かつて存在しなかった最高のコンピュータ (TED Talks)

John Graham-Cumming / 青木靖 訳
2012年3月

存在することのなかった最高のマシンについてお話しましょう。実際に作られることはありませんでしたが、今度作られることになりました。みんながコンピュータについて考えるはるか以前に設計されたマシンです。コンピュータの歴史についてご存じなら、30〜40年代に単純なコンピュータが作られ、今日のコンピュータ革命に繋がったというのをご存じでしょう。その通りなんですが、ただ世紀が違っています。最初のコンピュータは1830〜40年代に設計されました。1930〜40年代ではありません。設計され、部分的に試作され、ここサウス・ケンジントンに一部が残っています。

そのマシンを作ったのはこの男、チャールズ・バベッジです。バベッジには何か親しみを覚えます。どの写真を見ても髪がこう乱れているんです。(笑) とても裕福な男で、イギリスの貴族社会に属していました。土曜日の夜にはメリルボンの彼の家で当時の知識階級を集めたソワレ(夜会)が開かれていました。王やウェリントン公やその他多くの有名人が招待されました。そこで彼の機械装置が披露されたことでしょう。当時をうらやましく思います。だってソワレに行って機械式コンピュータのデモを見られるんですよ。(笑) バベッジ自身は18世紀末に生まれ、非常に有名な数学者でした。ケンブリッジ大学でニュートンと同じポストを占めていました。今はスティーブン・ホーキングがやっています。バベッジは彼らほど有名ではありません。機械式コンピュータを作るというアイデアを思い付きましたが、決して作り上げることがなかったからです。作れなかった理由は、彼が典型的な頭でっかちだったからです。いいアイデアを思い付くたびに「これはすごいぞ。これを作り始めよう。金をつぎ込もう。いやもっといいアイデアを思い付いたぞ。こっちをやることにしよう」(笑)ずっとそんな調子で、最後には首相のサー・ロバート・ピールにダウニング街10番地から蹴り出されました。当時のことですから、蹴り出すとき「お別れです、ご機嫌よう」と言ったことでしょう。(笑)

彼が設計したのはこの奇怪な解析機関です。イメージが掴めるように説明しますと、これは上から見たところで、円の1つひとつが積み上げられた歯車です。全体は蒸気機関ほどの大きさがあります。講演の間、この巨大な機械をイメージしてほしいのです。これが立てるであろう素晴らしい音を思い浮かべてください。このマシンのアーキテクチャを説明していきます。まさにアーキテクチャ(建築)ですね。そしてこのマシンがいかに「コンピュータ」であるかを説明します。

まずメモリについて。メモリは今日のコンピュータのメモリによく似たものでしたが、ただそれは金属製で、30段重ねになった歯車の山でした。そびえ立つ歯車をイメージしてください。そんな歯車が何百とあって、それぞれに数字が書かれています。10進マシンで、すべては10進数で行われます。2進数も考えたのですが、問題は2進数にするとマシンの背が馬鹿みたいに高くなることです。10進でも巨大ですけど。これでメモリは手に入りました。メモリの一部がここに出ています。ずっとこんな感じです。

この怪物みたいなのはCPU、いわゆるチップですね。もちろん大きなものです。全くの機械式です。マシンの全体が機械式でした。この写真はサイエンス・ミュージアムにあるCPUの一部の試作品です。CPUは4種の基本的な算術演算ができました。加算、乗算、減算、除算。これを金属の機械でやるだけでも大したことですが、それだけでなく、このマシンにはコンピュータにできて計算機にできないことができました。内部メモリを参照して判断を行うということです。BasicプログラミングのIf Thenができたのです。これはコンピュータの基本となることです。コンピュテーションができたんです。単なる算術だけでなく、それ以上です。

これを見ながら少し立ち止まって、今日のチップを考えてみましょう。チップの中身は見えません。小さすぎます。でも見たとしたら、これととてもよく似たものが見えるはずです。CPUのものすごい複雑さ、メモリのものすごい規則性。電子顕微鏡写真を見たことがあればまさにこれです。ずっと同じに見え、それからすごく込み入った部分があります。

この歯車機構がすることはコンピュータと同じなので、当然プログラミングが必要になります。バベッジは当時のテクノロジーを使いました。それは1950、60、70年代に再び現れることになるパンチカードです。これは3つのパンチカードリーダの1つとプログラムです。サイエンス・ミュージアムにあります。ここからそう遠くありません。バベッジによって作られました。行けばご覧になれます。マシンが出来上がるのを待っています。1つだけでなくたくさんあります。マシンができた時のために、彼はプログラムを用意していたんです。パンチカードを使った理由は、フランスのジャカードがパンチカード制御で見事なパターンを編み出す紋織機を作っていて、バベッジは当時のこのテクノロジーを流用したのです。他のすべてと同様、彼は1830、40、50年代当時の技術を使いました。歯車に蒸気に機械装置。皮肉なことに、バベッジと同じ年にマイケル・ファラデーが生まれています。彼は発電機や変圧器といった技術を革新しました。しかしバベッジは確立した技術を使いたいと望み、蒸気機関のようなものを選んだのです。

それから付属品です。コンピュータ本体はあります。パンチカードにCPUにメモリはあるので、一緒に使う付属品が必要です。第一にサウンドです。ベルを付けるんです。何かがまずくなった時や、マシンに何か人手が必要な時に鳴らすベルです。(笑) パンチカードで入力する命令に、実際「ベルを鳴らす」というのがありました。想像してみてください。「チーン!」 歯車のたてる音「カチャカチャカチャカチャ」、蒸気エンジンの音、そして「チーン」。(笑)

それにプリンタも当然必要です。これは彼の別なマシンである階差機関二号のための印刷機構の写真です。バベッジではなくサイエンス・ミュージアムが80〜90年代に作ったものです。まったく機械式のプリンタです。彼は数字に捕らわれていたので数字しか印刷できません。でも紙に印刷し、ワードラップさえします。行末まで行ったら先頭に戻るんです。グラフィックスもいりますよね? グラフィックスです。「プロッタがいるな。大きな紙とペンがあるのでマシンにプロットさせよう」。それでプロッタの設計もしました。その時点でかなりいいマシンになっていたと思います。

そしてこの女性が登場します。エイダ・ラブレス。あの素晴らしい人々が集まるソワレを想像してください。この女性は、かの狂気の知るも恐ろしいバイロン卿の娘です。彼女の母親は娘がバイロン卿の狂気を受け継ぎはしないか心配して思案しました。「どうすればいいか分かるわ。数学よ。数学を教えれば落ち着くはずだわ」。なにしろ・・・発狂した数学者などいないのできっと大丈夫だろうと。(笑) それで彼女は数学の教育を受け、あのソワレに母親と一緒に行き、バベッジがマシンを披露します。ウェリントン公がいて、マシンのデモが行われ、そして彼女は理解しました。彼女はバベッジの生存中にこう言った唯一の人間でした。「これが何をするのか分かるわ。この機械の未来が分かる」

私たちは彼女に多くを負っています。バベッジが作ろうとしていた機械について私たちがこうして知ることができるのも、彼女のおかげなんです。彼女を史上最初のプログラマと呼ぶ人もいます。これは実際彼女が変換したものです。特有のスタイルでプログラムが書かれています。彼女が最初のプログラマだというのは歴史的に正確ではありません。彼女はもっと驚くべきことをしています。単なるプログラマではなく、バベッジに見えていなかったことを彼女は見ていたのです。バベッジは数学に捕らわれていました。数学をやるためにマシンを作っていましたが、ラブレスは「この機械で数学以上のことができるわ」と言いました。この場にいる人はみんなコンピュータを持っています。携帯を持っているでしょう。携帯の中を覗いてみれば、携帯にせよコンピュータにせよ中身は数学で、基底部分ではすべてが数字なのです。ビデオにせよテキストにせよ音楽にせよ音声にせよすべて数字で、数学的な関数で処理されています。ラブレスは言いました。「数学の関数や記号を使っているからといって、音楽のような実世界の他のものを表現できない理由はありません」。これは大きな飛躍です。バベッジは「このすごい関数を計算して、数表を印刷し、グラフを描けるぞ」と言い、一方ラブレスは「音楽を数値的に表現すれば、この機械に作曲させることだってできるでしょう」と言うのです。私はこれを「ラブレスの飛躍」と言っています。みんな彼女をプログラマだと言います。プログラミングも確かにしましたが、重要なのは、彼女が未来はそれよりもずっとすごいものになると予見していたことです。

百年後に、この男アラン・チューリングが現れます。1936年に彼はコンピュータを再発明しました。バベッジのマシンはまったく機械式でしたが、チューリングのはまったく理論的なものでした。両者とも数学的な視点から出発していますが、チューリングはとても重要なことを言いました。彼はコンピュータサイエンスの数学的基礎を築き、「コンピュータの作り方は問題ではない」と言ったのです。バベッジのマシンのように機械式であろうと、今日のマシンのように電子的であろうと、未来のマシンのようにセルかあるいはナノテクノロジーを使った機械式だろうと、違いはないのです。バベッジのマシンを小さくするだけです。いずれもコンピュータです。コンピュータのエッセンスのようなものがあってチャーチ=チューリングのテーゼと呼ばれていますが、それによってバベッジの作ったものは本当にコンピュータだったと言えるのです。実際今日のコンピュータでできることは何でもできました。ただ、すごく遅いというだけです。(笑) どれくらい遅かったかというと、メモリ容量は1kで、パンチカードで入力し、最初のZX81より1万倍遅かったのです。あれはRAMパックがあって必要ならメモリを追加することができました。(笑)

今日の状況がどうなっているかですが、図面があります。スウィンドンにあるサイエンス・ミュージアムの保管庫には、バベッジがこの解析機関について書いた何百という図面と何千ページものノートがあります。その中の一組は「図面28」と呼ばれていて、これはサイエンス・ミュージアムのキュレータだったドロン・スウェードと私で始めた募金の名称にもなっています。彼は階差機関構築プロジェクトの責任者でもありました。私たちの計画は、ここサウス・ケンジントンで解析機関を構築するというものです。プロジェクトには沢山の要素があります。一番目はバベッジの文書のスキャンで、これは完了しています。二番目の今やっていることは、何を作るか決めるためそれらの図面を研究することです。三番目は、そのマシンをコンピュータシミュレーションすることです。そして最後にサイエンスミュージアムで現物を作ります。

これができれば、コンピュータの仕組みがようやく分かるようになります。小さなチップの代わりにこの巨大な機械を見たら、こうつぶやくことでしょう。「ああ、メモリが動いているのが見える。CPUが動いてる音がする。動いている臭いもする」(笑) しかしそれまではシミュレーションです。バベッジ自身書いています。解析機関ができるやいなや、それは科学の未来の道筋を導くことになるだろうと。彼はアイデアを弄ぶばかりで結局作りませんでしたが、コンピュータが実際に1940年代に作られると、すべてが変わったのです。動く様子がどんなものかビデオでちょっとお見せしましょう。CPUのメカニズムの一部が動いているところです。3組の歯車で足し算をしています。これが加算機構の動作です。この巨大なマシンがどんなものか想像できるでしょう。私に5年ください。2030年代になる前に作り上げます。どうもありがとうございました。(拍手)

 

[これはTED公式日本語訳です。翻訳をレビューしていただいたDSK INOUE氏に感謝します。]

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オリジナル:  John Graham-Cumming: The greatest machine that never was