成功の5つの秘訣

danah boyd / 青木靖 訳
2007年4月6日

私は相変わらずミームが嫌いだが、ナンシーのことは好きだ。自分でこんなことをする気は 全然なかったが、それはどうして成功したか話すなどということをおおよそやりたくなかったからだ(自分が成功していると認めるのが嫌だというのが主な理由だ)。しかしどうすれば私のようになれるかという学生の質問や、私が自分の受けている注目に値しないという年嵩の学者たちの批判のことを、このところずっと考えてもいた。

ある意味で彼らの指摘は正しい。すごい仕事をしながら、それがあまりおしゃれじゃないというだけでほとんど注目されない人たちもいる。一方で、私は必死にやっているし、そうしている理由はこの世界に違いをもたらすことができると信じているからだ。私はいつもオードリー・ロードの言葉 「主の道具では主の家をばらすことはできない」と格闘しており、それは主の道具を捨てれば家を解体できるとも思えないからだ。活動家として行動する中で、別なレベル——システム の中と、システムの外——の人々を必要に思うようになった。勝利の日に、人々は有名人が変革を実現して奇跡を行ったことに気付く。はるか以前、私が世界を変えられる方法は、可能な限り人目につくようにし、あらゆるレベル(草の根、政策、研究、 財界)で働く人たちと関係を持つことだと思った。知識は力であり、教えることが変革への道なのだと思った。肩書きはどうあれ、私は自分のことを教師だと思っている。私は人に、自分と違う人々について教えようとしている。権力を持たない人々が正当なことを実現するために使える忍耐と知識について教えようとしている。そうする中で、私が手にしているアクセス/権限/コネ/力に値しないと思っているたくさんの人たちを苛立たせることになる。一番うんざり させられるのは、そういう苛立っている人の多くが、私の理解できないある種の見えない階層を保つ必要があると思っている同僚の学者達だということだ。何度間違っていることが示されようとも、私は心の中では、学問の世界の基本は知識の生産と普及にあるのだと信じたい。学者としてうまくやっていくためのゲームをするよりは、人々を助けようと世界を飛び回っているほうがいい。

もちろん、私がいつも成功するというわけでも、間違いを犯さないというわけでもない。メディアが元々私のアイデアでないものを私のアイデアであるかのように紹介するときには肩身の狭い思いをする。(印象操作は私ではなくゴフマンだし、インターネット人類学を考案してもいない。はっ、私は人類学者でさえない。などなど。) 私が持ち出す議論の多くは他の人たちやapopheniaで学んだことを含んでいる——以前には関連のなかったものに関連づけをしているのだ。

このことを踏まえた上で、私の成功の5つの「秘訣」をお教えしよう(そして決まり悪く思うのをやめるようにしよう)・・・

1. 「デモか死か」  これはメディアラボにおけるマントラだ。メディアラボを訪れる客の1人ひとりに成果のデモをするのはまったく嫌だった。同じことの繰り返しだし、すごく疲れた。しかし振り返ってみると、これが私の世界をどれほど変えたかは言葉にできないくらいだ。メディアラボでの経験を通して、私はどんなことだろうと、どんな相手に対してだろうと即席でプレゼンできるようになった。30分の内容を5分に縮めたり、5分の内容で1時間中身のある話をする方法を学んだ。相手の知識を読み取って、その人の興味や知識のレベルに合わせて見せ方を変える方法を学んだ。様々な人を相手に話し、表現することは非常に重要だ。そしてこれには練習が必要だ。たくさんの練習が。図書館に何年も籠 りきりでいながらすごい講演ができるようになると期待することはできない。私がこんなにも多く講演をしているのは、自分で練習が必要だと思っているからだ。私は自分の考えを伝えられるようになりたい。時に失敗もするが、しかし私は努力し続けている。

(これは書くことについても当てはまる。どんな人向けにでも書けること。コラムや、説得力のあるブログ、学術的な記事、どんなものだろうと、何だろうと書けること! 私は書くのが嫌いだ。だから自分の考えていることについて書き始めた。練習、練習、練習だ。)

2. 「ルールを学ぶこと。それからルールを破る方法を学ぶこと」  私はパンクな子供だった。どんなルールに従うことも拒み、どこからも追い出された。そういうのがラディカルだと思っていた。高校生の時、母が自分の一番の特技は、人に邪魔すんな、うせろ、と言うのを女性的に、相手がどう対応していいかわからないような仕方で言えることなのだと話してくれた。長い時間をかけて、私はルールと規範を理解し、自分の目的のためにそれをうまく利用することで得られる大きな力を知った。社会に反抗するのは子供には楽しいことだ。参入障壁を迂回する方法を見つけ出すのは大人にはもっと楽しいことだ。それを上品に、やさしく、誠意を見せながらやるのだ。(これについては具体的な例を挙げるのはためらわれる。トラブルになるのを免れない。)

3. 「人生を多様化する」  多様さという言葉はあまりに使われすぎているが、ここで説明しようと思うことを表すもっといい言葉を思いつかない。人生のあらゆる小道の人々を知ること。あらゆる分野の本を読むこと。さまざまなブログを読むこと。同じ問題に対して異なる見方をするたくさんのカンファレンスに参加すること。そしてカンファレンスに参加するときには、50%の時間をよく知っている人たちと過ごし、あとの50%の時間はあまり知らない人たちと過ごすようにすること。今年のSXSWで私がした最良の判断は、いろいろな人の間をふらふらするのでなく、夜ごとに1つの小さなグループと一緒に過ごして絆を深めたことだ。私は 「ソーシャルネットワーキング」という概念は嫌らしくて好きじゃない。重要なのは大きなローロデックスを持つことではなく、複数のレベル(職業的、個人的、その他)で意味深い関係を構築することだ。より多くの人々やアイデアに接するほど、クリエイティブになることができ、自分の仕事を通して深く知っていることを踏まえて会話できるようになる。

4. 「公に、たくさんの人の目の前で間違いを犯すこと。謝ること。そして学ぶこと」  失敗を隠すのは簡単だし、見つからないようにしようとするのは自然なことだ。しかしおおっぴらに 間違いをすることには大きな価値があると思う。第1にそれは新しいことを試みているということであり、第2にその誤りから早く学ぶことを自分に課しているということだ。私のブログは間違った仮説やはんぱなアイデアでいっぱいだ。私はばかなことを言う。みんながそれを批判し、私はそこから学ぶ。完璧になるまで外に出そうとしない人たちを見ているとすごくいらいらする。本当のことを言えば、ひとたび公に出したなら、自分でどんなに完成していると思っていようが、批判され、異議を唱えられることになるのだ。これはソフトウェアでもそうだし、アイデアについてもそうだ。バグはイテレーションの中で見つかる。学者達が公に出す前にコントロールし、完全を期そうとするのはわかる。しかし多くの場合、それでは遅すぎるのだ。プレスを忌避しないこと。 彼らがするバカみたいな質問には、アドバイザのどんな鋭い質問よりも考えさせられることになる。そしてどんなによく説明しようと、彼らは間違った引用をする。それでもいろんな人のブログでの反応を読み、間違って引用されたいい加減な説明に基づいてなされた批判を見て、そこから学ぶことができる。外でへまをしでかす方が、内に閉じこもっているよりいい。コツは倒れても起きあがるということで、誤解を正そうと試みて、そこから学ぶのだ。

5. 「私はまともじゃない。これは楽しい話ではない。成功 != 幸福なのだ」  みんな成功というのは素晴しいことだと思っている。有名人になれたら素敵だろうなと思うように。今は金曜の夜だ。私は締め切りを過ぎたエッセイを書く合間にこのブログを書いている。私には週末はない。滅多にデートもしない。子供もいない。私がビジネスクラスに乗るのは、単に自分の家で寝るよりも空港で過ごす時間が長いことの結果だ。ベッドから出るのは、猫を運搬用のかごに入れるのと同じくらいに難しい。Flickrで楽しそうに見えるのは、その日がどんなにひどかろうと、私がブログを書いたりTwitterしたり演台に立つ時には、いつでも笑みを浮かべていることを期待されていると知っているからだ。毎日、これやらあれやらの役に立っていないことに罪悪感を抱かせるメールに気付く。私が何をしようと、まだまだだと言われる。そして 人に知られるようになるほど、私をずたずたにしようとする人が増える。自殺した子供の哀れな父親のように人々の怒りの対象となり、そして非難される。すごく傷つけられる。

私は自分がしていることを後悔はしていないが、全然楽しいことではない。しかし母がやってきて、ありがとうと言い、娘に辛く当たるのはやめると言ったときには、何週間も興奮が引かなかった。世界を変えたいと思うなら、公の場に立ちたいと思うなら、それがあなたの私生活とまともさにもたらすコストを覚悟しておく必要がある。打ち明けるが、私は半年ごとに、すべてやめて、9時-5時の仕事をし、大事な人がいて、社会生活があり、子供のいる普通の生活がしたくなる。しかし私の中にある何かが、そうさせてくれない・・・あるいは私は自分自身から逃げているのかもしれない 。シンプルな生活を送るより、壮大な変化を引き起こそうと生きる方が単に好きなのだと、そう思いたい。もちろんシンプルな生活の方がずっと 「幸せ」だろうとは思うが、私には幸せというだけでは十分でないのだ。世界を正そうとし、静謐さを見出そうとすることに、私はあまりにも多く投資してきた。それがいいにし ろ悪いにしろ。

 

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オリジナル:  5 secrets to success

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