彼らがいなくなってしまう前に

Jimmy Nelson / 青木靖 訳
2013年11月 (TEDxAmsterdam 2013)

おはようございます。ご紹介いただきましたジミー・ネルソン、写真家です。最初に言っておきたいのは、ここで皆さんの前に立てるのがどんなに素晴らしいかということです。私はこの街に15年も住んでいますが、このような場に呼んでいただけるとは夢にも考えていませんでした。これから皆さんを12分間の旅へとお連れしますので、どうかくつろいでお聞きください。

さあここはどこでしょう? モンゴルの北のはずれ、ロシアとの国境付近、真冬で凍える寒さです。 私はあがいていました。道に迷い、孤独で、孤立し、方向を見失っていました。正直どうしていいか分からなくなっていました。やろうとしていたのはツァータン族の写真を撮ることでした。 北モンゴルでトナカイを飼って暮らしている部族で、この地域に住む最後の先住民族の1つです。どうしたものか、私の思いとは裏腹に、撮りたいと思う写真が撮れませんでした。心を通わせられず、不可能だったのです。毎晩同じテントでみんなと一緒に眠り、食事をし、時々ウォッカも振る舞ってくれました。私は酒に弱くてあまり飲まないんですが、ある晩受けて立とうということになって飲み始め、気付かぬうちにすっかり酔っ払ってしましました。でも温かくて良い気分でした。そして酔った深い眠りに陥りました。真夜中におしっこに行きたくなりました。みんな経験があるでしょう。我慢できそうにありませんが、外はすごいブリザードです。周りでは30人のツァータンの人達が眠っていて、起こしたくはありません。それで考えました。酔ってはいても頭は働きました。そっとテントの端の方へ転がっていき、テントの縁を持ち上げて外におしっこすれば、誰も起こさずに済むと思いました。それで酔い心地の遠征に出かけました。転がっていってテントの縁を持ち上げ、手袋を脱いで、服をはだけはじめ、半分行ったところで8枚も重ね着していることに気付きました。5枚目、6枚目、7枚目・・・うわっ! やっちゃった。遅すぎました。指が凍えて感覚がなく自分もテントの中もおしっこだらけです。でも構いません。みんなまだ眠っていて誰も目を覚ましません。だから誰も気付かないし、どの道すぐ凍ってしまいます。また転がって元の場所に戻ると、再び酔った深い眠りに落ちました。2分後に大混乱が起きました。テントが倒れて40頭ばかりものトナカイがみんななだれ込んできました。真ん中の小さなたき火が見えるばかりです。みんな悲鳴を上げ、私は高みの方へ逃げ、何が起きているのか分からずにいました。それから40頭のトナカイが私の方に押し寄せてきて、頭からつま先まで舐め始めました。(笑) まだ酔っ払っていたし、真夜中のことで訳が分かりませんでした。徐々に周りが見えてきて、遠くでみんな笑っているのが分かりました。次から次へと笑いはじめ、私を指さしては腹を抱えて笑っています。真夜中に嵐の中、後ずさりしながらトナカイに舐められている姿が、よほど滑稽だったのでしょう。分かったのはこういうことです。トナカイは塩が大好物なんですが、雪と氷に覆われた11ヶ月間は塩を食べられません。だからどんな形であれ塩とあれば、何としても食べようとするんです。トナカイたちが私に押し寄せたのはそのためだったんです。(笑) しかしそれから予想外の素晴らしいことが起きました。彼らと仲良くなれたのです。意図せずまったくの馬鹿を演じたことで、笑いを通じて繋がりを生み出すことができました。その日以降、私たちの関係はどんどん温かいものになっていきました。そして撮りたかった写真も撮れるようになりました。謙虚な気持ちにさせられる素敵な経験でした。

なぜ4年前、凍った下着を着て北モンゴルにいたのかお話ししましょう。時間を少し遡る必要があります。これは7歳の時の私です。私は両親と一緒に海外を転々としていました。父は長年石油会社で働いていました。それから両親は私を寄宿学校に入れることにしました。両親は英国航空の小さなバッグとパスポートとチケットを持たせて私を送り出しました。その後何年かは、学校と両親の元を行ったり来たりしていました。16歳の時アフリカから戻った時に病気になりました。脳マラリアにかかったんです。両親の元を離れる寂しさでストレスを感じてもいました。学校に戻ったある日、医師のくれた薬が間違っていて、翌朝目を覚ますとこんなことになっていました。髪の毛がすっかり抜け落ちたんです。完全脱毛症です。写真はその数年後のものですが、この時とても大きな変化を経験しました。私自身は同じ人間で変わっていないのに、他の人の私への接し方が変わりました。劇的な経験でした。見かけがすべてに影響することを思い知らされました。2年後に卒業する頃にはもううんざりしていました。私は住人がみんな禿げている場所へ行こうと決めました。正確には頭を剃っているということです。それはチベットでした。そして意図せず方々を歩いて回ることになり、旅先で写真を撮るようになりました。でも本当の旅は自分を見つける旅です。それからずっと写真家として働いて来ましたが、本当の旅が始まったのはほんの4年前のことです。それはある意味、真の自分を見つけた時でした。私はあるプロジェクトに取りかかりました。 世界に残る最後の35の文化を肖像という形のアートとして写真に収めたいと思ったんです。 そしてその旅で本当に大きなことが起きて、それは単なる写真を遙かに超えるものになりました。 その中で多くのことを学びました。今日はそのうちの3つをお話しします。

最初の教訓ですが、その時私はリフトバレーにいました。ケニアの北のはずれ、トゥルカナ湖の畔です。写真を見て質問に答えて欲しいんですが、何の写真だと思いますか? 背の高い優雅で美しい3人の人物が谷を見下ろして立っていますね。たいていの人は女性だと思いますが、でもよく見てください。男性なんです。しかもただの男性ではなく戦士です。サンブル族の戦士で、素手でライオンを殺してしまうような人達なんです。ライオンがラクダを襲いにくると退治してしまいます。見た目にはとてもスマートで優雅で美しく女性的で、1日の半分は鏡を見たり、ビーズや髪やスカートの手入れをして過ごしています。でも日曜には出かけていって、素手でライオンを殺すんです。私が言いたいのは、よく見なきゃいけないということです。我々先進国に住む者は自分の偏見に満足しています。でもよく見てください。その先に何があるかなんて分かりません。時に物事は見かけとは大きく違っているものです。

2番目の教訓は選択についてです。この時はチュコトカにいました。私もそれがどこか知りませんでした。ロシアはシベリアの遙か北東の隅、地の果てのような場所です。チュクチ族に会いに行きました。 ロシア最後のエスキモーです。現地に着くと雪上車を借り、ガイドを雇いました。チュクチ人のガイドです。「いつ会えるんだ?」と聞くと、「わからない。見つかるとしてもしばらくかかるだろう」と言います。私が屋根の上に座ります。気温は氷点下50度です。そして私の見つけたトナカイの糞の跡を辿って進むんです。さあ行け。 文字通り何週間も追い続け、外は氷点下50度、中は氷点下40度という状況でしたが、ついに見つけました。まったくすごい体験でした。そんな体験はしたことがありませんでした。地の果てで、ついに世界最後の人々を見つけたのです。これはヤランガです。トナカイの革でできた素晴らしいテントが彼方に見えます。 雪上車を降りると、彼らは私たちを包み込みました。 私たちを迎え入れ、私たちは即座に彼らの一員になりました。名前も、どこから来たのか、なぜ来たのかも問わず、仲間として面倒を見るというのです。放っておけば寒さで死んでしまうからです。1週間ほどして、いろいろ話すようになりました。彼らに「どうしてここに住んでいるの?」と聞きました。どうしてこんな地の果てで暮らすようになったのか? 彼らは「ここにいることを選んだ」と言うので、「どうしてこんな場所を?」と聞くと、彼らは言いました。「そんなに遠くない昔、街に連れて行かれ、アパートをあてがわれた。そこで座って酒を飲み、テレビを見た。でも悲しくなった。 子供やお年寄りの相手をしなくなっていた。それで変えなければと思い、来た場所に戻ることにした。そこでは幸せで自分らしく感じられるから。街ではそう感じられない」。私が言いたいのは、たとえ世界の果てに住んでいようとも、自分らしく感じられるなら、住んでいる場所を肌で感じられ、お互いを感じることができるなら、何が自分にとって幸せなのか分かるし、それを選ぶこともできるということです。彼らがしているように。

お話ししたい最後の話はモンゴルの遙か北西部、アルタイ山脈に住むカザフ族の戦士で、私にとって映画スターのような存在です。羽を広げると5メートルにもなる見事な鷲を伴って山脈の中を旅して暮らしています。彼らの写真を撮るのは長年の夢でした。それで私は新たな遠征に出て山脈を登り、そしてついに、雄大な景色を背景に立つこの3人の誇り高き戦士を前にしたのです。ものすごく興奮しました。 早朝のことで、私は愚かにも教訓を学ぶこともなく、再び手袋を脱いで古いカメラに手をかけました。指が凍って張り付いてしまい、慌てて引き離すと指の皮がはげてしまいました。あまりの痛みに私は泣き始めました。感情的に動転していたし、体がすっかり疲れ切っていて、指の感覚がありません。目の前にはずっと撮りたかった光景があるというのに、写真を撮ることもできないのです。それでどうしようもないストレスを感じました。振り返ると山の中をずっと付いてきていた2人の女性がいました。その1人が私を手招きするので、私は甘えん坊の子供みたいに「指が痛いよ」と泣きながら行くと、彼女は外套を広げて私を抱きしめ、もう1人の女性も後ろから私を包んで、歌を歌いながら私を赤ん坊のように優しく揺り動かしました。(笑)(拍手) 山を下りる前にご覧に入れた写真を撮れました。いつものごとく自分勝手です。私が気がついたのは後になってからです。彼らは伝統的なイスラム文化の人々なのに、ただ私を助けるために自分たちのルールを破っていたのです。だから無防備でありのままの自分になり、へまを見せることで、どこの人達とも繋がり合えるんです。

まとめになりますが、私が写真を撮ることを通じて学んだ3つの教訓をお話ししました。第1は判断。人を見て判断する時は注意してください。見かけとは違うことがよくあります。第2は選択。我々は何であれ選択できることを忘れないでください。第3に、心から信じていますが、まったく無防備になってありのままの自分を見せることで、地球上のどこであれ人と通じ合えます。どうやってコミュニケーションを取るのかとよく聞かれますが、本当に裸になることで—もちろん比喩としてですが—コミュニケーションして望むものを得られます。

これらの教訓を踏まえて言いたいのは、目を覚まして大急ぎでこれらの文化を記録し始めなければならないということです。彼らはいつかいなくなってしまうでしょう。そうしたら私たちにとってすごく大事なものが失われてしまいます。自分たちがどこから来たのかということです。自分たちのルーツです。彼らも変わり進化していくでしょう。それを止めることはできません。しかし私たちは交流を開き、知に触れるための新たな対話を始めなければなりません。互いに何を教えられるのか。そのために私がやりたいと思っているのは、完成した写真集を携え再び彼らを訪れることです。その本を彼らに見せ、なぜ私がそこへやって来たのか、なぜ手袋なしで泣きながら走り回っていたのか、なぜおしっこを漏らしていたのか、なぜ彼らの肖像を作っていたのか、それを彼らに分かって欲しい。そして伝えたい。彼らが私たちから学べると思うことや、私たちの犯してきた文化的・人類学的な間違いについて。逆に私たちが彼らから学べることがあります。彼らのやり方、純粋さ、真正さ、美しさです。この対話をすることによってバランスを取り戻したいのです。それが失われていると思います。私のプロジェクトを通じ、彼らがいなくなってしまう前に。ご静聴ありがとうございました。(拍手)

[これはTED公式日本語訳です。翻訳をレビューしていただいたClaire Ghyselen氏に感謝します。]

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オリジナル:  Before they pass away: Jimmy Nelson at TEDxAmsterdam