The Last Farewell—永訣

石井裕 / 青木靖 訳
2011年5月 (TEDxTokyo 2011)

おはようございます。この場に戻って来られたのを大変喜んでおります。20年ぶり近くになりますが、TED 4 KOBEです。神戸にいたという方いらっしゃいますか? 沢山いますね。素晴らしい。ここはアイデアを分かち合っていろいろ学ぶだけでなく、人と人を結び合わせる素晴らしい場です。あの1993年のイベントで、私はニコラス・ネグロポンテに出会いました。「ニコちゃん大王」と私は呼んでいますが、翌年アトランタでヘッドハントされ、MITに行くことになったんです。

今日は3.11について振り返りたいと思います。近藤さんがソーシャルメディアの観点から素晴らしい話をしてくださいました。私もいろいろ考えました。いったい何が起きたのか? 何を学べるか? 次の世代に何を伝えられるか? 3月11日14時46分 一連の地震が起き、引き続いて津波があり、その結果原発事故が発生したのは皆さんご存知の通りです。この危機にどう対応するかというのは重要な問です。皆さんも目にされた通り、多くのハッシュタグが飛び交い、多くの人が善意を示し、助け合いました。でもタイムラインはあまりに早く流れ、誰も追いつけないほどです。この膨大な情報をどう管理したらよいのか? 情報をどう整理したらよいのか? どうすればエントロピーを減らし、利用できるようにできるのか? 情報技術の観点でとても難しい問題です。つまり人と人を繋ぎ、大切な人の行方、人の情報を繋ぎ合わせる、ということです。「水を持っている人を見たけど、どこでもらえるんだろう? どこへ行けばいいんだろう?」「薬が必要だ。誰がここまで届けてくれるだろう?」「トラックならあるけど、ガソリンがない」「ガソリンならあるけど、許可がいる」「どの道が通れるのか分からない」。こういったすべての情報を繋ぎ合わせる必要があります。人と情報と資源を結び付けるのは難しい課題です。

クライシス・マッピングを取り上げたいと思います。地図は重要です。情報を場所に結び付けられたなら、様々な情報を地理情報システムに取り込むことができ、エントロピーが劇的に下がります。クライシス・マッピング、クラウドソーシング、さらに広く集合知は、私の尊敬するダグラス・エンゲルバートがはるか以前に抱いた壮大なビジョンでした。いくつか例をお見せしましょう。良い報せは私がここにいることですが、悪い報せは持ち時間が10分しかないことです。

Ushahidiはクライシス・マッピングのためのオープンソースプログラムで、その有用性はスマトラの津波やハイチ地震の時に示されています。みんな協力して熱心に作業し、翌日にはあらゆる震災情報がUshahidiという1つのインフラ上に、自動的にあるいは手動で集積され始めました。これは素晴らしい成果でした。スピードが鍵です。

Googleも素晴らしい仕事をしました。Googleには危機対応のためのチームがあります。私にとって心に残ったのは、大切な人の情報を求める人々の姿です。でもインターネットや電話はダウンしています。だから最後にはみんな手書きの名簿を使って、行方不明者や避難所に退避した人の情報を集めました。でもその情報を共有する手段がありませんでした。大切な人や家族を見つけるために、避難所を1つひとつ当たる必要がありました。そこでGoogleが、あまり被害のなかった地域の人たちに、携帯電話を持って避難所に行くよう声をかけたのです。そして写真を撮ってPicasaにアップロードし、それからクラウドソーシングです。みんなテレビを見るのをやめて、時間と知的余剰を提供してほしい。日本語が読めるなら文字起こしを手伝ってください。テキストにするんです。EUCでもEBCDICでもShift-JISでも、コンピュータで検索できるものなら何でもいい。そしてすべての情報がPerson Finderへと集められました。この情報の流れは沢山の人の協力の結果というのが肝心なところです。

そして放射能。今や多くの人がガイガーカウンターを持っていて、放射能の計測をし、その情報をアップロードして共有しています。これは福島県のデータです。Pachubeはセンサーデータのための素晴らしいオープンソース・プラットフォームですが、ガイガーカウンターのデータを集約するために使われたのは初めてではないかと思います。福島県の原発周辺は真っ赤なのが分かると思います。東京は大丈夫です。でも多くの人はこの違いを見ていません。風や水がどう影響するのか知りません。だからみんなパニックを起こし、日本から避難せよとの勧告が出され、沢山の人が出て行ってしまいました。科学的な情報やクラウドソーシングや共有はとても大事なんです。これはGoogle Earthを使って3Dで視覚化したものです。地図のようなインフラは重要です。クラウドソーシングし、結び付け、情報を管理可能にするというのもそう。人と情報と資源を結び付けるということです。

学べる教訓がたくさんあります。これはほんの一部にすぎません。この3ヶ月ですごく多くのことを学びました。私はEvernoteにデータを集めています。Evernoteを使ってらっしゃる方? 素晴らしい。でも私はEvernoteに頼まなきゃいけません。「1GB使い切っちゃった。容量増やしてよ。大事なことなんだから」。学ぶチャンスを逃さないことです。後でゆっくり消化すればいいんですから。大事なのはラディカル・オープンネスで言うところのオープンさです。オープンさを失ってサプライチェーンの自社部分を企業秘密にしてしまったらどうなるか? サプライチェーンの危機です。みんなが秘密にしていたら何もかも止まってしまいます。オープンにしなければ、再構築も修復も新しい種類のグローバル・サプライチェーンも不可能です。

クラウドソーシングすること。人間こそ最も強力な存在です。機械で読み取れる必要はありません。人間に読めればいいんです。写真は素晴らしいです。写真共有は素晴らしいです。でもそれを機械のために翻訳してやる必要があります。機械で検索できるように。クラウドソーシング、マッシュアップ、キュレーションはとても重要です。多くのボランティアが情報を結び付け始めましたが、それをまとめ上げる必要があります。そしてきれいにレイアウトすること。iPadでFlipboardを使っている方、どれくらいいますか? では私の言う意味がわかりますね。様々な情報源があるので、その情報を消化できるよう一貫したインタフェースを与える必要があります。それにフィルタリングと優先度付けも。キュレーションが鍵です。

それから需要供給のマーケット。誰かが薬の必要を訴える。誰かがトラックを提供できると言う。ある人はガソリンを。そういった人々を結び合わせるのは重要です。Amazonは「ほしい物リスト」を使ってその人たちを助けました。彼らにはインフラがあります。しかしまた我々のようなボランティアも必要です。Twitterを使って助けの手を伸べる人がたくさん現れました。

ですから復興に向けた希望の光が確かにあります。ガー・レイノルズの「竹に学ぶ」で出てきたキーワードは「弾力性」です。次の危機に対して世界をいかに弾力的に出来るでしょう? 危機に終わりはありません。次々やってきます。エネルギー問題、金融危機、自然災害、環境問題。世界を楽しくハッピーで豊かにするのは結構なことですが、世界を弾力的にし、次の危機に対していかに素早く回復できるようにするか、というのは重要な目標だと思います。その意味で鎖を繋ぐことの重要性はとても大きいのです。それはいいとして、時間がもうありません。大変だ!(笑)

私の好きな詩人に宮沢賢治がいます。彼の出身地は東北の岩手県で、私が夜行列車でよく旅した場所です。そして賢治の詩をよく読みました。私はTwitterでいろんな人をフォローしていますが、亡くなった詩人のボットが特に好きです。そのツイートはすごく凝縮されていて、とても刺激的です。たとえば賢治の「あめゆじゆ とてちて けんじや」とか、「ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ」とか、1つひとつの言葉が心を打ち、考えさせられます。なぜ私はこのメッセージを受け取ったのか? 意味があるはずだ。ランダムなものではありません。すべてに意味と必然性があります。だからその意味を解読しなければ——これはクリエイティビティの良い訓練になります。問題は、それがすべてきれいな12ポイントのフォントで書かれていることです。でも私が花巻の宮沢賢治記念館で見た本当の詩は驚くべきものです。肉筆原稿です。彼の肉体、精神、格闘の跡がすべて残されています。書いては直し、消しては書き加えています。黄ばんだ紙とインクのしみ。彼は愛する妹とし子を失った哀しみを本当に表わせる言葉を見つけられませんでした。でも彼はそこから個人的な悲嘆を越えた宗教的なレベルに到達するのです。驚くばかりです。そのプロセスを目にできたのは私にとってこの上ない喜びでした。でもそれを見る前は、きれいに印刷された本でしか知りませんでした。本やフォントは素晴らしいです。大量生産や標準化やインターネットのためには。でもそこで失われているものもあります。身体の痕跡、精神の葛藤の跡です。それは時に芸術にとってとても大切なものです。だから芸術家には立ち上がって文句を言って欲しいのです。どうしてこの重要なものを取ってしまうのか? どうしてきれいな完成品しか出さないのか? 私のような消費者もまた立ち上がるべきでしょう。このような痕跡が想像力を刺激し、そうして芸術は完成するのです。想像力によって芸術を補うのです。だから俳句や短歌は完璧なHDTVなんかよりずっと強力なんです。それが私の言いたいことです。

これは私が最愛の女性のために作ったものです。母です。(ビンのふたを取ると、クラシック音楽が流れはじめる) これは「ミュージックボトル」という名前です。単純なビンの蓋の開け閉めのアフォーダンスが、いかにデジタルの世界へと拡張されているか見てください。これにはスピーチであれ詩であれ、思い付くものを何でも入れられます。ここでは素敵な音楽です。そして東洋ガラスの工房が完璧なガラスの器を作ってくれました。でもこの美は1つ限りのものです。落としたら割れてしまいます。リスタートできません。ゲームではないのです。これは美的で感情的な喜びを与えてくれます。とても大切なものです。でもこれを作ったのは音楽のためではありません。母のためでした。これを故郷の札幌の天気を教えてくれるものにして、母にプレゼントしたいと夢見ていました。母が朝、目を覚まし、ビンの蓋を開けて——(鳥のさえずりが聞こえる)——今日はお天気ねと。母はお醤油の瓶の蓋を開けては、私と妹のために何千回となく食事を作ってくれました。お醤油のビンの蓋を開けると香りがします。それが母の理解するもの、美しいアートです。どうしてお年寄りに携帯電話やコンピュータの使い方やEmacsのエスケープシーケンスみたいな馬鹿げた人工言語を覚えさせようとするのか? そんなの母には関わりのない話です。母はコンピュータも携帯電話も使いません。でも母には美しい世界があって、私と妹の面倒を見てくれました。

その母も1998年に亡くなりました。私はとても多くのことを母から学びました。未来は大切です。皆さんとご一緒できて幸いでしたが、2050年には私はどこか別なところにいます。学生たちは——と言ってくれますが。でも素晴らしい報せは、2100年には今いる誰も生きていないということです。(笑いと拍手) それでも未来は続いていきます。未来は立ち止まりません。次の四半期とか引退とか死という話ではありません。でも2200年の人々に対して、クリエーターやビジョナリたる皆さんは、何によって記憶されたいと思いますか? 名前ではなくアイデアです。何をその人達に残そうと思いますか? これは私がいつも自分自身や学生や同僚に問い続けていることです。死を忘れないこと。光の後には、永遠の未来が私たちを待っています。どうもありがとうございました。(拍手)

 

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オリジナル:  Hiroshi Ishii: The Last Farewell