怖いくらいに野心的なスタートアップのアイデア

Paul Graham / 青木靖 訳
2012年3月

Y Combinatorをやってきて気づいた驚くことの1つに、最も野心的なスタートアップのアイデアの多くがいかに怖いものかということがある。このエッセイではこの現象をいくつかの例で示そうと思う。そのいずれも創業者を億万長者にしうるものだ。そう言うと魅力的に聞こえるが、それが何か書いて見せたなら、きっと思わず尻込みすることだろう。

だからといって心配することはない。それは弱さのしるしではなく、たぶん正気さのしるしなのだ。最も大きなスタートアップのアイデアは怖いものだ。多くの労力を要するからばかりではない。最も大きなアイデアというのは、自分の存在を脅かすように感じられるのだ。果たして自分にはそれをやり通せるだけの野心があるのだろうか?

『マルコヴィッチの穴』に、ダサい主人公がすごく魅力的で洗練された女性に出会う場面がある。彼女は主人公にこう言う。

問題は、あなたが私を手に入れられたとして、それでどうしたらいいのかわからないということ。

ここに挙げるアイデアもまた、我々に同じことを問いかけるのだ。

この現象は、スタートアップに関して理解すべき最も重要なことの1つだ。[1] 大きなスタートアップのアイデアは魅力的だと思うだろうが、実際にはそれは来るものをはねつける。これには多くの結果が伴う。それらのアイデアはスタートアップのアイデアを考え出そうとする人の多くには見えない。無意識に除外してしまうのだ。最も野心的な人間であっても、遠回しにアプローチする方が身のためだ。

1. 新しい検索エンジン

最高のアイデアというのは不可能のすぐ手前にある。これがそもそも可能なのかどうか知らないが、可能かもしれない兆候はある。新しい検索エンジンを作るというのはGoogleと戦うことを意味するが、Googleの要塞にもひび割れができていることに最近気づいた。

Microsoftが道を見失ったことがはっきりしたのは、彼らが検索ビジネスに参入しようと決めたときだった。それはMicrosoftにとって自然な動きではない。彼らがそうしたのはGoogleを怖れ、そのGoogleが検索ビジネスをやっていたからだ。しかしこれが意味するのは (a) 今やMicrosoftの予定はGoogleが決めており、(b) Microsoftの予定は彼らの不得手なものばかりになっているということだ。

Microsoft : Google ∝ Google : Facebook

このこと自体は新しい検索エンジンの付け入る隙があることを意味しないが、最近Google検索を使っていると、Googleがわずかな野心を抱き自分に誠実であった古き良き昔を懐かしく思わずにいられない。Googleは正しい答えのあるページをガラクタ無しで速やかに提示してくれた。今の検索結果はと言うと、真実とは自分にとっての真実であるというサイエントロジーの原理にかぶれているかのようだ。かつてのきれいですっきりした面影はない。Googleの検索結果はUnixユーティリティの出力みたいだった。今では間違って変なところにカーソルを置こうものなら何が起きるか分からない。

ここで勝つための方法は、ハッカーがみんな使うような検索エンジンを作ることだ。トップクラスのハッカー1万人がユーザであるような検索エンジンだ。小さなユーザベースにかかわらず、これ以上に強力な立ち位置はないだろう。ちょうどGoogleがそのような検索エンジンだった時のように。そうしたら検索エンジンを変えるという考えが、この10年来で初めて検討に値するものになるだろう。

そのような会社を始められる人間はその1万人のハッカーの1人だろうから、少なくとも道のりははっきりしているはずだ。自分で使いたい検索エンジンを作ればいいのだ。いくらでもハッカーっぽくして構わない。ソースコードの検索がものすごくうまくできるようにするのもいい。検索クエリの構文をチューリング完全にしたいと思うかもしれない。件の1万人のユーザを手にできることなら何であれ良いことなのだ。

やりたいことが長期的には制約になるかもしれないと心配するには及ばない。初期の核となるユーザが得られなければ、そもそも「長期」はないのだから。もし自分や友達が純粋にGoogleより好む検索エンジンを作れたなら、IPOへの道をすでに10%来たようなものだ。ちょうどFacebookが(おそらくそうとは認識することなく)ハーバードの学生を全員取り込んだ時のように。

2. メールの代替

メールは私たちが今使っているような使い方を意図してデザインされたものではない。メールはメッセージングプロトコルではなく、TODOリストなのだ。いやむしろメールの受信箱がTODOリストで、メールは用件をそこに載せるための手段だ。しかしこれは悲惨なほど出来の悪いTODOリストだ。

この問題に対する別なタイプの解決方法に耳を塞ぐものではないが、受信箱をいじるだけでは不十分で、メールを新しいプロトコルで置き換える必要があると睨んでいる。その新しいプロトコルはTODOリストプロトコルであって、メッセージングプロトコルではない。もっとも依頼するタスクが「この文章を読んで」というケースもあるだろう。

TODOリストプロトコルとして、その新しいプロトコルはメールと比べ、受取手により強い力を与えるべきだろう。私のTODOリストに他の人が入れられるタスクには制約が必要だ。そして誰かが私のTODOリストにタスクを入れるときには、何をして欲しいのか情報が欲しい。何かの文章を読む以上のことをして欲しいのか? それはどれほど重要なことなのか? (何でもかんでも重要だと言うのを防ぐ仕組みは当然必要だろう。) いつまでにやる必要があるのか?

これは不可避的な力が動かし得ないものにぶつかる類のアイデアだ。確立したプロトコルの置き換えは不可能だという事実がある一方で、100年後の人々が今と同じメール地獄に住んでいるとはおよそ考えがたい。メールがいつかは置き換えられるのであれば、今であっていけない理由があるだろうか?

うまくすれば、新しいプロトコルが通常直面する鶏と卵の問題を避けられるかもしれない。最初に切り替える人の中には、世界で最も力を持つ人々が含まれるだろうからだ。彼らはみんなメールに翻弄されている。

何を作るにせよ、高速にすることだ。Gmailは苦痛なほど遅くなっている。[2] Gmailよりマシでなくとも速いものを作るなら、それだけでGmailからユーザを引き抜き始めることができるだろう。

Gmailが遅いのは、Googleはそんなに金をかけるわけにいかないからだ。しかし金を出してもいいという人々もいる。私は月50ドル払うことに何の躊躇もしない。メールにどれほどの時間を費やしているかを考えるなら、どこまで出すのを正当化できるか考えるのが怖いほどだ。少なくとも月千ドルよりは上だろう。日に何時間もメールを読んだり書いたりしている人間には、自分の生活改善のための安い投資だ。

3. 大学を置き換える

最近このアイデアに取り組んでいる人がそこかしこにいるが、彼らは良いところに目を付けていると思う。千年もの歴史を持つ組織形態が、この数十年間に犯した間違いのために終焉を迎えていると示唆するのは気が進まないが、アメリカの大学がこの何十年か間違った方向に進んできたことは確かだろう。ずっと少ないコストでずっとうまくやることができるはずだ。

大学がなくなるとは思わない。丸ごと置き換えられることはないだろう。ただある種の教育についてかつて持っていた独占を失うことになるだろう。様々なことを学ぶための様々な方法があり、そのあるものは大学とはだいぶ違ったものになるかもしれない。Y Combinatorもその1つだ。

教育というのは非常に大きな問題であり、そのやり方を変えるのは二次的な影響を引き起こすことになるだろう。たとえばどこの大学に行ったかということは、多くの人が(正しいにしろ間違っているにしろ)それ自体を一種の証明として見ている。教育がたくさんの細かいパーツに分解されたなら、証明の付与もまたそこから切り離されるかもしれない。キャンパスライフの代替さえ必要になるかもしれない(奇妙なことだが、Y Combinatorにもそういう側面がある)。

高校もまた置き換えうるものだが、そこには官僚主義という障害物があって、スタートアップをスローダウンさせるだろう。大学が手始めとして良いと思う。

4. インターネットドラマ

ハリウッドはインターネットへの取り組みが遅い。これは間違いだ。今や配信メカニズムの勝者が何かははっきりしており、それはケーブルテレビではなくインターネットだ。

理由の多くはケーブルテレビクライアント(別名テレビ)のおぞましさにある。私の家ではApple TVが出るのを待たなかった。前のテレビにあまりにうんざりしたので、何ヶ月か前に取り替えて、今では壁に取り付けたiMacを見ている。ワイヤレスマウスで操作するのは若干不便だが、全体としての体験は以前の悪夢みたいなUIに比べたら格段にいい。

現在人々が映画やテレビを見ることに向けている関心のある部分はまったく関係がないように見えるソーシャルネットアプリのようなものに奪われるだろう。さらに多くの部分はもっとテレビに近いゲームのようなものに奪われるだろう。しかしそれでも伝統的なドラマに対する需要はある程度残るだろう。座ってストーリーが進むままに受動的に眺めているのだ。ではドラマをインターネットでどのように配信するのか? 何をやるにせよ、YouTubeのビデオクリップよりは大きいサイズにする必要がある。人々が座って番組を見ようというときには、何を見ることになるのか知りたいと思う。おなじみの登場人物が出てくるシリーズの一部なのか、それとも大まかにはどんなものか前もって知っている一本長い「映画」なのか。

配信と課金のやり方として2通り考えられる。NetflixやAppleのような会社がエンターテインメントのためのApp Storeとなり、そこを通して聴衆にリーチするというのが1つ。そういったApp Storeが行き過ぎだったり技術的柔軟性を欠いていたりする場合には、ドラマ制作者に対して課金と配信を個別に提供する会社が現れるだろう。そういう方向に転ぶなら、必要なインフラを提供する会社もまた必要になる。

5. 次のスティーブ・ジョブズ

最近Appleについて詳しい人間と話す機会があって、今Appleを動かしている人たちはジョブズがいたときと同じように新しいものを生み出し続けられるだろうかと聞いてみた。彼の答えは端的に「ノー」だった。答えがそうなのではないかとはもとより怖れていた。どう評価しているのかと思いさらに聞いてみたが、彼は全く評価していなかった。現在既にパイプライン上にあるもの以外には何も出てこないだろうというのだ。Appleの収益は長期にわたって増え続けるかもしれないが、Microsoftを見れば分かるように、収益というのはテクノロジービジネスにおいて遅れて現れる指標なのだ。

次のiPadを作るのがAppleでないとしたらどこなのか? 既存の会社ではないだろう。どこも製品のビジョナリによって経営されてはいないし、経験的にビジョナリというのは雇ってこれるものではないからだ。製品ビジョナリをCEOにする方法は、ビジョナリ本人が起業してそこをクビにならないということだ。だからハードウェアに次の波を起こす会社は、おそらくスタートアップであるはずだ。

Appleのように大きくなろうとするというのはスタートアップにとって途方もなく野心的に見えるだろうことに気づいた。しかしAppleにとってもそれは同じように野心的なことだったのだ。さらに今この課題に挑戦するスタートアップにはAppleになかったアドバンテージがある。Appleというお手本だ。スティーブ・ジョブズがそれは可能であることを示したのだ。これは後に続こうとする者を大いに助けるはずだ。以前の人々より遙かにすごいことをなし得ることを示したロジャー・バニスターのように直接的に、あるいは1人の人間にも未来を開くことができるという考えを人々の心に焼き付けたアウグストゥスのように間接的に。[3]

スティーブがいなくなった今、みんな穴が開いたように感じている。ハードウェアの未来へ新しい会社が大胆に乗り出すなら、ユーザは付いてくるだろう。その会社のCEOである「次のスティーブ・ジョブズ」はスティーブ・ジョブズ本人には及ばないかもしれないが、それは構わない。SamsungやHPやNokiaより良い仕事をしさえすればいいのだ。それであればずっと御しやすい仕事に思える。

6. ムーアの法則を取り戻す

この10年はムーアの法則が本当に言っていることが何だったかを思い起こさせることになった。2002年頃までは、18ヶ月ごとにクロックスピードが倍になる約束だと誤解していても問題なかった。正しくは、回路の集積度は18ヶ月ごとに倍になるということだ。かつてはそんな指摘をするのは知ったかぶりに見えた。今はもう違う。Intelはもはやより速いCPUを出すことができず、ただより多くのCPUを出せるだけだ。

このムーアの法則は昔のほど良くはない。ムーアの法則がかつて意味していたのは、作ったソフトウェアが遅くとも、待ってさえいれば、やむことのないハードウェアの進歩が問題を解決してくれるということだった。今ではソフトウェアが遅ければもっと並行実行されるように書き換える必要がある。これはただ待っているのよりずっと手間だ。

スタートアップが昔のムーアの法則を取り戻してくれれば素晴らしい。たくさんのCPUを開発者の目に1つのすごく速いCPUに見せかけることのできるソフトウェアを書くことによって。この問題に対してはいくつかのアプローチがある。最も野心的なのは自動的にそれを行うというものだ。コードを並列化するコンパイラを作るのだ。このコンパイラは「十分賢いコンパイラ」と呼ばれていて、不可能な問題の典型のように見られている。しかし本当に不可能なのだろうか? 今日のコンピュータのメモリ中のビット構成でこのコンパイラになるものはないのだろうか? 本当にそう考えるなら、証明を試みるべきだ。興味深い結果だからだ。不可能なのではなく単に難しいということなら、作ろうと試みる価値はあるだろう。成功の見込みが低いとしても、期待される価値はとても高いのだから。

期待される価値がそれほど高いのはWebサービスのためだ。昔ながらのやり方でできる利便をプログラマに提供するソフトウェアを作れたなら、それをWebサービスとして提供すればいい。それは実質すべてのユーザを手に入れられることを意味する。

増えた回路集積度をより速いクロックスピードに変換できるプロセッサメーカーがまだ他にあったと想像してみよう。そこはIntelの事業のほとんどを奪うだろう。Webサービスでは誰もプロセッサを目にすることはないので、十分賢いコンパイラを作ることで、そのようなプロセッサメーカーと見分けの付かない状況を作り出すことができる。少なくともサーバマーケットにおいては。

もう少し野心的でないアプローチとしては、別の端から始めて、HadoopやMapReduceのようなものを使って、プログラマに並列化のためのレゴブロックを与えるというのがある。この場合、プログラマは依然最適化作業の多くの部分をやることになる。

興味深い中間的なやり方として、中に人間がいる半自動的な手段を作るというのがある。ユーザには十分賢いコンパイラのように見えるが、中には人がいて、高度な最適化ツールを使ってユーザのプログラムにあるボトルネックを見つけ、解消するのだ。中にいる人間は社員でもいいし、最適化のためのマーケットプレイスを用意してもいい。

最適化マーケットプレイスは十分賢いコンパイラを断片的に生成する1つの方法だ。参加者はすぐにボットを書き始めるだろうから。すべてがボットによってなされるところまで行ったら面白いことになるだろう。十分に賢いコンパイラができたことになるが、その全体を持つ者は誰もいないのだ。

これがどれほど途方もない話に聞こえるかは分かっている。実際私がこのアイデアを気に入っているのは、それがあらゆる面で間違っているからだ。最適化に専念するという考え自体、この何十年かのソフトウェア開発における一般的なトレンドに逆らうものだ。十分賢いコンパイラを作ろうとするのは本質的に間違いなのだ。そうでなかったとしても、コンパイラというのは企業ではなくオープンソースプロジェクトで作られるべき類のソフトウェアだ。加えてこれがうまくいけば、楽しい複雑なマルチスレッドアプリを作る喜びをプログラマたちから奪うことになる。今や私が敵にしたフォーラム荒らしたちは、このプロジェクトの批判をどこからやり始めたらいいか迷っていることだろう。それがスタートアップのアイデアというものだ。

7. 継続的診断

いや、待った。もっと大きな抵抗にあいそうなアイデアがある。継続的な医療自動診断だ。

スタートアップのアイデアを生成するために私が使うトリックの1つは、未来の世代から自分たちを遡って眺めたところを想像するというものだ。50年か100年先の人々からしたら、我々の時代の人間が心臓病や癌のような病気を症状が現れるまで待っているというのは野蛮に見えるに違いない。

たとえば2004年にビル・クリントンは息切れを感じ、医者が調べたら動脈のいくつかが90%以上塞がっているのが見つかり、3日後に大きなバイパス手術が行われることになった。ビル・クリントンが最高の医療を受けていると仮定するのは妥当だろう。それにもかかわらず、動脈が90%以上塞がるまで90%という数字を知らずにいたのだ。将来のいつかの時点でこういった数字は体重を計るみたいに知ることができるようになるだろう。癌も同様だ。症状が現れて癌と診断されるまで患者が待たなければならないというのは、未来の世代からしたらまったく馬鹿げたことに見えるだろう。癌は一種のレーダー画面みたいなもので即座に見つかるようになるだろう。

(もちろんレーダー画面に現れるものは、現在癌として考えられているものとは違っているかもしれない。いつの時点でも我々の体には10個とか100個という微小癌があって、通常はそれが何の問題も起こさないということだったとしても驚かない。)

継続的診断に対する障害は医療業界に逆らうという事実からくることになるだろう。医療というのはいつも、患者が問題を抱えて医者の所へ行き、医者が問題を見つける、という風に機能してきた。医者の多くは弁護士が「探り出し」と呼んでいるものの医療版をやることになって、何を探すのか分からずに問題を探すことになるのを嫌うだろう。彼らはそのようにして発見したものを「偶発腫瘍」と呼び、それは忌むべきものなのだ。

たとえば私の友達はある研究の一部として脳スキャンを受けたことがある。研究を行っていた医者が大きな腫瘍らしきものを見つけたとき、彼女は恐怖におののいた。さらに検査をして、それが害のない嚢腫だと分かったが、その間の数日は彼女にとって恐ろしいものだった。症状のない人のスキャンをやり始めたらこのようなことが大々的に起きると多くの医者が懸念している。膨大な擬陽性が患者をパニックに陥れ、解決するために高価で危険でさえあるかもしれない検査が必要になるのだと。しかしそれは現状の制限による産物に過ぎないと思う。人々が年中スキャンされるようになれば、何が本当に問題かの判断もよりうまくできるようになり、私の友人も嚢腫のことやそれが無害であることを母斑のようにずっと昔から知っていたことだろう。

ここにはスタートアップが入り込む余地がたくさんある。スタートアップがみんな直面する技術的な障害に加え、医療系スタートアップがみんな直面する官僚主義の障害があり、何千年にも渡る医療の伝統に逆らうことになる。しかしそれはいずれ起きることであり、素晴らしいことなのだ。あまりに素晴らしく、未来の人々は私たちのことを、私たちが麻酔や抗生物質以前の世代を哀れむのと同じように哀れむことだろう。

戦術

いくつかの戦術的なアドバイスをして締めくくることにしよう。私が論じたような大きな問題に取り組みたいのなら、直接正面から攻撃しないことだ。たとえばメールを置き換えるなどとは言わないことだ。もしそのように言ったなら、あまりに多くの期待を持たせることになる。社員や投資家から絶えず「まだできないの?」と聞かれることになるだろう。そして失敗を望むアンチが山ほど現れるだろう。単にTODOリストソフトを作っていると言うことだ。それなら無害に聞こえる。それがメールを置き換えたことにみんなが気づくのは既成事実になったときだ。[4]

経験的には、本当に大きなことを成し遂げる方法というのは小さなことから始めることだと思える。マイクロコンピュータ用ソフトウェアを独占したい? ユーザが数千人のマシンのためのBasicインタプリタを作るところから始めることだ。万人が使うWebサイトを作りたい? ハーバードの学生が互いにストーキングし合うためのサイトを作ることだ。

経験的には、小さく始める必要があるのは他の人のためだけではない。自分自身のためでもある。ビル・ゲイツにせよマーク・ザッカーバーグにせよ、自分たちの会社がどれほど大きくなるか分かってはいなかった。彼らが分かっていたのは、何かを探り当てたということだ。最初から本当に大きな野心を持つのは良くないかもしれない。野心が大きいほど長くかかることになり、見通す先が遠くなるほど、まずくやる可能性が高くなるからだ。

これらの大きなアイデアを使う方法は、よくあるビジョナリのイメージにあるように、将来の正確な時点を特定し、ここからそこへ行くにはどうすればいいかと自問することではない。コロンブスのように、ただ漠然と西の方に進むという方がうまくいくだろう。未来を建物のように構築しようとはしないことだ。現在の青写真はほとんど確実に間違っているからだ。うまくいくことが分かっている何かから始めて、広げるというときに、西の方に広げるのだ。

よくあるビジョナリのイメージは未来の明確な姿を心に抱く人というものだが、経験的には漠然としたイメージの方がうまくいくようだ。

[1] これはまたVCがスタートアップについて理解し損ねる最も重要な点だ。多くのVCは創業者が将来に関する明確なプランを持ってやってくることを期待し、それに基づいて判断する。最も成功しているスタートアップでは、初期のプランと最終的にやることになったこととの間にほとんど相関がないことを意識して分かっている者はほとんどいない。

[2] この文は、元々は「Gmailは苦痛なほど遅い」だった。訂正してくれたポール・ブッフハイトに感謝する。

[3] ロジャー・バニスターは1マイルを4分以内で走った最初の人間としてよく知られている。しかし彼の世界記録は46日しか持たなかった。それが可能なことだと一度彼が示すと、多くの者が続いたのだ。10年後には高校2年生のジム・ライアンが1マイルを3分59秒で走った。

[4] 次のAppleになりたいなら、家電製品で始めない方が良いかもしれない。最初は何かハッカーが使うものを作るのだ。あるいは人気はあるが重要でなさそうな、ヘッドセットとかルーターみたいなものを。必要なのは橋頭堡だ。

草稿に目を通してくれたサム・アルトマン、トレバー・ブラックウェル、ポール・ブッフハイト、パトリック・コリソン、アーロン・イーバ、ジェシカ・リビングストン、ロバート・モリス、ハージ・タガー、ゲリー・タンに感謝する。

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オリジナル: Frighteningly Ambitious Startup Ideas