不完全にしておよそ正しくないプログラミング言語小史

James Iry / 青木靖 訳
2009年5月7日

1801 – ジョセフ・マリー・ジャカールがパンチカードを使った織機によってタペストリーに"hello, world"と織り出す。しかしラッダイト (当時のRedditer) たちは、テールリカージョン、並行処理、大文字小文字の区別を欠いていたため、さほど感心しなかった。

1842 – エイダ・ラブレスが最初のプログラムを書く。彼女の努力は、プログラムを実行するコンピュータが実のところ存在しないというマイナーな問題のために頓挫した。後にエンタープライズアーキテクトたちはプログラムをUMLで書くために彼女のテクニックを再び学ぶことになる。

1936 – アラン・チューリングが存在しうるあらゆるプログラミング言語を発明するが、特許化する前に英国情報部員(後の007)によって抹殺される。

1936 – アロンゾ・チャーチも存在しうるあらゆる言語を発明しているが、より巧みに行った。チャーチのラムダ計算はCにあまり似ていなかったために無視されることになった。この批判はCがまだ考案されていないにもかかわらず起きている。

1940年代 – 様々な「コンピュータ」が直接的な配線とスイッチによって「プログラム」される。技術者たちがそのようにしていたのは、タブかスペースかという論争を避けるためであった。

1957 – ジョン・バッカスとIBMがFORTRANを作る。IBMとFORTRANには何も面白いところはない。青いネクタイを装着せずにFORTRANを書くのはシンタックスエラーとなる。

1958 – ジョン・マッカーシーとポール・グレアムがLISPを考案する。戦後の戦略的括弧の備蓄不足による価格高騰のため、LISPが人気を得ることはなかった[1]。しかしその人気のなさにも関わらず、LISP (現在では “Lisp”、もしくは“Arc”と書かれる)は「マクロ」や「見下し」といった強力なプログラミングテクニックによって影響力ある言語であり続けている[2]。

1959 – L・ロン・ハバードとの賭に負けた後、グレース・ホッパーとその他数名のサディストたちがCOBOL (Capitalization Of Boilerplate Oriented Language、大文字定型文指向言語)を考案する。後年、ホッパー少将のCOBOLの仕事に対する心得違いの性差別主義者による攻撃として、Rubyカンファレンスで反女性的な素材が使われている。

1964 – ジョン・ケメニーとトーマス・カーツがコンピュータサイエンティストでない人向けの非構造化言語BASICを作る。

1965 – ケメニーとカーツは GO TO 1964

1970 – ガイ・スティールとジェラルド・サスマンがSchemeを作る。彼らの仕事は一連の論文「究極のラムダ(Lambda the Ultimate)」シリーズへと繋がり、「究極の台所用品ラムダ」を生み出した。この論文は長期間続いたが結局は失敗に終わった深夜のインフォマーシャルの基礎となった。ラムダは広くは知られずにいたが、Javaがそれを持っていなかったため人気を博すようになった。

1970 – ニクラウス・ヴィルトが手続き型言語Pascalを作る。馴染みのあるCの形式「x = x + y」ではなく「x := x + y」をPascalが使っていため、即座に批判に晒されることになった。この批判はCがまだ考案されていないにもかかわらず起きている。

1972 – デニス・リッチーが前と後ろ同時に発射できる強力な銃を発明する。しかし彼はこの発明による死傷者の数に飽きたらず、CとUnixを発明した。

1972 – アラン・カルメラウアーが論理型言語Prologを発明する。彼の目的は2歳児の知能を有する言語を作ることであった。彼はあらゆる問いに「ノー」と答えるPrologセッションを公表し、その目的が達成されたことを示した。

1973 – ロビン・ミルナーがM&M型理論に基づく言語MLを考案する。MLは形式的定義セマンティクスを持つSMLを生んだ。形式的セマンティクスのための形式的セマンティクスについて問われたためにミルナーは頭が爆発した。ML系のよく知られた他の言語には、OCaml、F#、Visual Basicがある。

1980 – アラン・ケイがSmalltalkを作り、「オブジェクト指向」という言葉を考案する。その意味を問われた彼は、「Smalltalkのプログラムはオブジェクトだ」と言っている。オブジェクトは何からできているのかとの問いには「オブジェクトだ」と答えている。ではそのオブジェクトは何でできているのかと問われ、彼はこう答えている。「ずっと下まで全部オブジェクトなんだよ。亀に達するまでずっと

1983 – 決して走ることのないプログラムを作るエイダ・ラブレスの能力を称え、ジャン・イクビアと米国国防省がプログラミング言語Adaを作る。特筆すべきAdaプログラムがかつて完成したという証拠はないにもかかわらず、Adaは歴史家から成功した公共事業とみなされている。何千というさまよえる防衛関係請負業者を救っているからである。

1983 – ビョーン・ストラウストラップが耳にしたことのあるあらゆるものをCに詰め込んでC++を作る。出来上がった言語はあまりに複雑であったため、プログラムは未来に送って人工知能Skynetでコンパイルする必要があった。莫大なビルド時間を要したのである。Skynetがそのようなサービスを行っている動機は明らかでないが、未来のスポークスパーソンは、「そんなこと気にしなくていいぜ、ベイビー」と、オーストリア訛りのある単調な口調で答えている。Skynetは体裁を装ったバッファオーバーランに過ぎないのではないかと予想する向きもある。

1986 – ブラッド・コックスとトム・ラブがObjective-Cを作り、「この言語はCのメモリ安全性とSmalltalkの高速性を合わせたものだ」と宣言する。現代の歴史家は2人が失読症ではないかと疑っている。

1987 – ラリー・ウォールが居眠りしたとき、額がキーボードを打った。目覚めたラリー・ウォールは、モニターに表示されている文字列がランダムなものではなく、神が自らの予言者ラリー・ウォールに設計することを望んだプログラミング言語のサンプルプログラムであると確信した。そしてPerlが生まれた。

1990 – サイモン・ペイトン・ジョーンズ、ポール・フダック、フィリップ・ワドラー、デミ・ムーアの夫、ならびに動物の倫理的扱いを求める人々によって構成される委員会により、遅延評価を行う純粋な関数型言語Haskellが作られる。副作用の制御に使われるモナドの複雑さのため、Haskellには抵抗を持つ人々がいる。ワドラーは批判を和らげるために、こう語っている。「モナドは単なる自己関手の圏におけるモノイド対象だよ。何か問題でも?」

1991 – オランダ人のプログラマ、グイド・ヴァンロッサムが謎の手術を受けるためアルゼンチンに渡ると、頭に大きな傷跡を付けて戻り、Pythonを考案する。支持者集団からは「終身独裁者」と呼ばれ、「やり方はひとつだけである」と世界に向けて宣言している。ポーランドでは不安視されている。

1995 – ラスマス・ラードフが近所のイタリアンレストランでスパゲティ料理がWorld Wide Webを理解する優れたモデルであることに気づき、Webアプリケーションはこのメディアを模倣すべきであると思い至る。そしてナプキンの裏でPHP (Programmable Hyperlinked Pasta、プログラム可能なハイパーリンクされたパスタ)を設計した。PHPのドキュメンテーションは現在に至るまでナプキンに書かれている。

1995 – オーストラリアがモヒカン刈りの戦士とティナ・ターナーの疾走する砂漠になるという漠然とした啓示の実現を回避するため、ユキヒロ・“Mad Matz”・マツモトがRubyを作る。この言語は後に本当の作者であるデビッド・ハイネマイヤ・ハンソン(DHH)によりRuby on Railsと改名された。[MatzがRubyという言語を作ったというくだりは間違いだから次に改訂するときに取った方がいいよ – DHH]

1995 – ブレンダン・アイクがプログラミング言語設計においてかつて犯されたあらゆる誤りを取り上げ、さらにいくつかの誤りを新たに考案し、LiveScriptを作る。後にこの言語はJavaの人気にあやかるためJavaScriptと改名された。さらにこの言語は皮膚病の人気にあやかるためECMAScriptと改名された。

1996 – ジェームズ・ゴスリンがJavaを作る。Javaは比較的冗長な構文を持ち、ガベージコレクションを行い、シングルディスパッチを使う、クラスベースで静的型付けのオブジェクト指向言語で、実装を単一継承しインタフェースを多重継承する。SunはJavaの新規性を大々的に宣伝した。

2001 – アンダース・ヘルスバーグがC#を作る。C#は比較的冗長な構文を持ち、ガベージコレクションを行い、シングルディスパッチを使う、クラスベースで静的型付けのオブジェクト指向言語で、実装を単一継承しインタフェースを多重継承する。MicrosoftはC#の新規性を大々的に宣伝した。

2003 – 酔っていたマーティン・オデルスキーが、誰かのピーナッツバターが他の人のチョコレートと一緒になるというReese'sピーナッツバターカップの広告を見ていて着想を得、オブジェクト指向と関数型言語の両方の要素を統合した言語Scalaを作る。これは両方の陣営の怒りを買うことになり、それぞれが直ぐさま聖戦を宣言することとなった。

脚注

  1.  コンピュータサイエンスにとって幸いだったのは、中括弧と山括弧の供給は十分にあったことである。
  2.  Verity Stob “Catch as catch can”より。
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オリジナル:  A Brief, Incomplete, and Mostly Wrong History of Programming Languages