挑発的に行こう

Kathy Sierra / 青木靖 訳
2006年9月13日

誰かの注意を引きたい——それも引き続けたい——というときに、あなたはいったい何と競合することになるのか? 任意の時点において、他のどんなものに彼らは気を向けているのだろう? 何に注意を払うかを人が100%意識的にコントロールしているというのは正しくない。ユーザが私たちのメッセージ/広告/ドキュメント/製品/授業に注意を向けるかどうかを選べると思うのは間違いなのだ。それでは彼らの注意を引き、その注意を保てる見込みを高くするために私たちができることは何なのだろう?

私はちょうど2回の週末を馬/人の集中トレーニングで過ごしてきたところだ。これには年に一度のParelli Conferenceも含まれている。だからこの後の何回かのポストでは、すべてが「私の知るべきことはすべて自分の馬から学んだ」原理へとマップされるのを我慢してもらう必要がある。 このポストが手始めだ。セミナーの最初に、マスタートレーナーのデビッド・リッチマンは馬-人の関係についてこう 語った。

「秘訣は、彼らの周りにある何よりも挑発的で興味深いものになることだ」

ユーザ(メンバー、ゲスト、学生、潜在顧客、子供、同僚、・・・)に注意を払ってほしいなら、挑発的になる必要がある成熟した人間であれば、単に目を引くものより も重要なものに注意を向けるべきだと愚痴を言うこともできる。しかしこれは責任感とも成熟度とも関係がないのだ。興味にすら関係がない。これは脳の問題なのだ。

と意識的なとが、必ずしもそのまま対応してはいないということを思い出して。は種の存続に注意を払う。心が何を望むか にはお構いなく!  心の注意を引こうと思うなら、を無視するわけにはいかないのだ。言い換えると、ユーザが心から興味を持っている場合でさえ、ユーザがあなたの言うことに注意を払うと仮定することはできないということだ。あなたが同時に脳に対して もおいしい骨を放ってやらない限りは。あるいはひっかけてやらない限りは。

映像や音やショッキングなものをつけてセクシーにすることで注意を払うよう買収する必要があるわけではない。心脳とが、これは注意を払うに値するということで同意できるように助け てやるのだ。そしてその注意を払ってもらいたい対象があなたであるなら、あなたは環境の中で最も挑発的で興味深い対象になる必要がある。

馬の場合であれば、競うべき相手はそんなにない。HorseBox 360もなければ、PonyMailも、Horse 2.0も、PonyMemeもない。それでも草とか、風とか、プラスチックの袋とか、(ことに)他の馬とか、最初に脚を動かした人が負けゲームをして遊ぶと か、そういったことよりも強力なものになるべく戦うことになる。そして私の[すばらしいアイスランド産の]馬たちくらいに賢く複雑な馬であっても、人の興味を引くのに比べればずっと簡単なのだ。

 

挑発的であること

挑発的というのは挑発されるものから見てそうだということであり、決まったやり方があるわけではない。しかし状況に応じて試せることはたくさんある。

* 視覚的であること

脳にとっては言葉よりもイメージの方が重要だ。あなたがすでに彼らの注意を引きつけており、しかも彼らの頭の中にはっきり絵を描けるほど優れた書き手だというのでない限り、視覚を使った方がいい。刺激的であるほどいい。退屈なグラフやチャートでさえ大きな助けになる・・・別に裸の女性の写真である必要はないのだ (もっとも 、これはもちろん機能する。試しに男性誌の棚の前をちらりとも見ずに通り過ぎてごらんなさい。あなたの脳は我慢できないはずだから。自由にさせてあげるといいわ ; )

* 違っていること——パターンや期待を裏切ること

私たちが他のみんなと同じことをやっている(あるいは私たちがいつもやっているようにやっている)場合、脳は緊張を解いてこう考えるようになる。「ここには何も新しいことはないな・・・やれやれ・・・ゆっくりできる。これはつまり、何か別 な新しいものを探しに行けるってことだ 」。違う風にやるというのは、たとえばいつもやっているのと逆にやってみるとか、別な領域では普通のことだがあなたの領域ではすごく変わっているようなことをするという ことだ。

* 大胆にやること

これについてはわかるだろう——無難であることは、しばしば挑発的であることと相容れない。

* 定期的に何か変えること

これは継続的に自分のパターンを壊すということだ。それがWebサイトのルックアンドフィールだろうと製品自体であろうと、定期的に物事をかき乱すのだ。(当然ながら、製品やサービスの種類によって、 「定期的」と「物事」の定義は大きく変わる。MySpaceならコアなユーザを喜ばすために毎日何かを変えるというのはアリだが、金融系のアプリケーションであればUIはずっと長く変えずにいて、定期的に変えるものとしてはもっと別なものを探した方がいい(Webサイトとか、チュートリアルの趣向とか、オンラインフォーラムといったもの)。

* 好奇心をそそること

人というのはしばしばパズルとか疑問に対して抗しがたい魅力を感じる。クイズ番組をやっているテレビの方に行って、聞いた問題の答を考えずに歩き過ぎようとしてみればわかる。あんまり面白 くもない映画を、ただ話がどういう結末になるのか知っとかなきゃいけないと思ったために最後まで見たことがどれくらいあるだろう? 私たちが先祖から引き継いでいる脳みそは好奇心の固まりであり、それは通常より多くのことを学ぶことになるからだ。(FYI – 私の馬は道路にあるオレンジ色のコーンに抵抗しがたく引かれるらしい。)

* 挑戦すること

挑戦が機能するためには、そのレベルと性質が聴衆の取り組みうる範囲内である必要がある。私に何か解析の問題を出してご覧なさい。無視して歩き過ぎるから。でも同じことを私の共著者のバートにしたら、彼はそれに取り組まずにはいられないだろう。

* 議論を招き、主張を闘わせる

反対の態度を取ること。ありきたりでいるのは注意を引く方法ではない。

* 楽しくする

脳は楽しいことが好きだということを思い出そう。楽しい=遊び、遊び=生き抜く訓練ということなのだ。(そして私たちがここで何度も言ってきたように、楽しいというのは必ずしも可笑しいことを意味しない。チェスは楽しいものでありうるが、可笑しくはない。私がやる場合は別だが。)

* 刺激的になる。エキサイティングになる。魅惑的になる。

魅惑的であるためにセクシャルである必要はないということを心に止めておこう。いい話し手は物語についてくるようにと人を魅惑する。いい教師は学ぶことへと人を魅惑する。いいソフトウェアアプリケーションはより上達するようにと人を魅惑する。

* 高品位な体験が得られるように助ける

これは「より良くあることはより良い」という考えに立ち戻る。ユーザに知識とできることが増えていくほど、彼らはより高品位な体験を得ることができる。彼らがより上達できるようにとあなたの与えるものは何であれ、彼らにもっと知りたい、もっとやりたいと思わせる。しかしそれが起きる前に、彼らは上向きのスキルカーブに乗る必要がある。だから私たちは新しいユーザが難所(「最低の境界」)を越える手助けをしてあげる必要がある。

* ???

あなたの番よ。もっと挑発的になるために、私たち(あるいはあなた)はどんなことができる? 誰がうまくやってると思う? うまくやっていないのは誰?

 

(メモ: 私は現在仕事でヨーロッパの複数の国をまわっているところで、ネットワークに繋がるのにも苦労している。最近コメントにも応えられなくてごめんなさい。だけどあなた方のコメントは私にはすごいモチベーションになっている。だから・・・ありがとう : )

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