「要努力領域」で努力するのは凡庸にしかならない

Kathy Sierra / 青木靖 訳
2006年2月6日

これまでの人生(学校、仕事、人間関係)で、「要努力領域」について人に言われたことはどれくらいある? その領域で努力するために、どれほどの時間とエネルギーを使った? あなたがマネージャなら、パフォーマンスレビュー でそういう領域についてどれくらい強調してきた?

弱点に取り組むのではなく、強みを伸ばし、磨いていくべきではないのだろうか? もし弱点に取り組むことの対価が、ずば抜けたものになる可能性を減らすことだとしたらどうだろう? (そもそも何が「弱点」だとかそうでないとか、誰が決めるというの?)

このことについて書かれた本があって、私は読んではいないのだが、その考え方には興味を引かれる。

Teach With Your Strengths(強みで教える)という本は、Amazonのページによると、「教師は円熟した人間になるために弱点を改善するよう努力すべきだという通説 に対し、この本はギャラップ社の調査に基づいて、優れた教師というのは才能と能力の一番秀でた部分で教えるものであると主張している」とのことだ。

この本はマーカス・バッキンガムの超ベストセラー、「さあ、才能(じぶん)に目覚めよう」を発展させたものになっている。実際いい 本なのかどうかはわからないが、しかし考え方自体は私の強く支持するものだ。

あまりに多くの企業(それにマネージャや配偶者たち)が、特性の長いリストを手に(タイムマネジメント、コミュニケーションスキル、文章力、TPSレポートの記入、チームワーク/チームプレーヤー であること、態度、整理能力、感受性、会社の目的やポリシーに従っていること・・・)、すべての人をある一定以上のレベルに引き上げるということに気を奪われている。それぞれの特性について、ある 程度よりも低ければ、状況にかかわらずいっしょに仕事することが不可能になるようなレベルがあるだろうことは確かだ。しかし、その最低限のレベルというのが、しばしばあまりに高く設定されており、しかも個々人に応じた調整がなされていない。

「要努力領域」に注力することで、私たちは丸い穴に四角い杭を押し込もうとしているのだ。それで結局どうなるのだろう? その最低限を満たす角のとれた質の悪い杭が、一番良かった特性を犠牲にして得られるのだ。私たちが、自分(それに自分の部下たち)に対し、ずば抜けている(かもしれない)領域にもっとエネルギーを注がせたなら、どうなるだろう? 「要努力領域」のリストをよく見直して、文脈を考慮することでその重要性が小さくならないか検討してみることをお勧めする。言い換えるなら、四角い穴を開けてみるのもいいんじゃない? ってことだ。

私がここで言ったことは、誤用され、どの領域でもパフォーマンスの低い人の言い訳にされかねないことはわかっている。しかし考えてほしいのは、これがトレードオフだということだ——つまり、すごい(かもしれない)ところを持っていることを示している人に対しては、「要努力領域」をちょっと削ってあげてもいいんじゃないかということだ。それからここで言う要努力領域は、現実的に役に立つ/利点があるものと仮定している。だいたい 、最高のプログラマがTPSレポート†を埋める必要なんか本当にあるのだろうか? 私たちのどれほど多くが、タイムカードを記入する時間のためのエントリが必要なタイムカードを記入するという、言い古された冗談みたいなシナリオの中で暮らしているのだろう?

†テスト手順定義書のことであるが、無意味なペーパーワークの代名詞として使われている。

OK、私がそもそもパフォーマンスレビュー全般に対して反対であることは認める。しかし、それが必要だというなら、よくある フォーマットは大きく変更してほしいものだ。「要努力領域」のスペースはうんと小さくして、そこには絶対的に重要と思われる領域でごく最低限の基準を下回る場合にだけ記入する。そして大きなスペースは、「すごい(かもしれない)領域」のために取っておくのだ。そして対策は個々人に合わせて調整し、弱い領域をなくすというのでなく、弱点が問題となる(そして彼らが強みを使う妨げとなる)ことに限って取り組むことにする 。

これは社員に限った話ではなく、スタートアップ(私がやり始めようとしていること)でも考える必要のあることだ・・・私たちは強みを開発しようとしているのか、それとも弱点 の改善のために貴重な労力をあまりに多く費やさなければならない状況にいるのか? ビジネスの言葉で言うなら、自分の「コアコンピテンシ」でない領域で商売しようとしてないか? ということだ。 アジャイルな会社というのは、利益の出る領域であっても自分独自の強みから離れる場合には、即座に向きを変えられるような会社のことだ。

社員がみんな弱点に取り組んでいるのなら、特性の曲線を平にならしているということだ。しかしそれは広範囲の領域で凡庸という結果にしかならず、特定の領域でずば抜けた仕事をすることはできなくなる。私たちの多くは、凡庸ではやっていけないのだ。そこ には競合が多すぎる。

それなら、四角い穴を開けてみるっていうのはどう?

 

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オリジナル:  Mediocrity by "areas of improvement"

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