オンライン教育が教えてくれること (TED Talks)

Daphne Koller / 青木靖 訳
2012年6月

皆さんの多くと同じように私は幸運に恵まれました。高い教育をみんな受けている家庭に生まれました。3代続きの博士で、両親はともに学者です。子どもの頃は、大学にある父の研究室を遊び場にしていました。だからいい大学に進むのも当然のことのように思っていました。そしてそれが私に大きな可能性を与えてくれました。

あいにくと世界の人の多くはそんな幸運に恵まれてはいません。場所によっては、たとえば南アフリカなどでは、教育は容易に得られるものではありません。教育システムはアパルトヘイトの時代に少数の白人向けに作られました。その結果、優れた教育を受けることを望み、それに値する人のための場所が不足しています。この希少性が、今年1月にヨハネスブルグ大学で起きた事件に繋がりました。大学入試の受付が一部追加で行われることになったとき、そのチャンスを掴むため列の先頭になりたいと思った何千という人が、登録開始の前夜門の外に何キロもの列を作りました。門が開いたとたん人々が殺到して20人が怪我をし、1人の女性が亡くなりました。息子の人生に少しでも良いチャンスを与えたいと願った母親でした。

教育の場に事欠かないアメリカのような場所でさえ、みんなに行き渡っているわけではありません。この何年か医療費の高騰がよく話題に上りますが、あまり認識されていないのは、同じ時期に高等教育の費用がその2倍のペースで増え、1985年の5.6倍にもなっていることです。このため、教育が今や多くの人の手が届かないものになっています、そしてどうにか高等教育を受けることのできた人たちでさえ、機会が開かれているとは限りません。最近のアメリカの大学卒業生で、それだけの教育を実際に必要とする仕事に就いているのは半数強にすぎません。トップレベルの大学の卒業生を別にすると、多くの人がその時間と労力に見合った恩恵を受けていないのです。

トーマス・フリードマンが最近のニューヨークタイムズ紙のコラムで、私たちの活動の背後にある本質を彼ならではの鋭さで捉えています。「突如可能になったこととどうしても必要とされていたものが出会ったとき、大きなブレークスルーは起きる」と彼は書きました。どうしても必要とされていたものについてはお話ししましたので、次にもう一方の話をしましょう。突如可能になったことを明らかにしたのはスタンフォードの3つの人気講義でした。それぞれを10万人以上が受講したのです。これを理解するために、その講義の1つで私の同僚兼共同創業者であるアンドリュー・ンが受け持つ授業を取り上げましょう。彼はスタンフォードでも人気の授業である「機械学習」を教えています。この授業は毎年400人が受講登録していますが、それを一般の人に向けて教えることにしたら10万人が登録したのです。これがどれほど大きな数字かというと、アンドリューが同じ数の学生をスタンフォードの教室で教えようと思ったら、250年教え続けなければならないのです。きっと飽きてしまうでしょうね。この反響の大きさを目の当たりにしたとき、アンドリューと私は、これをスケールアップして最高のクオリティの教育を可能な限り多くの人に届ける努力をすべきだと思いました。それでCourseraを設立して、最高の大学の最高の講師陣による最高の授業を、世界のすべての人に無償で提供することを目標に掲げました。現在4つの大学の多岐にわたる43の授業を提供しています。どんなものか少しご覧いただきましょう。

(ビデオ)「解析の授業にようこそ」「保険を持たない人が5千万人いるのです」「モデルは効果的な組織や政策を作る助けになります」「信じがたい差別を受けているのです」「ブッシュは、将来人々が額にカメラを付けるようになると想像したのです」「ミルズはその社会学の研究者に心の資質を開発してほしかったのです・・・」「垂れ下がったケーブルの形は双曲線余弦関数になります」「画像の各ピクセルについて赤を0に設定します」「ワクチンはポリオウィルスの撲滅を可能にしました」「“Does Lufthansa serve breakfast and San Jose?”と言うと変に聞こえますよね」「どちらのコインを選ぶかということで、2回コイン投げをします」「大規模機械学習によって得たいのは計算的な・・・」(拍手)

当然のことだと思いますが、最高の大学の最高のコンテンツがただで手に入ることを学生は歓迎します。2月にこのウェブサイトを開設して以来、190カ国から64万人が参加しています。受講登録数は150万、15の授業で600万の小テストの回答があり、1400万回ビデオが視聴されています。でも肝心なのは数ではなく、人間です。インドの小さな村に住むアカシュには、スタンフォードのようなクオリティの授業に接する機会もお金もありませんでした。2人の子どもを持つシングルマザーのジェニーは、能力を磨き大学に戻って修士号を取りたいと思っています。ライアンは大学に行くことができません。免疫不全の娘がいて、家に雑菌を持ち込むリスクのため家を出られないのです。最近ライアンから連絡があり、この話がハッピーエンドになったと聞いてとても喜んでいます。赤ちゃんのシャノンは、左の子ですが、今ではずっと良くなり、ライアンもCourseraで受けた授業を元に仕事を得ることができました。

ではCourseraの授業の何が特別なのでしょう? オンライン授業なら別に以前からありました。違っているのは、これが本当の授業体験を与えることです。特定の日に始まり、学生は毎週毎週ビデオを見て宿題をします。本当の宿題で、本当の成績と本当の締め切りがあります。これは締め切り日とサイト利用者数ですが、グラフで突き出している部分は、先延ばしが世界的な現象であることを示しています。(笑) 授業の最後に学生は修了証を受け取ります。それを就職活動先に提示してより良い仕事を得ることもでき、既にそうしている人たちがいます。この修了証を入学先の学校に出して、単位として認めてもらっている人もいます。だから学生たちはかけた時間と労力に対して、実のある結果を得ているのです。

では授業の構成について少し見ていきましょう。教室の物理的制約を離れ、コンテンツを最初からオンライン向けにデザインするなら、たとえば1時間単位の講義をバラしてしまうこともできます。1つのコンセプトを8分から12分で説明する小さなユニットに教材を分割することができます。学生は各々の背景知識や関心に応じて違う順序で教材を見ていくことができます。例えばある学生には、他の学生が既に知っている前提知識を与える準備的な教材が役に立つかもしれません。あるいは自分で学んでいける進んだ内容の教材に興味を持つ学生もいるかもしれません。ですからこの形式によって、全員に一律同じものを押しつける従来のモデルを打ち壊し、個人個人に合ったカリキュラムを組めるようになるのです。

私たちは教育者ですから、黙ってビデオを見ているだけでは学べないことを知っています。私たちのアプローチにおける最大の要素は、学習内容を本当に理解するための練習問題を課していることかもしれません。練習問題の重要性は多くの研究によって示されています。たとえばこれは去年のサイエンス誌に載った研究ですが、習ったことを単に繰り返すだけの単純な復習問題が、他の学習方法よりも試験結果を大きく向上させるということが分かりました。復習問題やその他の練習問題をいろいろ組み込んでいます。ビデオも単なるビデオではありません。数分ごとに止まって学生に質問を投げかけるようになっています。「・・・この4つ、プロスペクト理論、双曲割引、現状のバイアス、基準率の無視です。いずれもよく知られた合理的行動からの逸脱です」。ここでビデオが止まって、学生は回答欄に答えを書いて送信します。(不正解。もう一度。) どうも注意して聞いてなかったようです。(笑) もう一度やって、今度は正解しました。必要なら補足説明を見ることもできます。それから講義が先へと進みます。これは私が教室で聞くような簡単な質問ですが、教室での場合、80%の学生はまだ私の言ったことを書き取っている最中で、15%はFacebookに没頭しており、最前列にいる賢い学生が他の人たちに考える間も与えず答えてしまいます。教師としては、せめて誰か答えの分かる人がいればそれでよしとします。だからほとんどの学生が質問されたことに気付きもしないうちに、授業は先に進んでしまいます。でもCourseraでは、すべての学生が質問に取り組むことになります。

もちろんこの単純な復習問題がすべてではありません。もっと突っ込んだ練習問題も必要で、学生にフィードバックを与える必要もあります。でも10万人の宿題を教育助手を1万人も使わずにどうやって採点したらいいのでしょう? 答えはテクノロジーを使うということです。幸いテクノロジーの進歩によって、様々なタイプの宿題の採点ができるようになっています。ご覧いただいたような選択肢式の問題や答えの短い質問のほか、数式や微分の問題も採点できます。様々なモデルも採点できます。経営の授業での金融モデルや科学や工学の授業での物理モデル、それに結構込み入ったプログラミング課題も採点できます。単純ですが視覚的な例をご覧いただきましょう。これはスタンフォード大の「コンピュータ科学入門」の課題ですが、学生は赤いぼんやりした画像の色を変えます。ブラウザ上でプログラムを書いて、正しくないと自由の女神が船酔いしたような画像になります。もう一度トライして、ちゃんと書けたらそれと分かり、次の課題へと進みます。能動的に課題に取り組み、答えが正しいか間違っているか分かるというのは、学習のために欠かせないことです。

もちろん全ての授業の全ての課題の採点ができるわけではありません。特に人文、社会科学、経営学などの批判的思考力を見るような課題の採点には適しません。そこで選択式の出題方法もそんなに悪くはないと人文の先生たちを説得してみましたが、あまりうまくはいきませんでした。それで別な解決法を見つける必要がありました。その解決法は、学生が互いを採点するというものです。このサドラー&グッドのような過去の研究結果から、相互採点は再現可能な採点結果が得られる驚くほど効果的な方法だと分かりました。小規模でしか試されていませんが、ここに出ているように、y軸の学生による採点は、x軸の教師による採点と非常に高い相関を示しています。さらに驚くのは自己採点結果で、学生に自分で採点させると——自分に満点をつけたりしないよう適切に動機付けする必要がありますが——教師の採点とより高い相関を示すのです。ですから、これは大規模な採点に使える効果的な戦略であり、学生にとっても有用な学習方法です。採点の体験から学ぶことができるからです。私たちは今や史上最大の相互採点システムを持っており、何万人という学生が互いの課題を採点し、極めて良い結果が得られています。

学生たちはもっぱら自室で1人問題に取り組むわけではありません。それぞれの授業に受講生のコミュニティができあがり、世界中の学生が互いの成果を共有しています。ご覧いただいているのはプリンストン大の「社会学入門」の学生の所在を示した地図で、Courseraがいかに広く世界で利用されているか分かります。学生たちは様々な方法で互いに協力し合っています。第一にQ&Aフォーラムがあって、学生が何か質問を投げると、他の学生が答えます。これが素晴らしいのは、学生の数が非常に多いため、質問が投げられたのが明け方の3時だろうと、世界のどこかには起きていて同じ問題に取り組んでいる学生がいるということです。そのため、CourseraのQ&Aフォーラムにおける質問への回答時間の中央値はたったの22分です。そのようなレベルのサービスはスタンフォードではとても提供できません。(笑)

学生の声から分かるように、このオンラインコミュニティの規模のおかけで、学生の交流は実際の教室におけるよりも広く深いものになっています。学生たちはまた、教師の側からの働きかけなしに、小さな学習グループを自主的に作っています。あるものは地域限定の学習グループで、毎週集まって課題に取り組んでいます。これはサンフランシスコのグループですが、同じようなものが世界中にあります。一方バーチャルな学習グループもあって、言語や文化によってまとまっているものもあれば、左下のもののような、他の文化圏の人との交流を望むユニバーサルな多文化の学習グループもあります。

このようなフレームワークから得られる可能性には膨大なものがあります。第一に人間の学習についてかつてない洞察を得られる可能性です。ここで集められるデータは独特のものです。何万という学生による、あらゆるクリック、あらゆる宿題の提出、あらゆるフォーラム投稿データを集められます。人間の学習の研究を仮説駆動でなくデータ駆動で行うことができます。これは生物学に革命をもたらしたのと同じ変化です。これらのデータを使って根本的な疑問に答えることができます。効果的な優れた学習戦略とそうでないものは何か? 個々の授業内容についても、学生がよくする勘違いにどんなものがあり、どうすれば避けられるか考えることができます。これはアンドリューの機械学習の授業の例ですが、ある課題に対する間違った答えの分布を示しています。答えが2つの数字の組み合わせだったので、二次元平面にプロットできました。小さな×印のそれぞれが間違った答えを表しています。左上の大きな×印では2千人の学生が同じ間違った答えをしています。100人の教室で2人の学生が同じ間違いをしても気付かないでしょうが、2千人が同じ間違いをすれば見落としようがありません。それでアンドリューと学生たちはこのような課題を調べて勘違いの原因を突き止めました。そして学生がそれと同じ間違いをしたときにエラーメッセージを出すようにしました。だから学生はこの勘違いに対して専用のフィードバックを受け、より効果的に勘違いを解消できます。

このようなパーソナライゼーションは規模によって可能になったものです。パーソナライゼーションはここで一番大きな可能性かもしれません。30年来の問題を解決できるかもしれないのですから。教育の研究者ベンジャミン・ブルームは、1984年に2シグマ問題という問題を提起しました。 3種類のグループの観察から見出されたものです。第一のグループは教室での講義で学習します、第二のグループも通常の授業で学習しますが、習得度アプローチを使い、前の課題を習得しなければ次の課題には進めません。三番目はチューターからの個別指導で教わるグループです。習得度ベースのグループは、通常の講義ベースのグループよりも得点が標準偏差(σ)の分だけ良くなり、個別指導のグループでは成績が2σ良くなっています。どういうことかというと、講義ベースの場合の点数の中央値を閾値としたとき、講義ベースのグループでは半数がそれより上、半数がそれより下になりますが、個別指導のグループでは98%がこの閾値よりも上になります。98%の学生が平均以上になる教育というのを考えてみてください。これが2σ問題です。

社会として学生1人ひとりに人間のチューターを割り当てることは不可能ですが、学生1人ひとりにコンピュータやスマートフォンを提供することならできるでしょう。問題はテクノロジーによって、左の青い曲線を右の緑の曲線にどこまで近づけられるかということです。習得度ベースの学習はコンピュータで容易に実現できます。コンピュータは同じビデオを5回繰り返すのを厭いません。同じ問題を繰り返し採点するのも厭いません。それはご覧いただいた例の通りです。パーソナライゼーションもまた可能になり始めています。ご覧いただいたようなパーソナライズされたカリキュラムやパーソナライズされたフィードバックを提供することができます。ここでのゴールは、緑の曲線に向かってどこまで押し進められるかということです。

これがそんなに素晴らしいものなら、大学は陳腐化するのでしょうか? マーク・トウェインは確かにそう考えていました。彼はこう言っています。「大学というのは、教授の講義ノートが学生の講義ノートへと両者の頭脳を介さずに変換される場所である」(笑) 私はマーク・トウェインに異を唱えたいと思います。彼が難じているのは、大学というよりは、多くの大学が多大な時間を費やしている講義ベースの形式です。さらに遡ってプルタルコスはこう言っています。「心というのは満たすべき容れ物ではなく、焚き付けるべき木のようなものである」。大学は学生の頭に講義内容を詰め込もうとするのではなく、実際の対話を通じて彼らのクリエイティビティや想像力や問題解決能力を焚き付けることに、もっと時間を費やすべきでしょう。どうしたらそうできるのでしょう? 教室での能動的学習です。ここに挙げたものをはじめ沢山の研究があるのですが、能動的学習を使い教室で学生との交流を持つと、あらゆる指標で結果が改善されます。出席率、参加の度合い、標準テストで評価した学習度。ご覧のように、この実験で達成度のスコアはほとんど倍になっています。これが大学で時間をかけるべきことなのかもしれません。

まとめになりますが、最高の教育を世界中の人に無償で提供できたなら、何が起きるでしょう? 3つあります。第一に教育が基本的人権として確立されるでしょう。動機と能力を持った世界中の誰もが、自分や家族やコミュニティにより良い生活をもたらすのに必要なスキルを手にできる権利です。第二に、生涯学習が可能になるでしょう。多くの人が高校や大学を卒業したときに学びやめてしまうのは残念なことです。素晴らしい学習コンテンツが提供されることで、望むときにはいつでも新しいことを学び、視野を広げたり、生活を変えることができます。そして最後に、新たなイノベーションの波を生み出すでしょう。ものすごい才能を持った人がどこにいるか分かりません、明日のアインシュタインや明日のスティーブ・ジョブズは、アフリカの僻地の村にいるかもしれません。その人たちに教育を提供できたなら、彼らは次の大いなるアイデアを生み出し、すべての人のため、世界をより良い場所に変えてくれることでしょう。どうもありがとうございました。(拍手)

 

[これはTED公式日本語訳です。翻訳をレビューしていただいたMieko Akai氏に感謝します。]

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オリジナル:  Daphne Koller: What we're learning from online education