組織というシステムと協力というシステム (TED Talks)

Clay Shirky / 青木靖 訳
2005年7月

グループが何かを実現するのはどうやってでしょうか? 人の集団が混沌に陥ることなく、持続する価値あるものを一貫して作り出せるようにするには、どうすればいいのでしょう?  この問題を経済学では協調コストと呼んでいます。協調コストにはグループの仕事の段取りに関わる金銭的、組織的な問題すべてが含まれます。協調コストに対する伝統的な解決法は、「人のグループの作業を協調させるには組織を作れ」というものです。リソースを集める。何かを設立する。私的なもの・公的なもの、営利・非営利、大きいもの・小さいもの、様々ですが、リソースを集約する点は共通しています。組織を作り、その組織を使ってグループの活動を協調させるのです。

最近になってグループの人々が互いにコミュニケーションを取るコストが劇的に下がりました。コミュニケーションのコストというのは、協調コストの中で大きな部分を占めています。そして第2の解決法が現れました。組織を構成することなく、インフラで協力を可能にし、システムの働きの副産物としてグループの作業が協調するようなシステムをデザインする、というものです。それが今日私のお話ししたいことです。ごく具体的な例を使って説明しますが、見据えているのは常により広い主題です。

あなた方がいつか自らに問うだろう疑問、インターネットが作られた目的とも言える疑問に、回答を試みるところから始めましょう。その疑問とは ― ローラースケートする人魚の写真をいかにして集めるか?  rollerskating mermaidニューヨークでは毎年夏の最初の土曜日に、地元の古びた遊園地であるコニーアイランドで「マーメイドパレード」が行われます。これには一般の人たちが街中から着飾って集まってきます。そんなに着飾らない人もいます。若い人にお年寄り、通りで踊る人、色とりどりの人物。みんながこの一時を楽しみます。魅力的ではありますが、注目してほしいのはマーメイドパレード自体ではなく 、写真の方です。これは私が撮ったものではないのです。ではどこから?  答えはFlickr です。

Flickr というのは写真共有サービスで、人々が撮った写真をアップロードし、Web で公開できます。最近 Flickr はタグという新機能を追加しました。タグは、ソーシャルブックマークのDel.icio.us とジョシュア・シャクターが先鞭を付けました。タグというのは分類の問題に対する協力のインフラを使った解法です。この講演を去年やっていたとしたら今のをお見せすることはできませんでした。写真を探せなかったからです。司書の一団を雇いアップロードされた写真を整理させる代わりに、Flickr は写真の特徴付けという仕事をユーザにゆだねることにしたのです。それで私はFlickr で"Mermaid Parade"とタグ付けされた写真を集めることができました。118人が撮った計3,100枚の写真です。このすてきな名前の元、日時の新しい順に並んでいます。それを落としてきて、この小さなスライドショーを作りました。

ここで解決されている難しい問題は何でしょう?  すごく抽象的な言い方をすると、協調の問題です。インターネット上には膨大な数の人がいますが、マーメイドパレードの写真を持っているのはごくわずかの割合の人だけです。彼らに貢献してもらうにはどうすればいいのでしょう?  伝統的なやり方は組織を構成するというものです。それらの人々を明示的な目的を持ちよく整理された組織に集めるということです。この組織化という方法には副作用があることに注意してください。

第1に、組織を作るとマネジメントの問題が生じます。スタッフを雇うだけではだめで、それらのスタッフを管理し、組織の目的に沿って働かせるための人をも雇う必要があります。第2に、構造を作る必要があります。経済的な構造が必要です。法的な構造が必要です。物理的な構造が必要です。そのため余計にコストがかかることになります。第3に、組織の構築というのは本質的に排他的であるということです。写真を持つすべての人を集められはしません。1つの会社で全員雇うのは無理です。1つの政府機関で全員雇うこともできません。ある人々は取り落とすことになります。第4に、この選り分けの結果として、プロの集団が形成されることになります。 ここで生じた変化に注意してください。写真を持っている人から写真家へと変わっているのです。マーメイドパレードなりなんなりの写真を撮ることを目的とした、写真のプロの集団が作られたのです。

インフラに協力を組み込むなら、これはFlickr の方法だったわけですが、人々のあり方を変えることなく、問題を人の方に引き寄せることができます。人の方を動かすのではなく。グループ内で協調し、組織化に伴う問題は抜きに、同じ結果を得ることができるのです。組織の持つ命令系統は失われます。人々が自発的に行う作業を取り仕切る権利はありません。しかし同時に組織化のコストもなくすことができ、それによって大きな自由度が得られます。Flickr がしたのは、計画を協調に置き換えるということです。これは協力的なシステムに一般的に見られる側面です。

あなた方自身も携帯電話を手にしたときに、同じことを経験しているはずです。予定を決めずに、ただこう言うのです。「着いたら電話するよ」、「仕事が終わったら電話して」。これは個人対個人における、計画の協調への置き換えです。私たちは今やこれをグループの中で行うことができます。「前もって計画を立てる必要がある」、「Wikipediaの5カ年計画を策定しよう」などと言う代わりに、単にこう言えるのです。「グループの作業を協調させて進みながら舵取りしていこう。十分協調できてるし、何をするかあらかじめ決めなくてもいいよね」

別な例を挙げましょう。もう少し陰気な話です。Flickr で“Iraq”とタグ付けされた写真です。マーメイドパレードで難しかった協調コストの問題は、いっそう難しくなります。より多くの写真があり、より多くの撮影者がおり、地理的により広い範囲で、より長い期間にわたって写真が撮られています。そして何よりこのスライドにある数字、1人あたり10枚というのは嘘だということです。数学的には正しいのですが、それには大した意味はありません。このようなシステムにおいては、平均にはあまり意味がないのです。

Power Law意味があるのはこれです。これはIraq とタグ付けされた5,445 枚の写真を撮った529人をグラフにしたものです。撮った写真の枚数の順に並べてあります。この端っこの、一番多く撮っている人は約350 枚撮っており、100 枚以上撮っている人が数人います。それから何十枚か撮っている人が数十人。この辺にくると10 枚以下の人たちで、それから平たくて長いしっぽがあります。真ん中あたりより先では1 枚しか写真のない人が何百人も続いています。

これは冪乗則と呼ばれるものです。制約のない社会的システムにおいてよく見られます。人々が好きなだけ多くも少なくも貢献できる場合、このようなことになります。冪乗則の数学的な性質は、n 番目の位置では値が1 番目のn 分の1 になるということです。だから10 番目にたくさん撮っている人は1 番の人の10 分の1、100 番目の人は1 番の人の100 分の1 ということになります。曲線の先頭部分の傾き具合は多少変わるにしても、この性質によって、急な傾斜と平たくて長いしっぽができることになります。

面白いのは、このようなシステムは大きくなっても収束しないということです。もっと発散することになります。大きなシステムでは、頭はより大きく、しっぽはより長く、アンバランスの度合いが大きくなるのです。この曲線は見ての通り左に大きく偏っています。どれくらい偏っているかというと、上位10 パーセントの人が全体の4 分の3 の写真を撮っています。上位10 パーセントだけでです。上位5 パーセントの人だけでも60 パーセントになります。上位1 パーセントの人だけを取って、あとの99 パーセントを捨てたとしても、4 分の1 近くの写真が残ります。この左側への偏りのため、平均は実際この辺、ずっと左の方になります。これは変に思えるかもしれませんが、しかし実際 8 割の人が平均未満なのです。これが奇妙に思えるのは、私たちは平均というのは真ん中あたりにあるものだと思っているからです。

これが80/20 の法則の裏にある数学なのです。80/20 の法則について耳にしたら、それはこういうことなのです。20% の商品が80% の収入をもたらしている。20% のユーザが80% のリソースを使っている。彼らが話しているのはこのグラフの形なのです。組織が持つツールは2 つだけ、アメとムチです。そして80 パーセントの部分にはアメもムチも使えません。組織を運営するためのコストは、これらの人たちの貢献が組織という枠組みにおいては容易に手にできないことを意味します。組織のモデルは、いつでも左側の人たちをスタッフにするという形を取ります。組織の考え方は、10 パーセントを雇えば75 パーセントの結果は得られる、というものです。素晴らしい。私でもそうするでしょう。一方協力のインフラのモデルでは、どうして25 パーセントを捨ててしまうの? と問います。価値の4 分の1 をあきらめなければならないようなシステムなら、作り替えるべきだと。それらの人々の貢献を得る妨げとなるコストを避けて、誰もが好きなだけ貢献できるシステムを作ろう。

Bad Day At Workだから協調の文脈で問われるのは、その人たちがスタッフとしてどうかではなく、彼らの貢献自体の価値なのです。Psycho Milt というFlickr ユーザがいて、Iraq というタグの写真を1 枚だけ撮っています。その写真がこれです。「ひどい一日」というタイトルです。問うべきは、この写真を欲しいかどうかということです。Psycho Milt は雇うべきか否かということではありません。

「実現するもの」としての組織と、「障害になるもの」としての組織の間に、緊張関係があります。この分布の左側の端だけ扱うなら、こちらで望むものをたくさん作ろうと多くの時間を費やす人々を相手にするなら、「実現するもの」としての組織です。そういった人々をスタッフとして雇い、彼らの仕事を協調させ、結果を手にすることができます。しかしPsycho Milt のいるあたり、1 枚の写真しか提供しない人たちのところでは、組織は障害になります。

組織は障害呼ばわりされるのを嫌います。問題を組織化によって解こうとするなら、名目上の目的が何だったのであれ、組織の第一の目的は自己保存へと速やかに移行します。そして組織の実際の目的は 2 番目以降 ということになります。だから価値を巡って協調する方法は別にあり、組織は障害だと言われるとき、組織の反応はキューブラー=ロスの段階をたどることになります。(笑)  不治の病を宣告された人が示す、否認、怒り、取引、受容という反応です。企業システムの多くは「受容」の段階に至るほど長くは存続しないもののようです。

多くの組織は「否認」の段階に留まります。しかし最近は「怒り」や「取引」もよく見かけます。今まさに進行中の素晴らしい例があります。フランスでは、自動車の相乗りをしている人たちをバス会社が訴えています。彼らが協力して価値を生み出すのが、会社の利益を損なっているというのです。ガーディアン紙のサイトで詳しく読めます。すごく楽しめますよ。

より大きな問題は、このしっぽの価値はどうしたらいいのかということです。どうやって手に入れるか?  組織はそれを手にすることができません。Microsoft のCEO スティーブ バルマーは何年か前Linux を批判して言っていました。Linux に貢献する何千というプログラマがいるなんてまやかしだ。Linux に貢献している人間を調べてみたら、多くのパッチは貢献がそれ1 つしかないプログラマによって作られている。彼が不平を言っているのはこの分布なのです。彼にはまずいアイデアに見えるのも理解できます。雇った人間が会社のコーラを飲みテーブルサッカーをするばかり、たった1つの仕事しかしていない。(笑)  雇って損した。(笑)

Psycho Milt について問うべきは、その貢献が良いものかどうかということです。それがセキュリティパッチなら?  Windows にもあるバッファオーバーフロー脆弱性へのセキュリティパッチだとしたら?  そのパッチを欲しいのでは?  1 人のプログラマが、組織と雇用関係を結ぶことなく、Linux をただ1 度改善して2 度と現れないとしたら、それをバルマーは恐れるはずです。そのような価値は従来的な組織の枠組みでは得られないからです。しかしオープンソースやファイル共有や Wikipedia のような 協力的システムにおいては可能なのです。Flickr の例ばかり挙げましたが、実際このような話は他にもいろいろあります。

Meetup というサービスがあります。ユーザが同じ地域にいる趣味や関心を共有する人を見つけ、カフェやパブなどで実際に会えるようにするサービスです。スコット・ハイファマンがMeetup を作ったときには、鉄道マニアや愛猫家のことを考えていました。昔からある趣味のグループです。発明家は自らの発明を知らないものです。Meetup で都市数、支部数、メンバー数が最大で、最も活発なグループが何かお分りになりますか?  専業主婦グループ(Stay At Home Moms)です。郊外化し共働きが一般的なアメリカにおいて、かつては大家族やご近所といったものによって得られていた社会的つながりを専業主婦は失っています。だからこのツールを使って それを再生しているのです。Meetup はプラットフォームですが、ここで価値があるのは社会的な基盤です。世界を変えるテクノロジーが何か知りたければ、13 歳の男の子に目を向けるのではなく、若い母親たちに目を向けることです。あの人たちは実質的に生活を改善しないようなテクノロジーは、ちっとも支持しませんから。これは派手さはありませんが、Xbox なんかよりずっと重要なのです。

これは革命だと思います。これは人間関係を調整する方法における根本的な変化だと思います。私はこの言葉を十分考えた上で使っています。これは均衡を破るであろう革命なのです。これは物事をする全く新しい方法ですが、新たな欠点も持っています。アメリカでは現在ジュディス・ミラーという女性が、連邦大陪審に情報源を明かさなかったかどで投獄されています。ニューヨークタイムズ紙の記者で、とても難解で追跡困難な事件の情報源を隠しています。ジャーナリストたちが守秘権法を改善しようと路上で運動しています。守秘権法は、実際は州法の継ぎ合わせなのですが、ジャーナリストが情報源の開示を避けられるようにするための法律です。しかしブログの興隆を背景として、今回のことが起きました。ブログはマスアマチュア化の代表例であり、情報の発信を非プロ化しました。自分の考えを今日世界に発信したいと思ったらどうしますか?  ボタン1 つで無料で行うことができます。これは出版におけるプロ階級をマスアマチュア階級へと引きずり下ろすことになりました。そのため守秘権法は、我々が望むにもかかわらず、真実を語るプロ階級を望んでいるというのに、ますます一貫性を欠くようになっており、それは組織が一貫性を欠いているためです。アメリカには現在問題に取り組む人々、ブロガーはジャーナリストなのか明らかにしようとする人々がいます。そしてその答えは何かというと、それは問題ではないということです。質問が正しくないのです。ジャーナリズムはより重要な質問、いかにして社会に情報を知らしめるかという問いへの答えでした。社会はアイデアや意見をいかにして共有するのか?  それに対する答えがジャーナリズムのプロという枠組みの外にあるなら、この広く分布する階級がプロと言えるか問うたところで意味がありません。だから私たちは守秘権法を求めていますが、彼らが結びついている組織の方は一貫性を失っていくのです。

Pro-anaもう1 つの例を挙げましょう。Pro-ana というグループです。これはティーンの女の子のグループで、ブログや掲示板やその他の協力のインフラで活動しており、自らの意志で拒食症になろうとする人の支援グループをそこに作り上げています。彼らは痩せたモデルの写真を投稿し、それを“Thinspiration”と呼んでいます。「飢えこそ救い」のようなスローガンを掲げています。ランス・アームストロングみたいなブレスレットさえあって、その赤いブレスレットはこの小さなグループの中で「摂食障害を維持しようと努めています」という宣言になります。彼らはまた、コツを教えあっています。たとえば「何か食べたくなったらトイレや猫用トイレの掃除をするといいよ。食欲がなくなるから」

支援グループというのは良いものだと私たちは思っていました。支援グループは本質的に良いものなのだと。しかし支援グループそのものは、価値に関してニュートラルなのです。支援グループというのは大きなグループの中にあって、ある生き方を維持しようと望む小さなグループというにすぎません。大きなグループが酒飲みの集団で、小さなグループがしらふでいたい人々であるなら、それは素晴らしい支援グループでしょう。しかし自ら拒食症になろうとするティーンの女の子たちにはショックを受けます。私たちが馴染んでいるかつての支援グループの掲げる目的というのは、それを支える組織が決めたものであって、インフラからきたものではありません。インフラが一般に利用可能となったとき、支援グループの仕組みは誰にでも、あのような目的を追求する人々にも、手の届くものとなるのです。

Social Mapだからこれらの変化には良い面もれば、深刻な問題点もあるということです。現在の状況においては、国際関係に影響を与え、利用しようとする反アメリカ活動家の行動については、軽くほのめかすに止める必要がありますが、これは 9.11 テロ実行犯と関係者のソーシャルマップです。こういった多くのツールを使ったコミュニケーションのパターンを解析し、作られたものです。世界の諜報機関が先週のテロに関して同じ作業を今しているだろうことは間違いありません。

さて、これらの結果として何が起きるのか語るべき部分まで来ましたが、時間がなくなってしまいました。でもかまいません。私は答えを知らないからです。(笑)  印刷機と同じように、これがもし本当に革命であるなら、ポイントA からポイントB へというようには推移しません。ポイントA から混乱状態へと推移するのです。印刷機は200 年に及ぶ混乱状態を引き起こしました。カトリック教会によって政治的な力に秩序が与えられていたところから、ウェストファリア条約が結ばれ、国家という新たな単位が見いだされるまでの間です。

今度もまた200 年の混乱状態が起きるとは言いません。今後50 年の間、緩く協調したグループがより大きなレバレッジを得て、何が起こるか前もって捉えるとか、利益上の動機といった点で伝統的組織の命令系統の上を行くようになり、さらにレバレッジを得るでしょう。組織はますます大きなプレッシャーを受けるようになり、厳格に管理され、情報の独占に依存したところほど大きなプレッシャーを受けることになるでしょう。そういうことが 1 つひとつの領域ごと、組織ごとに起きていきます。力は普遍的なものですが、結果は個別的に現れます。

だから要は「これはすばらしい」ということでも、「組織だけの世界から協力だけの世界への移行を目にするだろう」ということでもありません。もっと込み入ったものになります。しかし重要なのは、それが大きな再編成になるということです。それがやってくるだろうことが分かっているわけですから、備えておいてはいかがでしょうか。ご静聴ありがとうございました。(拍手)

 

[これはTED公式日本語訳です。翻訳をレビューしていただいた水谷夏彦氏に感謝します。]

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オリジナル:  Clay Shirky on institutions vs. collaboration

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