スタートアップを始めない理由が間違っている理由

Paul Graham / 青木靖 訳
2007年3月

(このエッセイは2007 Startup SchoolとBerkeley CSUAで行った講演を元にしている。)

私たちはY Combinatorを十分長くやってきたので、成功率について話せるくらいデータがたまった。最初に投資をした2005年夏のグループには8つのスタートアップがあった。現在ではそのうちの少なくとも4つは成功しているようだ。この中の3つはすでに買収されており、Redditは2つの会社、RedditとInfogamiが合併したものだ。3番目のやつについてはまだ買収先を話せない。最後の1つはLooptで、これは非常にうまくいっており、その気があれば10分以内に買収先を見つけられるだろう。

だから最初の夏の創業者たちのうちの半分くらいは、2年もしないで金持ちになったことになる。少なくとも彼らの基準で言えば。(金持ちになってみて学ぶことの1つは、金持ちにも多くのレベルがあるということだ。)

私たちの成功率が50%という高い水準を保つだろうとはまだ言いかねる。第1弾は例外だったのかもしれない。しかし成功率はよく言われている(そしてたぶんでっち上げの)数字である10%よりは高いものになるはずだ。25%は楽に狙えると思う。

そして失敗した創業者達でさえ、そんなにひどい目にあったというわけではない。最初の8つのスタートアップのうちの3つは今では死んでいる。2つのケースでは創業者たちが夏の終わりに他の方面に進むことにしたというだけだ。彼らがこの経験によってトラウマを負ったとは思わない。トラウマ的失敗に一番近いのはKikoだろう。創業者たちはこのスタートアップのために丸一年働き、そしてGoogle Calendarによって叩きつぶされた。しかし彼らも結局はハッピーになれた。彼らのソフトウェアがeBayで25万ドルで売れたのだ。エンジェル投資家たちにお金を返したあとでも、彼らの手元には1年分のサラリーくらいのお金が残った。[1] 彼らはそのあとすぐにもっとエキサイティングな新しいスタートアップを立ち上げた。Justin.TVだ。

したがって、数字はさらに衝撃的なものになる。最初のグループでひどい経験をした者は0%なのだ。すべてのスタートアップの習いとして、彼らにはいいこともあり、悪いこともあったが、彼らの中でそれをキュービクルでの仕事と取り替えようと思う者はいないだろう。そしてこの数字はおそらく例外的なものではない。私たちの長期的な成功率が最終的にどんなものになるにせよ、普通の仕事をしていれば良かったと思う者の割合は0%に近いままだろう。

だから私にとっての大きなミステリーは、どうしてもっと多くの人がスタートアップを始めようとしないのか、ということだ。スタートアップを起こす人のほとんどすべてがそれを普通の仕事よりも好んでおり、かなりの割合の人が金持ちになっているというのに、どうしてみんなやりたいと思わないのだろう? 多くの人は、投資のラウンドごとに私たちの元には何千という応募が来ているのだろうと思っているようだが、実際はほんの数百だ。どうしてもっと多くの人が応募してこないのだろう? そしてスタートアップの世界を見ている人にはスタートアップが狂ったように生まれ出ているように見えているのだろうが、必要なスキルを持った人の数に比べればずっと少ないのだ。プログラマの大多数は、大学を出るとまっすぐキュービクルへと向かい、そしてそこに居続ける。

人々はどうも自分の興味に従って行動しているのではないらしい。いったいどうなっているのだろう? この疑問については、答えられると思う。Y Combinatorはベンチャー投資プロセスの最初の部分に位置しているため、会社を始めたいのか確信を持てない人の心理について、私たちはエキスパートなのだ。

別に確信がないことに悪いことは何もない。スタートアップを始めることを考えているハッカーであって、その溝を跳び越えるのにためらいを感じているなら、あなたは大きな伝統の一部なのだ。ラリーとサーゲイはGoogleを始める前に同じように迷っていたし、ジェリーとファイロもYahooを始める前に同じように迷っていた。実際、最も成功したスタートアップの多くは、自信満々のビジネスガイによってではなく、確信のないハッカーによって始められているのだ。

このことの裏付けになる事実がある。私たちが投資した最も成功したスタートアップの人たちは、応募を決めたのが最後の最後の瞬間だったと後になって話してくれた。締め切りのほんの1時間前に決めたという人さえいる。

確信のなさに対処する方法は、その不安をコンポーネントへと分解することだ。何かをするのに気が進まない人の多くは、8つくらいの異なった理由が頭の中に入り交じっていて、どれが一番大きな要因なのか自分でもわかりかねているものだ。その中にはもっともな理由もあれば、実体のない理由もある。しかしそれぞれの要因の相対的な割合が分らなければ、確信がないことが全体として大方もっともなことなのか、それとも大方実体のない不安なのかも分らない。

だからスタートアップを始めるのを躊躇させる要因をすべてリストアップし、どれが本質的なものなのか説明することにしよう。そうすれば創業者になりたいと思う人が自分の気持ちを確かめるためのチェックリストとして使えるだろう。

私の狙いがあなた方に自信をつけさせることであるのは認めよう。しかしこれがよくある自信をつけるエクササイズと違っている点が2つある。1つは私には正直であろうとする動機があるということだ。自信をつけ させるビジネスをしている人の多くは、あなたがいかにすばらしいかを教えてくれる彼らの書いた本の代金やセミナー参加費をあなたが払った時点で目的を達している。一方、スタートアップを始めるべきでない人たちにスタートアップを始めるように私が勧めるなら、私は自分の生活を悪化させることになる。あまりに多くの人にY Combinatorに応募するよう励ますなら、彼らの応募すべてに目を通す私の仕事が単に増えるだけだ。

もう一つ違っている点は私の姿勢だ。ポジティブになろうとするかわりにネガティブになろうと思っている。私は「やってみようよ、君ならきっとできるさ」とは言わない。私はあなたがやろうとしない理由のすべてについて考え、その多くは——全部ではない——無視できる理由を説明する。まず誰もが生まれながらにして持っている理由から始めよう。

 

1. 若すぎる

多くの人が、自分はスタートアップを始めるには若すぎると考える。それが正しい場合も多い。世界的に見て中央値は27歳くらいだ。だから1/3くらいの人は本当に若すぎると言えるだろう。

若すぎるとはどういうことだろう? Y Combinatorで目指していたことの1つは、スタートアップ創業者の年齢の下限を見出すということだった。私たちには いつも投資家たちが保守的にすぎるように思えた。彼らは大学院生や学部学生に投資すべきときでも、大学教授に投資したがった。

この範囲を押し広げていく過程で私たちが見出したのは、限界がどこにあるかということではなく、限界が曖昧だということだ。限界は16あたりかもしれない。私たちが18より下の人たちを対象としないのは、彼らが法的に契約を結べないからだ。私たちがこれまでに投資した中で最も成功した創業者であるサム・アルトマンは、当時19歳だった。

しかしサム・アルトマンは例外的なデータポイントかもしれない。彼は19のときでも、内面的には40くらいに見えた。一方で19歳であっても内面的には12くらいの人たちだっているのだ。

ある年齢を超えた人を指す「成人」という言葉があるのには理由がある。人が越える境界というものがあるのだ。それは伝統的に21に固定されているが、実際には異なる人は異なった年齢でこの境界を越える。そしてこの境界を越えていれば、年齢に関わりなく、スタートアップを始められる年なのだ。

それはどうすれば分るのか? 大人扱いできるか調べられるテストが2つある。実はこれらのテストの存在に私が気付いたのは、サム・アルトマンに会ってからだ。彼に対していると、何かもっと年長の人と話しているような気がしていた。後になって、自分は何を基準にそう思ったのか疑問を持った。彼が年長に思えたのは何によってなのだろう?

大人扱いのためのテストの1つは、まだ子供のすっぽかしの名残を持っているか見るということだ。小さな子供は、何か難しいことをやるように言われたとき、泣いて「できないよ 」と言えば大人はたいてい免除してくれる。子供には魔法のボタンがあって、「ぼくは子供なんだ」と言ってそのボタンを押せば、ほとんどの難しい状況から開放してもらえる。しかし成人の場合、すっぽかしは許されない。もちろん相変わらずやる人もいるが、そうすると無慈悲に切り捨てられることになる。

成人かどうか言うためのもう一つの方法は、挑戦に対してどう反応するか見ることだ。まだ成人にならない人は、大人に挑戦されると、彼らの支配を認めるような仕方で反応する。大人が 「ばかげたアイデアだ」と言うなら、子供は脚の間にしっぽを挟んで引き下がるか、あるいは反抗する。しかし反抗は従属と同様、下位にあることを意味するのだ。「ばかげたアイデアだ 」に対する大人の反応は、相手の目を見て、「そうですか? どうしてそう思われるんです?」と聞くことだ。

もちろん挑戦に対して子供じみた反応をする大人はたくさんいる。あまりお目にかからないのは、挑戦に対して大人のように反応する子供だ。そういう人を見つけたなら、その人は年齢に関係なく大人なのだ。

 

2. 経験がない

私は以前、スタートアップ創業者は少なくとも23であるべきだと書いたことがある。そして自分の会社を始める前に何年か別な会社で働くべきだと。今ではもうそうは思っていない。私が考えを変えたのは、私たちが投資したスタートアップの例を見てのことだ。

今でも21よりは23の方がいいとは思っている。しかし21歳の人が経験を積む一番いい方法は、スタートアップを始めることなのだ。だから、逆説的ではあるが、スタートアップを始めるための十分な経験がないなら、スタートアップを始めるべきなのだ。これは普通の職に就くよりも、はるかに効果的に未経験を治療してくれる。普通の職というのは、実際にはスタートアップを始めにくくしてしまうかもしれない。働き場所としてのオフィスと、どんなソフトウェアを書くか指示するプロダクトマネージャを必要とする飼い慣らされた動物にあなたを変えてしまうことによって。

このことを私に確信させたのはKikoの創業者たちだった。彼らは大学を出てすぐにスタートアップを始めた。彼らは経験のなさからたくさんの誤りを犯した。しかし1年後に私たちが彼らの2番目のスタートアップに投資する頃には、彼らはものすごく手強い連中になっていた。彼らは間違いなく飼い慣らされた動物ではなかった。彼らが働いていたのがMicrosoftだったなら、あるいはたとえGoogleであったとしても、彼らがこれほど大きく成長することはなかったと思う。彼らはいまだ自信のない下級プログラマでいたことだろう。

だから今では、私は大学を出たらすぐスタートアップを始めるようにアドバイスしている。リスクを取るのに若いときほどいい時はない。確かに失敗するかもしれない。しかし失敗した場合でさえ、就職するよりも早く、究極の目的にたどり着くことができるだろう。

こう言うのは少し懸念を感じないわけではない。実質的にこれは、私たちの費用持ちで失敗を通じて学ぶようにと勧めるようなものだからだ。しかしこれは真実なのだ。

 

3. 十分な決意がない

スタートアップ創業者として成功するためには相当な意志が必要だ。これはたぶん成功を占う一番いい指標になると思う。

起業をやってのけられるだけの意志のない人もいる。これは私には確信を持って言うのが難しいのだが、それは私自身ははっきりと意志を持っており、そうでない人の頭の中がどうなっているのかわからないからだ。しかしそういう人がいるだろうことはわかる。

ハッカーの多くは自分の意志を過小評価していると思う。スタートアップの運営に慣れるにつれ、目に見えて意志が強くなっていく人を多く見てきた。私たちが投資した何人かは、最初は200万ドルで買収してもらえたら大喜びというようだったのが、今では世界支配に狙いを定めている。

自分が十分な意志を持っているかはどうすればわかるのだろう? ラリーとサーゲイでさえ、最初会社を始めることに迷っていたというのに? これは推測だが、自分のプロジェクトに取り組むことに十分強い動機づけを感じるかどうかがテストになると思う。ラリーとサーゲイは自分たちが会社を始めたいのか確信がなかったかもしれないが、彼らは指導教官の命令におとなしく従うだけのリサーチアシスタントではなかった。そして彼らは自分のプロジェクトを始めたのだ。

 

4. 頭がそんなに良くない

スタートアップの創業者として成功するためには、それなりに頭がいい必要があるかもしれない。しかしそれについて懸念しているようなら、あなたはたぶん間違っている。スタートアップを始められるほど頭が良くないかもしれないと心配しているくらいなら、あなたはたぶん十分頭がいいのだ。

何にせよ、スタートアップを始めるのはそんなに知性を要求されることではない。スタートアップの種類によっては必要となる場合もある。Mathematicaを作るつもりなら、数学で秀でている必要があるだろう。しかし多くの会社はもっと日常的なことをやっており、そこで決定的要因になるのは頭脳ではなく努力だ。シリコンバレーはあなたの見方を歪めてしまうかもしれない。シリコンバレーには頭の良さに対するカルトがあって、頭の良くない人たちでさえ、少なくとも頭が良さそうに振る舞っている。もし金持ちになるには高い知性が必要だと考えているなら、ニューヨークやロサンゼルス みたいなもっとおしゃれな場所で何日か過ごしてみるといい。

技術的に難しい何かをするスタートアップをやれるほど頭が良くないと思っているなら、エンタープライズソフトウェアを作ればいい。エンタープライズソフトウェア企業というのはテクノロジー企業ではないのだ。彼らはセールス企業であり、セールスでは努力がものを言うのだ。

 

5. ビジネスについて何も知らない

これもまた、係数が0であるべき変数だ。スタートアップを始めるのにビジネスについて何か知っている必要はない。最初のうちは製品に集中すべきなのだ。このフェーズにおいてあなたが知っている必要があるのは、人々が欲しがるものをどうやって作るかということだ。それに成功したなら、どうすればそこから金を引き出せるか考える必要があるが、それは簡単なことであり、その場になればどうにかできる。

私は創業者たちに、ただ優れたものを作り、金儲けのことはあまり心配するなと、かなりうるさく言っている。そしてあらゆる経験的な証拠が、そのことを示している。人気になるものを作るスタートアップの100%が、そこからどうにかして金を稼ぎ出しているのだ。そして買収者たちが私に個人的に言っているのは、彼らがスタートアップを買うのはその収入のためではなく、戦略的価値のためだということだ。それはつまり、彼らが人々の欲しがるものを作っているから、ということだ。買収者たちはこの法則が彼ら自身にも当てはまることを知っている。ユーザがあなたを気に入っているなら、あなたはどうにかしてそこからお金を得ることができる。そしてユーザがあなたを気に入っていないなら、世界で最も巧みなビジネスモデルだろうと、救いにはならない。

ではどうしてこう多くの人が反論しているのだろう? 1つの理由は、20歳の連中が金にならないクールなものを作って金持ちになるという考えが彼らには気に入らないのだと思う。そんなことが可能であって欲しくないのだ。しかしどれほど可能であるかは、どれほどそうあって欲しいと思うかに依存するわけではない。

感化されやすい若いハッカーを破滅に導く無責任な笛吹男のように言われることをずっと煩わしく思っていたが、今ではそのような議論が起きること自体いいアイデアであることの徴だと思うようになった。

もっとも価値ある真実は、多くの人が信じないような真実なのだ。過小評価されている株のようなものだ。そういうアイデアで始めればその領域全体が手に入る。だから自分ではいいアイデアだと分っているがみんな認めないようなものを見つけたなら、単に彼らの反対を無視するというだけでなく、その方向に積極的に進むべきなのだ。今の場合、それは人気になるだろうが金を得られそうにないアイデアを探すということだ。

あなたが人気になるものを作ったのに私たちがそこから金を得る方法を見つけられないなんてことにはならないよ。賭けてもいい。

 

6. 共同創業者になる人がいない

共同創業者がいないというのは本当の問題だ。スタートアップを1人で持ちこたえるというのは難しすぎる。私たちは他の投資家たちと多くの点で違った考えを持っているが、この点についてはみんな考えが同じだ。投資家は誰であれ例外なく、共同創業者がいない場合よりいる場合の方が投資してくれる可能性が高い。

私たちは単独の創業者2人に投資したが、どちらの場合も優先度第一のことは共同創業者を見つけることだとアドバイスした。彼らはどちらもそのアドバイスに従った。しかし私たちは彼らが応募する前に共同創業者を見つけておいてくれる方がうれしい。投資を受けたばかりのプロジェクトで共同創業者を見つけるのはそんなに難しくない。それがすごく難しいときにサインするくらいに十分コミットしている共同創業者が望ましいのだ。

共同創業者がいない場合、どうすればいいのだろう? 見つけることだ。これは他の何よりも重要なことだ。あなたが住んでいるところには、一緒にスタートアップを始めようという人が1人もいないというなら、そういう人がいる場所に移ることだ。あなたの今のアイデアでは一緒にやろうという人がいないなら、アイデアを変えることだ。

もし在学中なら、潜在的な共同創業者に囲まれていることになる。大学を出て何年かたつと、探すのはずっと難しくなる。選べる対象が少なくなるだけでなく、彼らの多くは職を持ち、支えなければならない家族さえいるかもしれない。だからスタートアップについてよく話していたような友達がいるなら、極力連絡を絶やさないようにすることだ。彼らが夢を生き続けさせる助けになるかもしれない。

ユーザグループやカンファレンスのような場所で共同創業者となる人に出会えるかもしれないが、私はあまり楽観的ではない。その人を共同創業者にしたいかどうかは、いっしょに仕事してみないと分らないからだ。[2]

このことの本当の教訓はどうやって共同創業者を見つけるかということではなく、スタートアップは共同創業者となるべき人が周りにたくさんいる若いときに始めるべきだということだ。

 

7. アイデアがない

ある意味で、いいアイデアを持っていないのは問題ではない。それというのも、スタートアップの多くは、どのみちアイデアを途中で変えるものだからだ。Y Combinatorの平均的なスタートアップは、最初の3ヶ月が終わるまでに、アイデアの70%が新しいものになっている。場合によっては100%新しくなっていることもある。

実際、創業者自身が初期のアイデアよりも重要であることを私たちは確信しており、今度の投資サイクルでは新しいことを試みようとしている。全然アイデアのない人にも応募させようと思っているのだ。何をするつもりなのか問う応募用紙に、 「アイデアはない」と書いて済ませてもいい。あなたが非常に優れていると思えば、私たちはどのみち受け入れるのだ。私たちはきっと、あなたと一緒に腰を据えて見込みのあるプロジェクトを何か考え出せると思う。

実際には、これは私たちがすでにやっていることを成文化しただけだ。私たちはアイデアには小さな重みしか置いていない。私たちは主に礼儀として聞いているに過ぎない。応募用紙の質問の中で私たちが本当に気にかけているのは、その人がこれまでにどんなクールなものを作っているかということだ。見込みのあるスタートアップのバージョン1を作っているならすごくいいが、私たちに関心があるのは、その人がものを作ることに優れているかどうかということだ。人気のあるオープンソースプロジェクトでリードデベロッパーをしているというのも同じくらいにポイントが高い。

Y Combinatorから投資を受けるのであればそれで問題は解決するわけだが、一般的にはどうだろう? 別な意味では、アイデアを持っていないというのは問題になる。アイデアなしにスタートアップを始めたなら、次にすべきことは何 か?

あなたのためにスタートアップのアイデアを得るための簡単なレシピをお教えしよう。あなた自身の生活に欠けているものを何か見つけ、そのニーズを満たすものを提供すればいいのだ——それがどんなに特殊なものに見えても構わない。スティーブ・ウォズニアックは自分でコンピュータを作ったが、そんなものを欲しがる人が他にもたくさんいると誰にわかっただろう? 狭いが真性のニーズというのは広いが仮想的なニーズよりも、出発点としてはいいのだ。だからあなたの問題が土曜の夜だというのにデートの相手がいないということ なのだとしても、ソフトウェアを作ってそれを解消できる方法を見つけたなら、何かに行き当たったことになる。同じ問題を持つ人なら大勢いるからだ。

 

8. もはや新しいスタートアップの余地はない

多くの人は増え続けるスタートアップを目にして、「こんなの続くわけない」と思う。彼らが暗に仮定しているのは、存在しうるスタートアップの数には限界があるということだ。しかしこれは誤りだ。社員1000人の会社で給料をもらって働ける人の数にそういう限界があると主張する人はいない。それならなぜ、5人の会社を所有して働く人の数に限界があると考えなければならないのか? [3]

働いている人のほとんどすべてが、何らかの必要を満たしている。会社を小さなユニットに分けたところで、この必要がなくなるわけではない。既存の必要は、少数の巨大で階層的な組織よりも、スタートアップのネットワークの方が効率的に満たすことができるだろう。しかしそれは機会が少なくなることを意味するわけではない。現在のニーズを満たすことは、より多くのニーズを生み出すことになるからだ。これは確かに個人に当てはまるし、それで何かまずいことがあるわけでもない。建物全体が年中春のように温められているような、中世の王侯であれば女々しい贅沢だと考えたようなことを、私たちは当たり前のこととして享受している。そしてものごとがうまく進むなら、私たちの子孫は私たちが驚くような贅沢を当然のこととして享受しているだろう。物質的な富に絶対的な基準はないのだ。ヘルスケアというのもその一つであり、それだけで1個のブラックホールを作り出す。今後当面は、人々はさらに多くの富を求め続けるだろう。だから企業に求められる仕事の量に上限はなく、スタートアップでは殊にそうなのだ。

通常、余地がないという俗説は直接的には語られず、「GoogleやMicrosoftやYahooが買えるスタートアップがそうたくさんあるわけはない」というような言い方で暗に示される。そうかもしれないが、買収者のリストはこれよりもずっと長い。そして他の買収者はともかくとして、Googleは愚かではない。大企業がスタートアップを買うのは、それが何か価値あるものを作っているからだ。個人が求める富の量に上限があると思わないのに、どうして企業が買える価値あるスタートアップの数に上限があると考えるのだろう? 1つの買収者が飲み下せるスタートアップの数には実際的な上限があるかもしれないが、それが価値あるものなら、即座の支払いの見返りに創業者たちは喜んで上昇過程にあるものを譲り渡し、買収者 はそれを飲み込めるように成長する。マーケットというのはそのように賢明に働くものなのだ。

 

9. 支えるべき家族がいる

これは本当の問題だ。私は家族を持っている人にはスタートアップを始めることを勧めない。それがまずいアイデアだからではなく、やるように勧める責任を負いたくないということだ。22歳の相手にスタートアップを始めるように勧める責任なら喜んで負う。彼らが失敗したらどうするか? 彼らはそこから多くを学び、職が必要であれば依然としてMicrosoftの職は待っていてくれる。しかし私にはおっかさんたちを怒らせる覚悟はない。

あなたにできることとしては、家族があってスタートアップを始めたいなら、コンサルティングビジネスを始めて、徐々に製品ビジネスへと変えていくという方法がある。経験的に言って、その切り替えをやってのけられる可能性はとても低い。そういうやり方では、けっしてGoogleは作れないのだ。しかし少なくとも収入が途絶えることはない。

リスクを減らすもう一つの方法は、自分でスタートアップを起こす代りに、既存のスタートアップに参加することだ。スタートアップが採用する最初の社員の1人になるというのは、創業者の立場にかなり近い。いい意味でも、悪い意味でも。大まかに言って、社員ナンバーnの人は1/n^2くらい創業者なのだ。

共同創業者の場合と同様、ここでの本当の教訓は、スタートアップは若いときに始めろということだ。

 

10. 個人的に金持ちだ

これは私がスタートアップを始めない言い訳だ。スタートアップはストレスに満ちている。金に困ってないのに、どうしてそんなことするんだ? 「連続起業家」1人につき、 「また会社を始めるかって? バカ言っちゃいけない!」というまともな人間がたぶん20人くらいいるはずだ。

私は新しいスタートアップを始めそうになったことが2度ほどあるが、いずれの場合も自分の人生の4年間をめちゃめちゃな苦労で埋めたくないがために引っ込めた。私はこのビジネスのことなら十分よく知っている。生半可ではやれないのだ。いいスタートアップ創業者を危険にするのは、際限のない苦労をよろこんで耐えるということだ。

しかし引退というのにもちょっとした問題がある。多くの人と同様、私は仕事するのが好きだ。そして金持ちになったときに発見するたくさんの奇妙な問題の1つに、いっしょに働いてみたいと思うような興味深い人たちの多くは金持ちでないということがある。彼らは生活のためにどこかで働く必要がある。それはつまり、彼らと同僚になりたかったら、あなたも生活のための仕事をする必要があるということだ。たとえあなたには金を稼ぐ必要がなかったとしても。実のところ、これが連続起業家たちを駆り立てているものじゃないかと思う。

そしてこれは私がY Combinatorでの仕事をすごく好きな理由だ。この仕事は好きな人たちと興味深い仕事をいっしょにやる口実を与えてくれるのだ。

 

11. コミットする準備ができていない

これは私が20代の頃にスタートアップを始めない理由になっていたことだ。この年代の人の多くと同様、私は何よりも自由に価値を置いていた。私は何であれ数ヶ月以上のコミットメントを要することをするのは気が進まなかった。そしてスタートアップのように生活を完全に奪われてしまうようなことをしたくはなかった。それはいい。世界を旅行して回ったり、バンドで演奏したりして時間を過ごすのが望みなら、それはまったくもって当を得た会社を始めない理由になる。

成功するスタートアップを始めるなら、少なくとも3年か4年は取られることになる。(失敗すれば、ずっと早くて済む。) だからそれくらいのスケールでコミットする覚悟がないなら始めるべきではない。しかし注意して欲しいのは、定職についたなら、おそらくスタートアップに取られるのと同じくらい長くそこにいることになるということだ。そして思っていたよりも自由になる時間が少ないことに気付くだろう。だからあなたがもしIDバッジをつけてオリエンテーションに行く覚悟があるなら、スタートアップを始める準備だってできていると言えるかもしれない。

 

12. 生活に構造を必要とする

生活に構造を必要とする人もいるのだと聞いたことがある。これは何をするか人に言ってもらう必要があるというのを聞こえよく言っているだけのように思える。そういう人たちはきっといるのだろう。経験的な証拠であれば、軍隊に、カルト、そ の他たくさんある。彼らはむしろ多数派なのかもしれない。

あなたがそういった人たちの1人であるなら、スタートアップを始めるべきではない。実際のところ、スタートアップで働くべきでもない。いいスタートアップでは、何をするか指示されるようなことはあまりない。CEOという肩書きを持つ人間が1人いるにしても、社員数が12人くらいになるまでは、他の人に指図する人間はいるべきではない。そんなのは非効率すぎる。それぞれの人はただ必要なことを、言われるまでもなくやるべきなのだ。

それがカオスを作り出すレシピのように聞こえるなら、サッカーチームのことを考えてみるといい。11人が非常に複雑な仕方で一緒に働き、非常の場合でもなければ、誰も他の人にどうしろと言ったりはしない。レポーターがデビッド・ベッカムに、レアル・マドリードでは選手の出身国が8つにも分かれていて、言葉が問題になることはないのかと聞いたことがあった。それに対してベッカムは、言葉が問題になることはなく、みんな非常に優れているので、話す必要がないのだと答えていた。彼らは各自がそれぞれただしかるべきことをしているのだ。

自分がスタートアップを始められるほど十分独立心が強いかどうかはどうしたら分るだろう? もし独立心がないかのように言われるとムカつくなら、あなたにはたぶん十分な独立心がある。

 

13. 不確かであることが不安

不確かなことを嫌うためにスタートアップを始めるのを先延ばしにする人たちもいると思う。Microsoftに働きに行くなら、この先何年かのことを非常に明確に予見することができる。明確すぎるくらいだ。実際、スタートアップを始めるなら、どんなことだって起こりうる。

不確かさが問題だというなら、私がそれを解決してあげよう。スタートアップを始めたなら、それはたぶん失敗する。まじめな話、これは起業の体験全体について考える悪くない方法だ。最高を望みながら最悪を予期しておくのだ。うまくいかなくとも、少なくとも興味深い体験ができる。そしてうまくいけば、たぶん金持ちになる。

あなたのスタートアップがこけても、あなたが真剣に努力している限りは誰も批難はしないだろう。採用者が起業の失敗をマイナスと見ていた時期もあったが、今は違う。私は大企業のマネージャたちに聞いてみたが、彼らはみな起業を試みて失敗した人の方を、同じ時間を大企業で過ごしていた人よりも雇いたいと言っていた。

投資家達も、失敗の理由が怠慢や救いがたい間抜けさというのでもない限り、マイナスとは考えない。よその国(たとえばヨーロッパ)では、起業の失敗が大きな汚点として捉えられると聞くが、ここでは違う。アメリカでは、会社というのもまた、他のあらゆるものと同様、使い捨て可能なのだ。

 

14. 自分が何を忌避するのかわかっていない

1年か2年社会に出ていた人が、大学を出たての人よりもいい創業者になる理由の1つに、彼らが自分で何を嫌うかわかっているということがある。スタートアップが失敗したら仕事に就く必要があり、そしてそれがどんなに嫌なものなのかを彼らは知っているのだ。

大学の時夏休みに仕事していたので、仕事がどんなものかくらい分っていると思うかもしれない。しかしあなたは恐らく分っていない。テクノロジー企業における夏の仕事というのは本当の仕事ではないのだ。夏の仕事としてウェイターをしたというなら、それは本当の仕事だ。自分の担当分のことをする必要がある。しかしソフトウェア会社が夏に学生を雇うのは、安価な労働力としてではない。彼らは卒業後に採用することを思ってそうしているのだ。だからあなたが何か作れば彼らは喜ぶだろうが、別にそれを期待しているわけではない。

それが卒業して本当の仕事につくと変わる。あなたは生活費を稼ぐ必要がある。そして大企業のしていることのほとんどは退屈なことなので、あなたは退屈なことをやることになる。大学でやっていたことに比べれば簡単なことだが、しかし退屈だ。最初のうちは、簡単なことをやって金がもらえるというのは、大学で金を払って難しいことをやっていたことから考えるとうまい話に思えるかもしれない。しかし何ヶ月かするとそういう気持ちは消える。そしてそのうちくだらないことをやるのにウンザリするようになる。たとえそれが簡単でいい金になったとしても。

それが最悪のことというわけではない。本当に嫌なのは、正規の仕事では所定の時間そこにいることを期待されるということだ。Googleだろうと、これには煩わされる。そしてこれが意味するのは、正規の仕事に就いている人が誰でも言ってくれるだろうが、どんな仕事もする気にならないような時であっても、会社に行ってディスプレイの前に座り、仕事している振りをしなければならないということだ。多くのハッカーがそうであるように、仕事が好きな人には、これは拷問ともいえることだ。

スタートアップでは、このようなことは省略できる。スタートアップの多くには勤務時間という概念はない。仕事と生活はただ混ざり合っている。これのいい点は、仕事場に生活を持ち込んでも誰も気にかけないということだ。スタートアップでは、ほとんどの時間、どんなことをしていることもできる。あなたが創業者なら、あなたがほとんどの時間にやりたいと思うことは仕事だろう。しかし仕事している振りをすることが必要になることは決してない。

大企業では、オフィスで居眠りするのは職業人らしくないと見なされる。しかしスタートアップをやっていて日中に居眠りするなら、共同創業者たちは単に疲れてるんだろうと思うだけだ。

 

15. 両親が医者になってほしいと思っている

おそらくスタートアップ創業者になりえた人のかなりの数が、両親に言われて思い留まっているだろうと思う。両親の言うことを聞くべきでないと言っているのではない。家族にはそれぞれ自分のやり方を持つ権利があるし、だいたいそれに反対しようなんて何様なんだろう? しかし安全なキャリアというのは、おそらくあなたの両親が本当にあなたに望んでいることではない。その理由を2つほどお話ししよう。

1つには、親というのは、子供に対しては、自分に対してよりも保守的になりがちなものなのだ。これは実際合理的な態度だ。親は子供の幸運よりは悪運をより多く共有することになる。多くの親はそのことを気にかけない。それは彼らの仕事の一部なのだ。しかしこのことは彼らを過剰に保守的にしがちだ。そして保守的に過ぎるというのも間違いなのだ。ほとんどあらゆることについて、報酬はリスクに比例する。だから子供をリスクから遠ざけるというのは、親はそう自覚していなくとも、報酬からも遠ざけることになるのだ。そのことが分かれば、彼らもあなたがもっとリスクを取ることを望むだろう。

親が間違っているもう1つの理由は、将軍と同様、彼らはいつも昔の戦いを戦っているということだ。彼らがあなたに医者になって欲しいのは、単に病気の人たちを助けて欲しいと思っているのではなく、医者というのが富と名声を伴うキャリアだからだ。[4] しかし彼らの意見が形成された頃に比べると、医者というのはそれほど富にもならなければ名声にもならない。私が子供だった70年代には、医者はみんななりたいと思うものだった。医者に、ベンツ450SLに、テニスは黄金の三角形だった。今では3つともすごく時代遅れの感がある。

あなたに医者になってもらいたいと思っている親は、ものごとがどれほど変わっているか認識していないだけかもしれない。あなたが医者でなくスティーブ・ジョブズにしかなれなかったら、彼らはがっかりするだろうか? だからあなたがどうすべきかについての親の意見は、機能要求のように扱うことだ。たとえあなたの唯一の目標が両親を喜ばすことであったとしても、そのための方法は彼らが求めるものをそのまま与えることではない。そうではなく、彼らがそれを求めるのはなぜかを考え、彼らが本当に求めるものを与えることのできる、もっといい方法を探ることだ。

 

16. 就職するのがデフォルトだ

最後に、普通の職に就くおそらくもっとも強力な理由として、それがデフォルトだということがある。デフォルトというのはものすごく強力なものであり、それは意識的に選択することなく選択されるからだ。

犯罪者を別にすれば、ほとんどの人は金が必要なら職に就くものだと思っている。実際には、この伝統には100年程度の歴史しかない。それ以前には、生活のためのデフォルトの方法は、農業をすることだった。ほんの100年くらいしか歴史のないものを原理のように扱うのは間違っている。歴史の基準で言えば、これは短期間で変わっていることなのだ。

私たちが今目にしているそのような変化は他にもある。私は経済史の本をたくさん読んでるし、スタートアップの世界のことなら良く理解しているつもりだが、私たちが見ているのは農業から工業への移行と同じくらい大きな変化の始まりであるように思える。

農業から工業への移行の初期 (ヨーロッパでは1000年ころ) に居合わせていたなら、富を得ようと都市に向かうことはほとんどの人に狂ったことと思えただろう。農奴は土地から離れることを許されていなかったが、都市へと逃げ出すのはそんなに難しいことではなかったはずだ。村の境界をパトロールしている番人がいたわけではない。土地を離れることから農奴の多くを引き留めていたのは、それがものすごくリスクの高いことに見えたということだ。自分の区画を離れるって? 人生の間ずっといっしょに過ごした人たちから離れて? 見も知らぬ3000か4000という人の住む巨大な都市で暮すために? どうやって生活するつもり? どうやって食べ物を 手に入れるの? それを自分で育てもしないで?

彼らには恐ろしいことに見えたことだろうが、自分の才覚で生活するというのは現在の我々にはデフォルトになっている。だからスタートアップを始めるのがリスキーに見えるなら、私たちが今している生活が祖先たちにどれくらいリスキーに見えたかを考えてみるといい。このことが一番よく分っているのは、あなたを古いモデルに縛り付けておこうとしている人たちだ。あなたが社員として働きに来るべきだとラリーやサーゲイにどうして言えるのだろう? 彼らは自分では職についたこともないのに!

中世の小作農のことを考えると、どうして彼らがそんな身分を我慢していたのか不思議になる。一生涯同じ土地で何かが良くなる見込みもなく生きていくというのは、どんなにか気がふさぐことだったろう? すべて領主や司祭の言うがままで、利益はすべて取り上げられ、彼らを主人として認めなければならない。いつか、私たちが普通の仕事と思っていることが同じような目で見られるようになったとしても、私は驚かない。人間味のないオフィスビルにあるキュービクルへと毎日通勤 し、ボスと認めなければならない相手の言う通りにしなければならないというのは、どんなに気がふさぐことだろう? その人間はあなたを自分のオフィスに呼んで、「かけたまえ 」と言い、 するとあなたは言われたとおり腰を下ろすのだ! ソフトウェアをユーザにリリースするときに許可を求めなきゃならないことを想像してほしい。日曜の午後に、週末が終わって明日また朝起きて働きに行かなければならないことで陰鬱になっているところを想像してほしい。どうしてみんなそんなことに我慢できるんだろう?

私たちは農業から工業へのシフトに匹敵するくらい大きな変化の発端にいるのかもしれないと考えるのはエキサイティングなことだ。それが私がスタートアップを気にかける理由だ。スタートアップが興味深いのは、それがたくさんの金を得られる方法だというだけではない。金を儲けられるにしても、他の方法、たとえば株の売買なんかにはまったく興味を感じない。それが面白いのはせいぜいパズルが面白いというのと同じような意味においてだ。スタートアップにはもっと すごいことがある。スタートアップは、富の作られる方法が変わる希なる歴史的な転換を体現しているかもしれないのだ。

究極的にはそれが、私たちをY Combinatorの仕事へと駆り立てたものだ。スタートアップにかかわるのをやめずに済むという限りにおいて、私たちも金を作りたいとは思うが、しかし金が主な目的ではない。人類の歴史において大きな経済的シフトは数えるほどしか起きていない。それが起きるのを早めてやるというのは、すごいハックだとは思わないか?

 

[1] 損をしたのは私たちだけだ。エンジェルたちは転換社債を持っており、オークションの売り上げに対して優先的な権利があった。Y Combinatorは1ドルに対して38セントしか得られなかった。

[2] このための最良の組織はたぶんオープンソースプロジェクトだが、オープンソースプロジェクトでは顔を合わせてのミーティングはあまり行われない。顔を合わせるオープンソースプロジェクトというのはやってみる価値があるかもしれない。

[3] スタートアップを買収する大企業が必要になるので、大企業の数が0になることはない。

[4] 思考実験: 医者が同じ仕事をしているが、貧乏な浮浪者として暮すとしたら、親たちは依然子供を医者にしたいと思うだろうか?

原稿に目を通してくれたトレバー・ブラックウェル、ジェシカ・リビングストン、ロバート・モリス、PowerPointキラーとなるだろうWebベースの製品をまだローンチされてないにも関わらず使わせてくれたZenterの創業者たち、そして講演に招待してくれたBerkeley CSUAのミンヘイ・ラクに感謝する。

 

home  rss  

オリジナル: Why to Not Not Start a Startup