優れたプレゼンに隠された秘密のしかけ (TED Talks)

Nancy Duarte / 青木靖 訳
2010年11月11日

この場に立てるのは大変光栄です。皆さんには世界を変える力があります。決まり文句として言うのではなく、皆さんには本当に世界を変える力があるんです。皆さん1人ひとりの中に、人類が知る最も強力な装置があります。アイデアです。1人の心から生まれた1つのアイデアが、地を揺るがし、運動の火種となり、未来をも書き換えるのです。しかし自分の内に留まっている限り、アイデアは無力です。他の人たちが取り組めるよう表に出さないなら、アイデアは死んでしまいます。皆さんの中には、自分のアイデアを伝えようとしたけど受け入れられず、拒絶され、代わりに月並みなアイデアが採用された、という経験をした人もいるでしょう。2者の間の違いは伝え方です。もしアイデアを人の心に響くよう伝えられたなら、変化が起こり、世界を変えられるのです。

うちの家族ではヨーロッパの古いポスターを集めていて、マウイに行くたびにポスターの専門店に寄って、店主にポスターを見せてもらいます。ポスターがいいのは、1つのアイデアを持ち、そのアイデアを伝える明快な視覚表現があるところです。マットレスみたいに大きなポスターで、マットレスみたいに厚くはありませんが、すごく大きいんです。店主はページをめくりながらストーリーを聞かせてくれます。ある時、子ども2人と一緒に見せてもらっていて、めくられたページの下から出てきたポスターに思わず顔を寄せ、言いかけました。「ああこのポスター好きだな」。すると子ども達が飛び上がって言ったんです。「あっお母さんがいる」。それがこのポスターです。(笑)

「盛り上がろう!」と叫んでいるかのようです。このポスターで気に入っているのはそのアイロニーです。1人の女が意気込んで戦場に向かい、旗を掲げ、小さなスワヴィートス・ベーキング・スパイスの箱を手に、そのちっぽけなものの宣伝のために自分の手足や命さえかけるとでもいうようです。だからこの小さなスワヴィートスの箱をプレゼンに差し替えたなら、まさに気負い込んでいる私です。プレゼンなんかに気負い込むのが格好良くなかった昔から、私はプレゼンに気負い込んでいたんです。効果的に伝えるなら、プレゼンには世界を変える力があると本当に思っています。世界を変えるのは難しいです。1つのアイデアを持つ1人の人間だけでできるわけではありません。広まらなければアイデアに力はないのです。他の人たちにも分かるよう、アイデアが自分の外へと出て行く必要があります。

そしてアイデアが最も効果的に伝わるのはストーリーによってです。何千年もの間、文字を持たない人々が、価値観や文化を損なうことなく世代から世代へと語り継いで来たのです。ストーリーの構造には不思議な力があって、ストーリーが組み立てられると、聞いた人の中に取り込まれ、記憶に刻まれるようになるんです。ストーリーに対して人は肉体的に反応します。胸が高まり、瞳が大きくなり、「背筋がぞっとしたよ」とか、「みぞおちにグッときた」などと言います。ストーリーを聞くと文字通り体が反応するのです。

ストーリーが語られるのと同じ舞台でありながら、プレゼンとなるとまったく単調になってしまいます。その理由を知りたいと思いました。なぜストーリーを聞いているときは全身で夢中になって聞くのに、プレゼンだと死んだようになってしまうのか? どうすればプレゼンにストーリーを取り込めるものか知りたいと思いました。

私の仕事場には文字通り何百何千というプレゼンがあって、本当に酷いプレゼンがどういうものかよく知っています。私は映画や文学を研究し、いったい何が起きていて、どうしてそうなってしまうのか探ろうと思いました。そうして発見したいくつかのことと、辿り着いたあるプレゼン形式についてお話ししたいと思います。

当然アリストテレスから始めるべきでしょう。彼は序盤、中盤、終盤という三幕構成を考え、詩や修辞法を研究しました。プレゼンの多くはこの最もシンプルな形式すら持っていません。英雄の原型へと研究を進めた時、「そうだ、プレゼンターは物語の主人公なんだ。舞台に立つショーの花形なんだから」と思いました。プレゼンターとして自分をスターだと考えるのはたやすいことです。でもすぐにこの考えが間違っていることに気付きました。アイデアを持っていたとしても、それを後生大事にしまい込んでいたら、どこに辿り着くこともなく、世界は変わりません。だからプレゼンターは主人公ではなく、聴衆こそアイデアにとっての主人公なのです。

ジョゼフ・キャンベルの「英雄の旅」を読むと、はじめの部分に非常に興味深い洞察があります。愛すべき主人公は普通の生活をしていますが、冒険へと誘われます。いわば世界の均衡が崩れるのです。主人公は最初抵抗しています。「こんなのやりたいか分からないよ」。そこに導き手となる人が現れ、普通の世界から特別な世界へと進む手助けをします。それがプレゼンターの役割です。導き手です—ルークではなくヨーダなんです。聴衆が今いるところから新しい特別なアイデアへと進む手助けをする、それがストーリーの力です。最もシンプルな構造が、この三部構成です。愛すべき主人公がいて、希望を抱き、困難に直面しますが、最終的には本当の姿が現れて変容を遂げる、というのが基本的な構造です。

しかしそれからグスタフ・フライタークのピラミッドに出会いました。彼はこの形を1863年に描きました。彼はドイツの劇作家で、五部構成を標榜していました。提示部、上昇展開、クライマックス、下降展開、それに大団円—つまりストーリーの落着です。私はこの形が好きです。形の話です。ストーリーは弧を持ち、弧がその形です。クラシック音楽では形の良さについて話しますが、プレゼンに形があるとしたらそれはどんな形だろうと思いました。偉大なコミュニケーターは形をどう使うのか? そもそも形を使うのか?

忘れもしません、ある土曜の朝のことです。こういったことを2年も研究し続けていて、ふとある形を画きました。そして思いました。「ああ、もしこの形が本当なら、まったく違う2つのプレゼン選んでも当てはまるはずだわ」。当然の選択として、マーティン・ルーサー・キングの「私には夢がある」と、スティーブ・ジョブズの2007年のiPhoneお披露目のプレゼンを選び、重ね合わせてみたところ、ピッタリはまったんです。仕事場で驚きに打たれ、少し泣きさえしました。「これはすごい賜物だ」と感じたからです。 それがこの形です。すごいプレゼンが持つ形です。素晴らしいと思いません? (鼻をすする—笑) 泣いていました。それをお見せしたいと思います。本当にビックリしますよ。始まりと中間と結末を順に辿っていこうと思います。歴史上の偉大なコミュニケーター達は、演説にせよ何にせよ、この形に従っています。リンカーンのゲティスバーグ演説でさえ、この形なんです。

プレゼンのはじめで、何の話なのかを確立する必要があります。現状や起きていることを示し、それをあるべき姿と比較します。そしてそのギャップを可能な限り大きくします。現状で当たり前とされていることを、自分のアイデアの高みと対比する必要があります。過去はこう、現在はこう。でもほら、未来を見て。こんな問題がある。だけど、それが解決されたところを考えてみて。こんな障害がある。さあ、それを打ち破ろう。このギャップを強調する必要があります。映画の中の誘発的な出来事のようなものです。観客は突然目の前に現れるシーンに対して思います。「これを受け入れて話に付き合うべきか?」プレゼンの以降の部分でそれを補強してやる必要があります。

だから中間部では現状と理想の間を行ったり来たりします。ここでやろうとしているのは、現状の異常さや醜さを示し、自分のアイデアが実現された未来へと引き込むということです。世界を変えようとするとき、人々は抵抗します。彼らは歓迎せず、現状の世界に居続けようとします。だから抵抗に遭うことになります。それが行ったり来たりする必要がある理由です。ヨットと一緒です。風上に向かって帆走する時は風の抵抗があり、船を左右に切り返す必要があります。そうやって風を捉えるんです。帆走するときには、自分に向かってくる抵抗を捉えなければなりません。面白いことに、風を正しく捉えられたなら船は風よりも速く進むのです。一種の物理現象です。現状と理想の間で抵抗させることによって、人々を自分のアイデアへとより早く導くことができるんです。

現状とあるべき姿の間を行き来したあと、最後の折り返し点は行動の呼びかけで、これはすべてのプレゼンが最後に持つべきものです。自分のアイデアが実現されたユートピアとして、世界を新たな希望の中に描き出すんです。みんなが力を合わせ大きな問題を解決したときの世界の姿です。それを結末として詩的で劇的に見せる必要があります。

これを発見した時、「分析ツールに使えるかも」と思いました。そしていろんなスピーチの文字起こしをして、どれだけ当てはまるものかやってみました。その例をお見せしよう。私が最初に試した2人です。

スティーブ・ジョブズです。世界をすっかり変えました。パーソナルコンピュータの世界を変え、音楽業界を変え、今度はモバイル業界を変えようとしています。確かに世界を変えました。そしてこれが、2007年のiPhoneお披露目の際のスピーチの形です。90分のプレゼンで、ご覧のように現状から始めて行き来を繰り返し、あるべき姿で終わっています。拡大してみましょう。白い線は彼が話している部分です。次の色はビデオを見せている部分です。変化をつけています。これはデモの部分。ずっと1人でしゃべり続けているわけではありません。これらの線がそれを表しています。それから最後の方の青い線はゲスト・スピーカーです。 ここが面白いところですが、この刻み目はジョブズが聴衆を笑わせているところです。こちらの刻み目は拍手が起きているところ。みんな全身で参加していて、ジョブズの言ったことに体を使って反応しています。これは素晴らしいことです。聴衆の心を掴んでいるということだからです。

彼はあるべき姿の話を、「今日は私が2年半待ち望んでいた日です」と始めます。だから彼にすれば2年以上も前から知っている製品の話をしているわけです。彼にとっては新しいものではありません。しかしここで彼は驚いて見せるのです。自分自身の製品にです。聴衆が笑い拍手する以上に、彼は自らに感動しています。「これすごいと思いません? とてもきれいでしょう?」 彼は聴衆に感じて欲しいことのお手本を示しているのです。聴衆に特別な感じを持つよう促しているわけです。彼はあるべき姿の話を始めます。「時折画期的な製品が現れては、すべてを変えます」。そうして自分の新製品について話し出します。最初のうちは電話のスイッチは切ったままです。ここの点まで随分間があるのがお分かりでしょう。彼は行き来を繰り返しています。「これが新しい電話で、これが最低の競合製品」「これが新しい電話で、これが最低の競合製品」。

そしてここで、その瞬間が訪れます。みんなが記憶にとどめる瞬間です。ジョブズがiPhoneのスイッチを入れ、観客は初めて画面がスクロールするのを見ます。空気が吸い出される音が聞こえそうです。会場全体が息をのむのを感じられるでしょう。彼は誰もの記憶に残る瞬間を作り出しているのです。このモデルを見ていくと青い部分が現れます。別のスピーカーが登場しているところです。そして右下のところで線が途切れています。スライドのリモコンが故障してしまったためです。彼はどうしたでしょう? 盛り上がった空気を壊したくはありません。それで彼は個人的な話をします。テクノロジーがうまく機能しなかった時にです。コミュニケーションの達人である彼は、ストーリーによって聴衆の心をつなぎ止めるのです。プレゼンは右上のところ、新たな喜びで終わります。Appleは画期的な新製品を生み出し続けるという約束を彼は残します。「私が好きなウェイン・グレツキーの言葉があります。“パックがあるところに行くんじゃない、パックが行くところに行くんだ。” Appleはその最初の日からそうあろうとし、そうあり続けます」。新たな希望で締めくくっているわけです。

次にキング牧師を見てみましょう。すごいビジョンを持った聖職者で、平等を勝ち取るために人生を捧げました。これが「私には夢がある」の演説の形です。現状から始め、現状とあるべき姿の間を行き来しているのが分かります。そして最後は、誰もが知っているとても詩的な理想で終わります。少し引き延ばしてみましょうか。ここでは文字起こしした文を脇につけています。細かくて読めないと思いますが、改行は彼が息をついて間があるところです。彼は南部のバプティスト派の牧師で、語りに独特のリズムがあります。聞いていた人たちには目新しいものでした。このテキストをラベルで隠しましょう。これを情報ツールとして使いたいからです。彼がどのように人々に語ったのか見ていきましょう。

青いラベルは彼がレトリックとして繰り返しを使っている部分です。彼は同じ言葉やフレーズを何度も繰り返し、みんなの記憶に残るようにしているのです。彼はまた沢山のメタファーや視覚的な表現を使っています。これは難しい概念をみんなが記憶し理解できるようにするための方法です。彼は実際、情景を描き出すかのように言葉を使ったので、みんな彼の言うことをイメージすることができました。それから馴染み深い歌や聖書の言葉を使っています(緑)。今見ているのは前半部分です。それから政治家が人々に約束した言葉を沢山引用しています(オレンジ)。

最初の現状を述べる部分の終わりで人々が本当に大きく喝采し歓声を上げます。彼はこう言ったのです。「アメリカは黒人に不渡り小切手を渡してきました。残高不足と記され突き返される小切手です」。口座にお金のないのがどんなものかみんな知っています。だから彼はみんなに馴染みのあるメタファーを使ったわけです。でもみんなが本当に盛り上がって声を上げたのは、この部分です。「だから私たちはこの小切手をお金に換えようとやってきたのです。私たちに自由と公正という富を与えてくれる小切手です」。みんなここで喝采します。彼が現状とあるべき姿を対比したところです。

このモデルをさらに進んでいくと、行き来が激したペースになっていきます。彼が行き来するごとに聴衆も激してきます。みんな興奮していて、その高じた状態を維持するためにそうしているわけです。彼は言います。「私は夢見ている。いつの日かこの国が目覚め、あの言葉の通りになることを。“我々はすべての人間は平等に作られているという真実を自明のこととして堅持する”」。彼はこのオレンジ色の文で、政治家や国家がしてきた約束をみんなに思い出させているのです。それから彼は行き来します。「私は夢見ている、いつの日か—。私は夢見ている、いつの日か—。私は夢見ている、いつの日か—」。

そして最後が面白いものになっています。緑が4箇所あります。それに沢山の青、つまり繰り返しです。繰り返しの感覚がとても強くなっています。緑は歌や聖書の言葉を示しているところです。最初の緑の部分はイザヤ書からの引用で、2番目の緑は「マイ・カントリー・ティズ・オブ・ジー」です。これはよく知られた歌で、当時の黒人には特に大切なものでした。この歌の歌詞を変えて、守られずにいた約束への抗議の叫びとして使っていたのです。3番目の緑は「マイ・カントリー・ティズ・オブ・ジー」の1節です。そして4番目の緑は黒人霊歌です。「ついに自由だ! ついに自由だ! 神よ感謝します! ついに自由だ!」 彼がしたのは聴衆の心に触れるということです。大事な聖書の言葉や怒りの叫びとしてみんなが歌っていた歌を引っ張り出し、それを聴衆と1つになって響き合うための道具として使ったのです。最後に新しい理想の世界を描き出します。聴衆の心の中にある神聖なものを使ってです。

だから彼は偉大な人でした。彼には大きな夢がありました。この場の皆さんも大きな夢を持っています。(キング師の写真の顔の部分に「あなたの写真をここに」と表示される—笑) そのとても大きなアイデアを、自分の中から外に出す必要があります。しかし私たちは困難に直面します。世界を変えるのは簡単ではなく、大仕事です。彼がどんなだったか—家を爆破され、レターオープナーで刺され、最後には命を落としました。自分が信じるもののために。多くの人はそこまでの犠牲を強いられることはありませんが、基本的なストーリー構造のようなことが起こります。人生は得てしてそうなります。皆さんは愛すべき人物で、希望を抱いていますが、困難に直面し、そこで止まってしまいます。「こんなアイデアがあるけど、しまっておこう」「拒絶されてしまった」。自分で自分のアイデアを壊してしまい、困難にぶつかって立ち止まるのです。格闘する中で自らを変えて先へ進む道を選び、夢を抱き続けて実現する代わりに。

でも私にできるのなら誰にだってできます。私は経済的にも感情的にも貧しい環境で育ちました。妹と初めてキャンプに行ったとき虐められました。初めてのことではありませんが、とても酷いものでした。両親はそれぞれ3度結婚しています。まったく混乱した状況で、両親が喧嘩していない時は、一緒に暮らしていたアル中の酔いを覚ます手助けをしていました。両親も元はアル中だったからです。母は私が16の時に家族を捨てました。それで私が家族や兄弟の面倒を見ることになりました。それから結婚しました。ある人と出会い、恋に落ちたんです。大学には1年行きました。私はすべての聡明な若い女性がすべきことをしました。18歳で結婚するということです。

でも私は、自分にはもっとふさわしい人生があるはずだと思っていました。そして人生のこの時点で選択をしたのです。ああいったものに押し潰され、アイデアを自分の中で枯らしてしまうということだってあり得ました。「人生は辛すぎる」「世界なんて変えられやしない。難しすぎる」と。でも私は、自分の人生に別なストーリーを選びました。そうあれです。(スワヴィートスのポスター—笑) この場の人たちと同じように感じ、あの小さなスワヴィートスの箱を掴んだのです。そんな大それたことではありません。全世界を変えようというのではありません。でも自分の世界なら変えられます。自分の人生なら変えられます。自分の手の届く範囲なら、自分の領分なら変えられます。皆さんにもそうすることをお勧めします。なぜなら、未来とは私たちが行く場所ではないからです。それは私たちが作る場所なのです。どうもありがとうございました。(拍手) 皆さんに祝福がありますように。ありがとう。

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オリジナル:  Nancy Duarte: The secret structure of great talks