Gerald M. Weinberg / 青木靖 訳
2007年1月24日 水曜
最近ある作家から、自分の価値を否定する自分自身のネガティブな声に煩わされているという相談を受けた。最後に彼は こう付け加えた。「あなたも自分の内にいる批評家には気付いておられるだろうと思います。自分の体を傷つけることなくそいつだけ鈍器で殴り殺してやれるなら、私はすぐにでもそうするでしょう」
そういうのは自分の内にいる批評家について考えるやり方としてあまり有効ではない。自分の一部を殺すということが助けになることは決してない。
その批評家は、あなたが小さな子供の頃に作り上げたものだ。4歳の子供の考えが、30歳の(あるいはもっと年上の)体の中に住んでいるのだ。4歳児を殺すというのは、それもまた別な4歳児的な考え方だ。
かわりにあなたがすべきことは、あなたの中の30歳に、大人としてその4歳児に話をさせることだ。4歳児には無理な理性的な態度でいつづけること。ここであなたは大人なのだ。こんな風に心配している子供に、なんと言ったらいいのか考えてみよう。 「ぼくしゃべりすぎる? まだたらない? ぼくの言ってることって、意味はある?」 「みんなぼくのことばかみたいだって思うかな?」 それから、それを実行に移す。
その子を殺すことはできないのだから、教育することにしよう。
そもそも、外には実績のある優れた批評家がたくさんいるというのに、なぜ内にいる4歳児に耳を傾けようと思うの? 例を挙げると:
この短いリストに付け加えたいと思う優れた外の批評家はいる?
内側のであれ外側のであれ、批評家の言葉に耳を傾ける前に使えるいいテストがある。
彼ら自身が書いたものに、彼らの批評の価値を裏付けるものはあるか?
このテストによって、高校や大学の英語(国語)の教師のほとんど、たいていの友人、多くの編集者やエージェント、それにあなたのお母さんが除外されることになるだろう。
そして何も書いたことのない、あなたの中の4歳児も除外される。
この批評家テストに追加できる基準が何かあるだろうか?
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