SOPAはなぜまずいのか (TED Talks)

Clay Shirky / 青木靖 訳
2012年1月

この写真から始めましょう(「カレッジ・ベーカリー お持ちいただいたデザインでの食べられる絵は今後一切お受けできません」という告知の写真)。これは何年か前、ブルックリンの家の近所にあるケーキ屋で見た手書きの告知です。そのお店には砂糖の板にプリントする機械がありました。それで子どもたちの描いた絵を砂糖の板にしてバースデーケーキの上に載せていたんです。

子どもたちがよく描きたがるのは、漫画に登場するリトル・マーメイドや、スマーフや、ミッキーマウスでした。しかし子どもの描いたミッキーマウスを砂糖の板にプリントするのは違法だということが分かりました。著作権侵害になるのです。子どものバースデーケーキのために著作権侵害がないか確認するのはあまりに面倒なので、カレッジ・ベーカリーは言ったのです。「このサービスは終了します。アマチュアの方にはもう機械をお使いいただけません。砂糖の絵のあるケーキがご入り用なら、プロの描いた出来合いの絵柄からお選びください」

いま議会にかかっている法案が2つあります。1つはSOPAで、もう1つはPIPAです。SOPAは下院から出た「オンライン海賊行為防止法案」で、PIPAはPROTECTIP(知財保護)の略で、これ自体が「インターネットにおける経済的創造性への現実の脅威ならびに知的財産窃盗の予防」の略になっています。こういったものの名前を考える議員補佐官はよほど時間をもてあましてるんでしょう。SOPAとPIPAがやろうとしているのは、これです。著作権遵守のコストを引き上げ、アマチュアによる制作を不可能にするということです。

そのための手段は、著作権を侵害しているWebサイトを特定し・・・その特定の方法は法案には明確に定義されていないのですが・・・そのWebサイトをドメインネームシステムから取り除くということです。ドメインネームシステムというのは、google.comのような人に読める名前をコンピュータが使うアドレスに変換する仕組みです。たとえば74.125.226.212のような。

Webサイトを特定してドメインネームシステムから排除するというこの検閲モデルの問題は、それが機能しないという点です。それでは法律として問題があると思うでしょうが、議会ではあんまり気にしていないようです。なぜ機能しないのかというと、ブラウザに直接74.125.226.212と打ち込むとか、リンクにするとか、Googleを使うとか、他にやりようがあるからです。問題の周りにある規制のレイヤが、この法案の本当の脅威なのです。

そもそもの目的を達せられず有害な副作用ばかりがある法案をどうして議会が作ることになったのか理解するには、その背景を知っておく必要があります。その背景とは、SOPAやPIPAの法案は20世紀にできたメディア企業によって下書きが作られたということです。20世紀はメディア企業にはいい時代でした。必要だったのは希少性だけです。テレビ番組を作るとき、かつて作られたどの番組より良いものを作る必要はありませんでした。同じ時間帯に放送される他の2つの番組よりマシであれば、それでよかったのです。競争に勝つ難しさという点ではとても低いハードルでした。それはつまり、平均的なものを作れさえすればアメリカ国民の3分の1を手にできたのです。単にひどくないというだけで何千万というユーザーを手にできたのです。お金を発行するライセンスと無料のインク樽を手にしたようなものです。

しかし技術というのは進歩するものです。徐々に20世紀の末にかけて希少性が浸食されていきました。デジタル技術によってではなく、アナログ技術によってです。カセットテープや、ビデオレコーダー、それにコピー機さえ、私たちにメディア企業を驚かせるようなことをする機会を与えました。私たちはカウチポテトではないことが分かったのです。消費だけしていたいと思ってはいなかったのです。消費もいいですが、そういう新しいツールが現れるたびに、私たちが制作や共有することも好きだということが分かったのです。そのたびにメディア企業は苛立つことになりました。ジャック・バレンティは全米映画協会のロビイストの首領ですが、以前恐ろしいビデオカセットレコーダーを切り裂きジャックに喩え、かよわいハリウッドを家に一人でいる女性に喩えたものです。何という話術でしょう。

メディア業界は議会にどうにかしてくれと泣きつきました。そして議会が動きました。90年代初期に議会はすべてを変える法案を通しました。1992年のオーディオ家庭内録音法です。オーディオ家庭内録音法では、ラジオを録音して友達にミックステープを作ってあげるのは犯罪になりません。合法でした。録音しリミックスして友達と楽しむのは問題ないのです。たくさんの高品質のコピーを作り売りさばくのは問題になりますが、録音の自由は認められました。これで問題は明確になったと思われました。合法なコピーと違法なコピーの区別が明確にされたからです。

しかしこれはメディア企業が望んでいたものとは違いました。彼らは議会が複製をすべて違法にすることを望んでいたのです。だから1992年のオーディオ家庭内録音法が通ったとき、メディア企業は複製における合法と違法の範囲という論点はあきらめました。なぜならこの枠組みで進めると、メディア環境に参加する一般市民の権利がかえって大きくなってしまうからです。それで彼らは次の手を考えました。少し時間がかかりましたが。

次の手が姿を現したのは1998年、デジタルミレニアム著作権法(DMCA)です。複雑な法律でたくさんの要素があるのですが、DMCAという法律の要旨は、複製不能なデジタル商品の販売を合法にするということです。問題は複製不能なデジタル商品などないということです。エド・フルトンがかつて言ったように、それは「濡れてない水」みたいなものです。デジタルデータは複製可能なものです。複製はコンピュータの通常の動作の副作用として起きることなのです。

複製不能なデータを売れるように見せかけるため、DMCAはユーザーの装置の複製機能を損なうシステムを強制的に使用させることも合法としました。DVDプレーヤーやゲーム機やテレビやコンピュータは、どういうものとして買ったのかとは関係なく、コンテンツ業界に壊される可能性があります。彼らがそれをコンテンツを売る条件としたときに。そして消費者がそれに気づいたり汎用計算装置としての機能をオンにすることがないように、コンテンツの複製可能性をリセットしようとすることも違法にしたのです。DMCAというのは、メディア業界が複製の合法・違法の区別を法律に求めるのをやめて、複製を技術的手段によって防ごうとした瞬間なのです。

DMCAは込み入った影響を生み出しましたが、共有を防ぐという点では概ね機能していません。その主な理由は、インターネットは誰が予想したよりもはるかに人気かあり、はるかに強力だったからです。ミックステープや同人誌はネット上で今目にしていることに比べれば取るに足りません。12歳以上のアメリカ国民のほとんどが、互いにネット上で何かを共有している。私たちがいるのはそういう世界です。文章を共有し、画像を共有し、音楽を共有し、ビデオを共有しています。共有しているあるものは自分で作ったものです。あるものは見つけたものです。あるものは見つけたものを元に作り出したものです。そのすべてがメディア業界を震え上がらせました。

だからPIPAとSOPAは第2ラウンドなわけです。DMCAは外科手術のようでした。我々は諸君のコンピュータの中に、テレビの中に、ゲーム機の中に入り込み、店でできると言っていたことをできなくさせる。一方PIPAとSOPAは核兵器です。我々は世界の至る所でコンテンツを検閲する。そのためのメカニズムは、問題のあるIPアドレスを指すものをすべて取り除くということです。検索エンジンから、オンラインディレクトリから、ユーザーリストから取り除きます。インターネット上のコンテンツの最大の生産者はGoogleでもYahooでもなく、私たちです。だから取り締まられるのは私たちなのです。究極的には、PIPAやSOPAの制定が脅威にさらすのは、私たちが互いに共有する能力なのです。

PIPAやSOPAが危険なのは有罪が確定するまでは無罪という数百年来の法の理念を逆転させ、無罪が確定するまでは有罪とするということです。我々の望まないものを共有していないと示すまで、諸君は何も共有できない。突如として、合法か違法か証明する責務が、私たち自身や、新しい能力を人々に提供するサービスに押しつけられることになったのです。1人のユーザーをチェックするコストがわずかだとしても、ユーザーが何億もいるサービスは成り立たなくなります。

(ケーキ屋の告知を指して)彼らが考えているインターネットはこれです。あのケーキ屋の告知が至る所にあるところを想像してみてください。YouTubeにも、Facebookにも、Twitterにも、TEDにも。許容可能なコストでコメントを監視するのは不可能だからです。SOPAとPIPAの本当の影響は、謳われている効果とは違います。怖いのは立証責任が逆転するということ、私たちは皆突如として、創作し、制作し、共有する自由のあるあらゆる場面で泥棒扱いされるようになるのです。私たちにそういう能力を与えるもの、YouTube、Facebook、Twitter、TEDもまた、私たちを監視しなければ権利侵害を幇助したということで、厄介に巻き込まれることになるのです。

これを止めるためにできることが2つあります。単純なのと込み入ったの、簡単なのと難しいのがあります。単純で簡単な方ですが、アメリカ国民の方は議員に電話してください。SOPAやPIPAの法案に署名した議員たちは、メディア業界から累積的に何百万ドルというお金を受け取っています。皆さんは何百万ドルも持ってないでしょうが、議員に電話をかけて、自分が有権者であること、泥棒みたいに扱われたくないこと、インターネットを壊してもらいたくないことを伝えることはできます。

アメリカ国民でない方は、知っているアメリカ人に連絡を取って、今言ったようにすることを勧めてください。これはアメリカの国内問題のように見えるかもしれませんが、違います。アメリカのインターネットを壊しただけではメディア業界は満足しません。アメリカの次は、世界でやるでしょう。これが簡単な方、単純な方です。

難しい方は、備えるということ。これで終わりではないからです。SOPAはCOICAの焼き直しで、これは去年提案され否決されました。そしてそれは技術的手段で共有させまいとしたDMCAの失敗に遡ります。そしてDMCAはオーディオ家庭内録音法に遡り、それはメディア業界をぞっとさせるものでした。誰かが法を破った時に証拠を集め、それを証明するというのは、とても面倒だからです。「そんなことやりたくない」とコンテンツ業界は思っています。彼らが望むのはそうせずに済む方法です。合法的な共有と違法な共有を区別などせず、共有そのものをなくしてしまいたいのです。

PIPAやSOPAは、特殊で例外的な一度限りのものではありません。20年も進み続けてきたスクリューの次の回転に過ぎません。私たちが幸いにここで潰せたとしても、次があります。私たちは議会を説得する必要があります。著作権侵害に対する方法は、NapsterやYouTubeがやったように、すべての証拠の提示をし、議論を尽くして裁判をし、賠償額の評価をするということです。それが民主社会のやり方であり、正しい方法なのです。

そうなるまでは、私たちは備えている必要があります。PIPAとSOPAの本当のメッセージは、タイムワーナーが求めているのは、私たちがカウチポテトに戻って消費だけをし、制作や共有をやめるということです。私たちはそれに「ノー」と言う必要があります。

ありがとうございました。

(拍手)

 

[これはTED公式日本語訳です。翻訳をレビューしていただいたHiroko Ito氏に感謝します。]

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オリジナル:  Clay Shirky: Why SOPA is a bad idea