スナップショット Viaweb 1998年6月

Paul Graham / 青木靖 訳
2012年1月

1998年6月、Yahooによる買収が発表される数時間前にViawebのサイトのスナップショットを取った。いつか興味深く振り返る時があるかもしれないと思ったのだ。

最初に気づくのはページの小さいことだ。1998年当時は画面がずっと小さかった。私の記憶が正しければ、Viawebのフロントページはその頃一般的だったウィンドウサイズにぴったり合わせてあった。

当時のブラウザ(IE6が出るのはこの3年後)はフォントの種類がわずかで、アンチエイリアスもされていなかった。ページを見栄え良くしようと思ったら、文字を画像にする必要があった。

ViawebとY Combinatorのロゴが似ていることに気づいたかもしれない。YCを始めたとき、ロゴを一種内輪ネタのように決めたのだ。赤い円というのがどれほど基本的なイメージであるかを考えると、Viawebを始めた頃それをロゴに使っている会社がほとんどいないのを不思議に思っていたが、しばらくしてその理由に気づいた。

会社情報のページにジョン・マッカーティアムなる謎の人物が出てくる。ロバート・モリス(通称Rtm)はインターネットワームの一件以来件表に出ることを嫌っていて、自分の名前をサイトに出したがらなかった。私はどうにか彼を妥協させて、彼の経歴を仮名で載せることにした。その後は彼もあまり気にかけなくなった

トレバーは買収と時を同じくして大学院を修了し、4日間で金欠の院生から億万長者の博士へと変わった。私のプレスリリース作者としてのキャリアの頂点は、ミーティングの間に画いた彼の似顔絵を付けた博士号取得祝福の記事だ。

(トレバーはまた、商店主がオンラインストア構築のために雇えるWebデザイナのリストにもトレビノ・バグウェルとして登場する。競合がうちのWebデザイナたちにスパムをよこさないかチェックするために入れておいたのだ。彼のロゴではストアの見栄えがかえって悪くなるだろうと思っていたが、そんなことはなかった。)

90年代にユーザを得ようと思ったら雑誌や新聞に載る必要があった。今みたいにネット上で見出されるというのとは違っていた。だから私たちはPR会社に月1万6千ドル払ってメディアに取り上げられるようにしていた。幸い記者たちは私たちを気に入ってくれていた

検索エンジンからトラフィックを導き入れるためのストアへのアドバイスの中で (SEOという言葉はまだなかったと思う)、重要なのはYahoo、AltaVista、Excite、WebCrawler、InfoSeek、Lycos、HotBotの7つだけだと書いていた。何か欠けているのに気づいただろうか? Googleが設立されたのはその年の9月だった。

私たちはCybercashという会社を使って決済できるようにしていた。この機能がないとサービス比較で負けてしまうからだが、Cybercashはあまりにお粗末だったし、ほとんどのストアは販売量が少なかったので、電話注文同様に処理した方が良かった。ストアに対してリアルタイム認証を避けるように勧めたページがあった。

サイト全体が漏斗のように構成されていて、お試しのページへと導かれるようになっていた。ソフトウェアをオンラインで試せるというのは新しいことだった。動的URLの中にcgi-binというのを入れて、そのソフトがどう動いているのか競合の目を欺いていた。

ユーザの中にはいくつか有名どころがあった。言うまでもなく、フレデリックス・オブ・ハリウッドがトラフィックの大部分を占めていた。大手は一律300ドル/月という料金体系だったので、トラフィックの多すぎるユーザはちょっと気がかりだった。フレデリックス・オブ・ハリウッドのトラフィックがどれくらいのコストになっているのか計算したことがあるが、それはほぼ300ドル/月だった。

ストアはすべてうちでホストしていたので、全部合わせたページビューは1998年6月時点で月1千万を越えており、当時としては相当な通信容量を使っていた。会社に2つのT1回線(3Mbps)を引いていた。当時AWSはなく、コロケーションサーバさえ、トラブルが起きる頻度を考えるとリスクが高すぎると思われた。それで会社にサーバを置くことにしたのだ。正確にはトレバーの部屋だ。他の人間と部屋を共有せずに済む特権と引き替えに、彼はうなりを上げる6つのタワーサーバと部屋を分け合わなければならなかった。その熱気のため、彼の部屋を「湯船」と呼んでいた。たいていの場合は窓に積み上げたエアコンでどうにかなっていた。

ページ記述にはRTMLというテンプレート言語を使っていた。何かの略語ということになっていたが、実際はRtmにちなんで私が名付けたのだった。RTMLはマクロやライブラリで拡張したCommon Lispだったが、構造エディタで構文があるかのように見せかけていた。

継続的リリースをしていたので、ソフトウェアには実際バージョンがなかった。しかし当時の業界紙はバージョン番号を期待していたので、適当にでっち上げていた。注目を集めたいときには整数のバージョン番号を付けた。ちなみにあの「バージョン4.0」のアイコンはうちで提供していたアイコンジェネレータで作ったものだ。Viawebのサイト自体うちのソフトで生成されていた。オンラインストアではないわけだが、ユーザがしていることを体験したかったからだ。

1997年の末にShopfindという汎用ショッピング検索エンジンをリリースした。当時としてはかなり先進的なもので、異なる種類のストアをクロールして商品を拾い出すプログラム可能なクローラーを備えていた。

 

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オリジナル:  Snapshot: Viaweb, June 1998