大きな窪地 – セス・ゴーディンへの10の質問

Guy Kawasaki / 青木靖 訳
2007年4月22日

セス・ゴーディンが彼の新しい著書、The Dip: A Little Book That Teaches You When to Quit (and When to Stick) [窪地 – いつ踏ん張り、いつやめるかについての小さな本]を送ってくれた。この本は多くの人に人生を考える契機を与えると思う。次に挙げる持続と撤退に関するセスのインタビューを読めば、この本に書かれていることの雰囲気が掴めると思う。

  1.   後知恵は別として、やめるべき時はどうすればわかるのか?

     ずっと凡庸な状態にいることに心の中で気付いたなら、それはやめる時だ。測定していることに改善が見られず、もっといい尺度を見つけることもできないなら、それはやめる時だ。

    上手にやめることができる人には、機会費用というものがわかっている。今やっているプロジェクトXの作業が、プロジェクトYを窪地から押し出すことをできなくさせるのだ。最低のクライアントを切り、最悪の戦術を捨て、 わずかなことしかしない人と仕事するのをやめるとき、驚くほど多くのリソースを解放できる。そのリソースを取り組むに値する窪地に振り向けるなら、成功できる見込みはずっと高くなる 。

    それでは、やめるのが最悪な時はいつだろうか? それは苦痛が最大になった時だ。大きな痛みを感じている時にする決断が正しいことはめったにない。

  2.   窪地のまっただ中にいる時、向こう側の端に出るために頑張り抜く価値がそれにあるかどうかは、どうすればわかるか?

      その質問をするのに一番いい時は、窪地にぶつかる前だ。要領がいい人達は前もって窪地を見ることができ、それに対する備えをする。医者になりたいなら、決断すべき時は有機化学の中間試験になる前であって、試験を受けている最中ではない。

    進む窪地を選ぶ時には2つのことについて考える必要がある。第1に、それを乗り越えられるだけのリソースを持っているかどうか。第2に、それは努力に見合うものかどうか。トップ50に入るブログを作ることが目標であるなら、それに必要となる時間や労力や金と、その成功によって得られるものについて考える必要がある。 目標がMicrosoft Wordから業界標準のワープロの地位を奪うことであるなら、窪地はずっと大きなものになる。見返りも大きいことだろうが、投資する前に見極めておく必要がある。

  3.   世界最高にはなれないとわかっていても、何かのスキル——ホッケーとかバイオリンとか——を学ぶことに、内的な価値はあるか?

      何かをマスターするというのには中毒みたいなところがある。多くの人は何もマスターすることがなく、窪地の向こう側にいることのスリルを経験することもない。結果として、何かをマスターする新しい機会を求めようともしない。私は1人の親として、この点について子供の教育がうまくできることを願っている。

    「世界で一番」になることについて言うと、別にジョシュア・ベルのように弾けなければならないわけではない。「世界」はその人のマーケット次第でどんな世界でもあり得るのだ。町で一番の針療法士 というのでもいいし、今までになく最高にいい45ドルの靴というのでもいい。

    もちろん情熱——好きだからやる——というのは価値のあるものだ。好きでバイオリンを弾いていた人が、私の本を読んでやめてしまうようなことはあってほしくない。ただ私の本は、投資と成果についての話なのであって、純粋に楽しみのためというだけでなく、そこから何か見返りを求めている場合を扱っているということだ。

  4.   マーケットが確立されておらず、そもそもマーケットがあるかどうか、あるいは努力を傾けるに値するかどうかわからないとしたら?

     これは起業家の技とでも言うべき部分だ。大いなるビジョナリーである起業家には確立された窪地というのはない。その代りに、このタイプの起業家は新しい窪地を 作り出すのだ。新しいマーケット、新しい課題、新しい専門。成功するベンチャーキャピタリストのする仕事の1つは、その窪地を越えたところにある生活をイメージすることだ。たとえばGoogleに投資する理由は、新しい窪地 をなすマーケットを支配する検索サイトをそれが作っているからであって、Yahooに取って代わることができるからではない。

  5.  企業が製品を中止しつつ、マーケットから撤退するとは思われないようにするにはどうすればよいか?

      戦術というのはたえず変わるものだ。負ける組織は戦術をありがたがるが、それは柔軟性を欠いているためか、戦略を使うほどの勇気を持たないためだ。有能な組織は、戦略について明快で執拗ではっきり としている。マーケットは戦略目標に至るための戦術変更には寛容であり、支持さえする。Nokiaは毎年さまざまなモデルを製造中止にしているが、これは戦略の変更ではな かった。実際、Nokiaが世界最高の携帯を作ることに精力的であることをやめたときには、みんな興味をなくしてしまったのだ。

  6.  短期的な痛みと長期的な利益では、どちらがより強力か?

      やめることのパワーは、それが力を与えてくれるということにある。トヨタの組み立てラインみたいなものだ。作業者が不良部分を見つけるとラインは停止される。うまくいかなくなったときに喜んでやめるということが、熟達 への道を押しやってくれるのだ。並みところに落ち着くことを拒む組織は、すばらしいものを作り出す可能性がずっと高い。それが窪地を乗り切る力を与えるのだ。

    あまりに多くの組織が生半可な新しい戦術を試みようとするが、やめるとなると法王の勅令が必要になる。これは彼らの実施能力を弱めるだけでなく(a9.comを見るといい)、何かにぶつかった時に突破できない不能な組織にしてしまう 。

    私は窪地が苦痛でないと言っているわけでも、避けるべきものだと言っているわけでもない。窪地は実際味方なのだ。窪地が現われた時には、目指すもの——大きな進展 、向こう側、熟達、世界で一番——に近づいていることがわかる。

  7.  多くの企業はやめるのが早すぎるのだろうか、それとも長く続けすぎるのだろうか?

      我々にとってありがたいことに、その両方だ。彼らは窪地に行き当たったとき、踏ん張るべきであるのにやめてしまう。そして袋小路 にいたり、動きが取れなかったり、不安を感じないとき、やめるべきなのに留まり続ける。それが幸いだと言ったのは、もっといいやり方がわかる者には事がやりやすくなるからだ。

  8.  MicrosoftはMP3プレーヤーのマーケットから退くべきか?

      すでに退いているかと思った。彼らは多くの金を使いながら袋小路にいる。ずっとそこにいたのだ。窪地を目にしながら、それを受け止めてMP3プレーヤーと呼ばれるものをまったく別なものに作り替えることをせず、安全な道を進み、我も我もと群がる者の一員になった。

    窪地の向こう側にいるものを模倣しているという時点で、すでに負けているのだ。MicrosoftがMP3プレーヤーのマーケットを「やめた」のは、間違った窪地を認めたときだ。彼らは自明で 「安全な」窪地を選んだ。委員会の人たちには許容しやすい選択だが、Microsoftでさえ乗り切れる資力を持たないほど大きく険しい窪地だ。

    Microsoftには窪地を乗り越えてきた長い歴史があり、袋小路を切り捨ててきた長い歴史がある。Zuneについて彼らが何を考えているのか見当もつかないが、それは徹頭徹尾、袋小路なのだ。

  9.   Appleはパーソナルコンピュータのマーケットをやめるべきだろうか?

     Appleはすでに窪地を見事に乗り越えている。「パーソナルコンピュータの窪地」ではなく、「スタイルにこだわった、デザイナによる、マルチメディアの、学生や 家庭のためのコンピュータ」だ。彼らはこの領域で世界最高だ。彼らがそれを握っているのだ。そして収益を上げている。確かにスティーブがああ傲慢でなかったなら、もっと大きく、もっとうまみのあるマーケットで世界一になれたかもしれない。しかしそうは ならなかった。彼らがそれに対処できるようになったなら——もうほとんどできていると思うが——彼らは自分の後ろに壁を、大きな窪地をつくることができ、他のものがついて来れないようにすることができる。時とともに、パーソナルコンピュータは収益の出ないコモディティになっていく一方で、Appleのマーケットはより魅力的で、楽しく、高収益になっていくだろう。

  10.  アメリカはイラク戦争をやめるべきだろうか?

      私の意見は問題ではないと思うが、私の方法は大きな意味を持つことを期待している。

    私たちにわかっているのはこういうことだ。録音してCDを作るのは簡単だが、ヒットさせるのは難しい。本を書くのは簡単だが、ベストセラーにするのは難しい。Webサイトを作るのは簡単だが、大成功させるのは難しい。ディック・ チェイニーも今では気付いていることを願っているが、どこかの国に侵攻するのは簡単だが、侵略者として成功し、支配して文化を変えるのは難しいのだ。

    だから問うべきことは単純だ。我々はイラクで窪地にいるのだろうか? 我々が苦しんでいるということはみんなわかっているが、その痛みは、悪くなることこそあれ良くなることのない袋小路にいることから来る痛みではないのか? あるいはそれが窪地であるのなら、それなりの努力で向こう側に出ること はできるのだろうか? 我々はその答えを知っているべきだ。

    大きな間違いが早い時期になされた。チェイニーは窪地がどんなものなのか我々に教えなかったし、それにぶつかった時、何をすることになるのか説明しなかった。これは現在のチームと、チャーチルやルーズベルトとの間にある大きな違いだ。窪地に 臨む準備ができていないなら、それに持ちこたえるのはずっと難しくなる。

 

追記。セスがシリコンバレーに来るそうだ。近くの人はぜひ行けるといいね。

 

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オリジナル: The Big Dip: Ten Questions with Seth Godin
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