヶ月だ。
だからこの2回の「確認試験の結果を待っている」のが少しばかり…その…ストレスになったことを想像できるだろう。
感情的に疲れるにしても、これらの細かい試験は、私がここM.D.アンダーソンで受けている治療の徹底ぶりと
クオリティの高さを示すものだ。ここはその評判に違わない場所であり、医師やスタッフはみんな知識かあり、
取っつきやすくて、人間的な人たちだ。加えて、この病院ではどこでもwifiが使えるので、化学療法を
受けている間にもノートPCで作業ができる。すごくクールだ!

今週は化学/放射線療法に備え、休息と、前の状態まで体重を可能な限り戻すために使っている。
手術前は83キロあったが、今は71キロだ。十部生きてはいけるが、もう少し体重があった方がいい。
私に気遣い示してくれるみんなに感謝している。それは私の慰めとインスピレーションの源になっている。


	-- ランディ

 

photo of Randy

生きています
 +
励ましをありがとう!

 

 

---------------------------------------------------

10月27日 ランディ・パウシュの更新

親愛なる友人と同僚たちに

第一に私の診断以来溢れるような気遣いと助けを注いでくれる人たちにどれほど心を動かされたかをお伝えしたい。ジェイと私があなた方みんなにどれほど感謝しているか、言葉では伝えきれない。

私の手術はとてもうまくいった。医者が腫瘍をすべて取り除いてくれた。特に重要なのは、術後の治療としてよりよい選択肢を見つけられたことだ。最初診断されたとき(その時に書いたことが下の方にある)、私は手術が成功して腫瘍をすべて取り除いても、5年生きられる可能性が10-20%しかないと言われた。狂ったように調べ、5年生存率45%を達成している実験的な治療法があることを見つけた。これは本当に大きな進展だった。10月31日に私はヒューストンにあるM.D.アンダーソンがんセンターに赴く。そこでクリスマスまで治療を受けることになる。それから治療の最後の5ヶ月間の部分はピッツバーグに戻って受ける。

ヒューストンでの治療は7週間に渡る*極めて*毒性の高い化学療法/放射線治療になる。このプロセスを言い表すのに、何人かの医者が「死の瀬戸際まで追い詰める」ことになると言っていた。これはうれしい話ではないが、生きられる可能性を上げられるのであれば安いものだと思える。妻のジェイは治療の間私と一緒にヒューストンにいる。3人の子供たちはジェイの家族とバージニア州ノフォークにいる。ピッツバーグに戻ってからの5ヶ月間の治療は比較的おとなしいものなので、1月にはどうにか普通の生活に戻れるだろう。

11月1日から12月22日まで、物理的な手紙は以下の住所で受け取れる。

     Randy Pausch

     Rotary House

     1600 Holcombe Blvd

     Houston, TX

     77030

私はまたeメールも見ている。闘い続けている私に様々な支援を寄せてくれるみんなにもう一度ありがとうと言いたい。私はこの闘いに勝つつもりでいる!

       -- ランディ

 

-------- 背景:  9月始めに送られたメール -------------

親愛なる友人と同僚に、

このような一括送信のメールで恐縮だが、今のような状況では噂や誤った情報が瞬く間に広まるため、一括送信のメールはみんなに正しい情報を送れる最良の方法なのだ。

私は最近すい臓がん(腺がん)と診断された。いいニュースは腫瘍を外科的に除去可能な20%のすい臓がん患者の一人だということだ。手術はUPMC付属シェイディサイド病院で9月19日火曜日に予定されている。大きな手術になり、腫瘍(直径3mm)、胆嚢、すい臓の一部、小腸の一部、それに胃の一部も切除するかもしれない。病院に2-3週間入院し、それから4週間自宅のベッドで過ごす。この時点で肉体的には100%になる。手術でがん細胞をすべて取り除ければ、私の勝ちだ。そうでない場合には、やがてがんが再発するだろう。統計的には、長期的な予後はあまり薔薇色とは言えない。5年生きられるのは手術した人のほんの10-20%だ。言うまでもないが、私は生き残る幸運な一人になろうと思っている! この病気になる人の年齢の中央値は66歳なので、典型的な患者より私の可能性が高いと信ずべき理由がある(私は45であり、体が丈夫だ)。医者たちは手術後により強力な化学療法や放射線療法を使うことができる。妻のジェイと私にとって、私のいない2ヶ月の間子供たち(4歳のディラン、2歳のローガン、4ヶ月のクロエ)の世話をするための環境の整備が現在の主な関心事になっている。このニュースがいいニュースでないのは確かだが、みんなには私の口から、正確な情報を伝えたかった。手術前にやっておかなければならないことが山ほど残っている。だからしばらくは電話やメールに答えられないことを容赦していただきたい。この情報をしかるべき人に伝えていただきたい。

 

-- ランディ

 

-----------------------

2006年10月5日


ランディとジェイは家の改築の間住んでいたノーサンバーランドの借家のリースが残っています。12ヶ月リース契約
する新しいテナントが見つかればリースを解約できます。CMUに近い素敵な家を探している人に心当たりがあれば、
jkh@cs.cmu.eduまでメールしてください。

広い5ベッドルーム、4.5バスのビクトリア様式の家で、スクワーレルヒルの「フォーブス通りの北」の区画のとても
いい場所にあります。カーネギーメロン大学まで歩いて8分、公共のゴルフコースから1ブロックのところにあります。
大きなリビング、地下室、暖炉、中央空調、2台分のガレージ、プライバシーの保てる囲いのある裏庭。
絶好の環境。2,000ドル/月。

 

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

追加情報

ランディの手術はウィップル手術としてよく知られているものです。以下のリンク先にどんなものか説明があります。

手術

 

 

ランディ・パウシュ

2006年9月19日に手術予定

ピッツバーグ大学メディカルセンター(UPMC)付属シェイディサイド病院

 

何かしたいという方はお知らせください。必要なときにヘルパーをしていただける方のリストを作るつもりです。

このページは時々更新します。最新情報をお知りになりたければ、このページをブックマークしてチェックするか、8x9656まで電話してください。

お見舞いの品は私宛にお送りください。

 

クレア・シュルーター,

School of Computer Science,

Carnegie Mellon University,

5000 Forbes Avenue, 225 Smith Hall,

Pittsburgh, PA 15213

 

9月19日。手術は午前7時の予定です。ランディの手術は最低でも6時間続きます。手術の後、少なくとも4時間は術後室にいます。術後室にいる間は奥さんも面会できません。そのため、火曜日遅くか、水曜の朝までお知らせできることはないでしょう。術後室の後は数日間集中治療室にいます。面会はできません。

 

すべきでないことと、できること: 花や果物のかご、食べ物をお持ちにならないでください。カード、読み物、商品券、ヒルマンがんセンター(http://www.upmccancercenters.com/giving/index.html)への寄付は歓迎します。

 

ヒルマンセンターについて:
ヒルマンがんセンターはがんの治療、研究、介護における国際的なリーダーです。ピッツバーグがん研究所(UPCI)は国立がん研究所から優れた包括的がんセンターに指定されている西ペンシルベニアで唯一のセンターです。UPCIと足並みをそろえるのは、アメリカで最大、かつ最も活発ながんセンターネットワークであるUPMCがんセンターで、毎年新たに3万7千人の患者を治療しています。このネットワークには地域全体に渡って43のセンターがあり、ヒルマンがんセンターはその中の中心的なセンターです。

 

カードはスミスホール225の私 のところにお持ちになるか、学内便で私宛にお送りください [クレア・シュルーター]

 

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

最新情報..........................
 

手術日.........................本日

手術は朝早く始まり、お医者さまが開けて見たところ、がんは拡がっていないことがわかり、喜んでおられました。彼らは手術を続け、腫瘍その他何でも取るべきものを取り除きました。手術室からの最新の情報(午後1:35)では、ランディの手術は成功ということで、手術チームは現在すべて縫い合わせる作業をしており、手術は少なくともあと2、3時間は続きます。

新しい情報が入り次第お知らせします.......

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

9月19日火曜 午後4:30

ランディは手術を終え、医師たちは手術が成功したのを喜んでいます。ランディは術後室で休んでおり、この後集中治療室に移されます。集中治療室には2日間いる予定です。

新しい情報が入り次第お知らせします.......

---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

9月20日 水曜

ランディは集中治療室におり、目を覚まし、意識があり、痛みは除かれています。高校時代の親友がここにいて、付き添っています。彼の容態がこのまま良好であれば、1日か2日で通常の病室に移されます。

ジェイは日に3、4回、子供たちの活動とお昼寝の合間にやってきます。現在他の方の面会は許可されていません。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

9月21日 木曜

今日ランディは不機嫌で、少し落ち着かないようです。大きな手術をした2日後です。無理もありません。彼はまだ集中治療室で様々な装置につながれています。不機嫌なのはいいことです。

9月21日 木曜

午後4:00 - ランディは起きて歩きました。今日2度目です。お医者さまは少なくとも4回は歩くのを見たいと言っておられました。あと2回です : )  彼は起きて座っています。

今のところ口から飲み物を飲むことは許可されておらず、スポンジで唇をぬらすだけです。明日は指ぬきくらいの量の水を試すかもしれません。

お医者さまは彼の経過をとても喜んでいます。明日には部屋を移るかもしれません。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

9月22日 金曜

ランディはもう少し集中度の低い集中治療室に移されました。とても順調です。起きて動き回っています。それくらいいいのです。医師は彼の回復ぶりをとても喜んでいます。予定されていた入院期間が短縮されるかもしれないとのことです。私たちは見守るだけです。

もうしばらくお待ちください…!

さらに素晴らしいニュースが聞けることを!!!


金曜の午後…
ランディは具合がずっといいようです。髪を洗い、ひげを剃って、前より長い時間歩き回り、ベッドに横になっているよりも椅子に座っていることが多いです。モニタ装置がいくつか取り外されたので、動きやすくなっています。彼の回復ぶりは驚くほどです。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

9月25日 月曜

ランディは順調です。彼は調子が良く、座ったり、廊下を行ったり来たりしています。信頼できる筋の情報によれば、普通の食事をしているとのことです(少なくともエンドウ豆とマッシュポテトは食べています)。まだすぐに疲れてしまいますが、全体としてとてもいい具合です。


PS: この食事はあまりいい結果になりませんでした。ひどい夜を過ごしたようです(日曜)。

 

9月25日 月曜 午後4:00

ランディは今日はあまり良くありません。彼の胃は流動食を十分早く処理できないので、吐かないようにするため、チューブを鼻から胃に通して流動食を吸い出すようにしました。痛みを除くため、再びモルヒネの点滴をしています。全体として、この24時間は大変で、消耗しています。体重が減らないように、小腸に栄養チューブを挿してカロリーが取れるようにするかもしれません。明日どうなるかわかります。

 

9月25日 月曜


これはとても、とても、とても重要な更新情報です。面会はできません!!!!!!!! 面会は彼の回復の妨げになる可能性があります。彼の進展が肯定的なものであることはわかっていますが、面会はできません。準備が出来ていないのです。彼はいい日を過ごしていますが、疲れすぎると悪い影響が出ます。

面会できるようになったときには、ご家族から私に知らせてもらえることになっています。ランディは順調ですが、回復の道のりはまだまだ長いのです。

面会できないというのはあなたもだということをお忘れなく。

ランディを気遣っていることを彼に知ってほしいのであれば、私宛にカードか伝言をお送りください。間違いなく奥さんにお渡しします。


----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

9月26日 火曜 (1週間目)

ランディはいい朝を迎えました。お医者さまがいらしています。酸素は良好です。ヘモグロビンはまだ低いですが、今日は上がるかもしれません。

ご家族はまだ面会なさらないでとのことです。


他のCMUのプロジェクトやがんとの闘いを支援する方法についてはこちらをご覧ください。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

9月25日火曜日夜 / 26日水曜早朝

お医者さまたちはすごく少なくなっているランディのヘモグロビンを観察しています。昨日ランディの胃を空にして流動食の摂取と排出を調べました。彼は何も食べておらず、流動食しか取っていません。少し気分は良くなっていますが、とても疲れていてまだ吐き気があります。回復に専念しており、他のことはあまりしていません。

ランディは読書その他のことをしようと思わなかったので、彼がそうできる力が戻るまでジェイがカードやメールを預かっています。私は手紙やメールをランディが読めるようになったときのためにまとめています。

今日ジェイと話したときに、もう少し何かわかるかもしれません。

面会できないことをお忘れなく。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

9月27日 水曜

午後4:00。

今日ランディはお医者さまの指示で歩き回りましたが、まだとても疲れています。排水のためにのどから胃に通したチューブをまだ付けています。全体としては順調です。今日彼はカードを全部読むことができ、受け取ったメッセージを集めました。見てとても喜んでいました。皆さんにありがとうと言っています!

現時点では面会できません。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

9月28日 木曜

今日ジェイが病院に着いたとき、ランディの部屋はきれいで、彼の姿がありませんでした。ジェイは廊下を何度も行き来している彼を見つけました。これはいいことです!

胃の内容物を取り除くための経鼻胃チューブは外されましたが、点滴は付けたままです。また、痛みを除くためのモルヒネの点滴/PCA(自己調節鎮痛法)をまだしています。今では口から飲み物を飲むことができます。

今日は調子が良く、いつもより少し活力があるように見えます。まだすぐに疲れてしまいます。ご家族はまだ面会なさらないでとのことです。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

9月29日 金曜……

 

目撃者の報告…

ランディは今日は本当に調子がいいようでした。フロアを一度に8周から10周できるくらい疲れていませんでした。
でもまだ胃腸は調子が悪いので、清澄流動食を取っています。もどさないように取る量を制限しています。外科の
お医者さまが立ち寄ってランディは順調に回復していると言い、流動食の量を増やすように指示されました。消化
管合併症は10%のケースで起きており、いつも解決しているとのことです。たぶん月曜までには胃腸の問題は治る
見込みだそうです。他にも血糖値やヘモグロビンレベルをチェックしています。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2006年10月2日 月曜

 

日曜の午後経鼻胃チューブがランディの胃から取り除かれました。飲んだものをもどすこともなく、うまくいっているようです。固形の食べ物も少し食べられるようになりました。

今日の午後にランディは病院から開放されて家に戻っています。別ないい知らせとして、手術箇所の周囲の細胞の生検結果が陰性でした。これは素晴らしいニュースです。

お医者さまは彼が順調だと言っています。

ご家族はまだ面会なさらないでとのことです。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

10月3日 火曜

 

これは今しがたランディから受け取ったメールです。

病院から家に戻れたことを喜びをもってお伝えしたい。第一に私の心配をしてくれたみなさんに深く感謝している。とくにジェイの手助けを申し出てくれた人には感謝している。彼女は3人の小さな子供の面倒を見ながら入院した夫の世話を見事にしてくれている。まったくすごい女性だ。

私の手術はうまくいったが、すっかり回復するのにはさらに6週間ほどかかる。それまでは家でずっと休んでいる(ベッドから出ていられるのは1日に1-2時間で、階段をちょっと上っただけですっかり疲れ切ってしまう)。5ポンドより重いものを持つことは禁じられている。4.5ポンドのThinkPadがあるのをありがたく思っている ;-) 他の人が載せてくれるなら子供を膝に座らせるのは許可されている。子供たちはパパが家に帰ってきたのをとても喜んでいる!

みなさんに面会を自重していただけたのはありがたく思っている。私たちは少なくともあと1-2週間は「面会謝絶」プランを続ける必要があると思っている。私は精神的にはすごくいい状態だが、ただ一日中ほとんど疲れ切っている状態だ。

カードを送ってくれたりその他心配してくれた人たち、助けを申し出てくれた人たちみんなにもう一度感謝したい。このような友人の大きなコミュニティを持っていることがこの苦難を乗り越える上でどれほど助けになったかは計り知れない。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

2006年10月9日

ランディは引き続き自宅で休息し、回復に努めています。彼は歩き回ったり、階段を上り下りすることができます。今一番重要なのは休んで体を治すことです。今週はお医者さまと面会する予定ですので、今週の後半に何か情報が得られるかもしれません。

 

2006年10月10日

ランディは日々体力をつけています。短い散歩ができるようになりました。歩道を歩いているのを見かけたという情報があります。彼はまだ疲労しており、休息が必要ですが、毎日良くなっています。それから彼はメールや質問への回答にも時間を使っているとのことです。

 

-------------------------------------------------------------------

2006年10月13日

ランディは10月12日木曜に術後最初のがん専門医の問診を受けました。手術からの回復は順調です。

化学療法の開始は手術から12週間以上置かない方がよいとのことです。この後何週間かのうちに、ランディとジェイはがんとの闘いを次にどう進めるか決めることになります。ランディはもちろん山ほど事前調査をし、様々な治療の選択肢について医師と相談しています。

また情報があればお知らせします…

 

2006年10月18日

昨日と今日、パウシュ家は一時的な住まいから本来の家への引っ越しをしました。たくさんの友人の方々が時間をさいて荷物の整理を手伝いにこられました。ランディは今日、こう知らせてくれました…

まだ「段ボール箱なし」にはなっていないが、もうじきだ!


またの情報をお楽しみに。

 

----------------------------------------------------------------------------------------------

2006年10月25日

 

ランディはヒューストンでM.D.アンダーソンプロトコル治療の患者として受け入れられました。

1週間の予備的な試験のため10月30日月曜に行く予定です。その次の月曜から化学療法を始めます。ヒューストンには6週間半滞在することになります。そこでのスケジュールがどのようなものになるのか私はよく知りません。

ジェイがランディといっしょにいながら子供たちの世話が出来る環境を作る方法を2人は探しています。来たる休日には、自宅とヒューストンを行ったり来たりと旅行をたくさんすることになります。

次の更新をお待ちください。

 

 

 

(原文: Randy Pausch's Update page  訳: 青木靖)