子供を起業家に育てよう (TED Talks)

Cameron Herold / 青木靖 訳
2010年3月

私はきっとこの場で一番頭が悪い人間だろうと思います。私は学校を終えることもできませんでした。でも私が幼い頃から分かっていたのは、自分がお金と、ビジネスと、起業というやつが好きだということです。それに私は家で起業家として育てられました。小さな頃からずっと夢中でした……このことは最近まで誰にも話したことがなかったので、妻を別にすると、皆さんがこの話を聞く最初の人ということになります。妻には3日前に「TEDでは何の話をするの?」と聞かれて話しました。それで言ったのは、起業家の資質を持った子供を見つけて仕込んでやり、起業家になるのは素晴しいと教える機会を私たちが欠いているということです。起業家は悪いものでも貶されるべきものでもないのに、多くの社会ではそんな扱いを受けています。

子供は成長していく中で夢を持っているものです。情熱とビジョンを持っています。しかしそれがどこかで潰されてしまうのです。そしてもっと熱心に勉強しろとか、集中しろとか、家庭教師から習えとか言われます。両親は私にフランス語の先生を付けましたが、フランス語は今でも全然駄目です。2年前、私はMITの起業家マスタープログラムで一番評価の高い講師に選ばれました。世界中の起業家たちを前に話すイベントでのことです。私は2年生のとき、市のスピーチコンテストで優勝しました。しかし誰も、「この子はスピーチがうまいじゃないか。落ち着きがないけど、活発で、みんなに元気を分けてくれる」とは言いません。「スピーチの先生を付けよう」とは言いません。代わりに私が全然駄目なことを習わせたのです。

子供はそういった資質を示すのですから、私たちは気付いてやる必要があります。私たちは子供を弁護士よりも起業家になるよう育てるべきだと思います。しかし教育に当たる学校システムは、「さあ弁護士になろう」とか、「医者になろう」と言っています。「さあ起業家になろう」とは誰も言わず、チャンスを逸しているのです。起業家というのは……この場にはたくさんいますが……アイデアと情熱を持ち、世界の中にある必要に目を向け、立ち上がってそれを解決しようとする人です。そして様々なリスクを負いながら、何かを実現しようとする人です。そして夢をいっしょに実現したいと思う人たちを引き付ける力も持っています。子供たちが早い時期から起業家になるよう励まされていたなら、今日世界で問題になっているあらゆることが違っていただろうと思います。どんな問題に対しても誰かアイデアを持った人はいるものだからです。そして小さな子供にそんなの出来っこないよとは、誰にも言えないのです。自分が馬鹿で、分からなかったというだけなのですから。

私たちには親として、社会として、義務があります。子供に魚を与える代わりに、釣りの仕方を教え始めるべきです。「魚を与えればその人は一日の糧を得、魚の釣り方を教えればその人は一生の糧を得る」のです。起業家になる方法を子供たちに教えられたら? その資質がある子供にです。ちょうど科学の才能がある子供を科学の道へと導くように、起業家の資質を示す子供に起業家になる方法を教えるのです。その子たちは政府の施しを待つ代わりに、みんな会社を起こすようになるかもしれません。

私たちは教室で子供たちにすべきでないことを教えています。叩かない、噛み付かない、汚い言葉を使わない。私たちが子供たちに教えているのは、良い仕事を得る方法です。学校システムが子供に勧めるのは、医者や、弁護士や、会計士や、歯医者や、教師や、パイロットになることです。そしてメディアは、モデルや、歌手や、シドニー・クロスビーみたいなスポーツ選手になるのがカッコイイと言っています。

MBAプログラムは起業家になる方法を教えていません。私がMBAを取ろうとしなかったのは……高校での平均点が61では入れる大学がカナダではカールトンくらいしかなかったというのを別にすればですが……MBAプログラムでは起業家になる方法を学べないからです。MBAで教わるのは会社の中で働く方法です。では誰がその会社を始めるのか? 一握りの雑多な人たちです。文学の世界においてすら、私の知る限り……この本はきっと皆さん読まれていると思いますが……起業家がヒーローとして描かれている唯一の本は『肩をすくめるアトラス』です。それ以外の本では、起業家は悪人のように描かれています。

私自身の家族について言えば、祖父は2人とも起業家で、父も起業家でした。兄弟は3人とも会社を持っています。そして私たちが起業した理由は、自分に合う場所がそこしかなかったからです。強情さやそのほかの性質のために、他人の下で働くということが私達には出来なかったのです。

そういう子供でも起業家にはなり得るのです。私は2つの世界的な組織に属しています。「起業家機構」と「YPO」(若手経営者ネットワーク)です。私はちょうどバルセロナであったYPOの世界会議で講演をして戻ってきたばかりです。そこで会った人はみんな学校では苦しんでいた起業家たちです。私は注意力欠如障害の症状19個のうち18個があると診断されました。(幾何学的なオブジェを指して) こういうのを見るとぞっとします。(笑) たぶん今パニックを起こしかけているのはこれのせいですね。たっぷり取ったカフェインと砂糖を別にすると。起業家タイプには本当にぞっとするものです。注意力欠如障害に躁鬱病。躁鬱病が「CEOの病」とあだ名されているのはご存じですか? テッド・ターナーもそう、スティーブ・ジョブズもそう、Netscapeの創業者は3人ともそうです。例ならいくらでも挙げられます。子供たちにそういう兆候があったときに私たちがしているのは、リタリンを投与して「起業家タイプになんかなるな」と言うことです。「まわりに合わせて、良い学生になりなさい」と。

起業家というのは良い学生ではありません。裏技を見つけてゲームを攻略します。私はレポートを盗作し、試験ではカンニングしました。大学の会計学の宿題を13回連続で他の学生にお金を払ってやってもらっていました。起業家は会計を自分でせずに会計士を雇います。だから早めにそうしたというだけのことです。(笑) (拍手) 私は大学でズルをしたと打ち明けられますが、皆さんは違うでしょう。それからまた、私が教科書の著者に話した内容が、今ではカナダ中の大学で使われている教科書に載っているのです。管理会計の第8章の始めで予算作成の話をしています。インタビューの後に、私はまさにその授業でズルをしていたことを話しました。その著者はそれがカットしてしまうには面白すぎると思ったようです。

子供たちの中にそういう兆候が見つかります。起業家の定義とは、「リスクを理解しつつ投機的事業を組織し、運営する人」です。MBAを出ている必要はないのです。大学を卒業している必要もありません。ただそれが自分のすべきことだと心の底から思っていれば足りるのです。良く聞かれるのは、才能か環境かということです。1ですか2ですか? どちらでしょう? どちらというわけではなく、両方というのが答えでしょう。私は起業家として育てられました。子供の頃の私に選択肢はありませんでした。すごく小さな頃から教え込まれたからです。父は私が学校で教えていることには何も向いていないとわかると、商売を教えることにしたのです。父は私たち兄弟3人を、職に就くことを嫌い、自分で会社を作って人を雇おうと思う人間に育てました。

私がやった最初の事業は、7歳でウィニペグでのことです。部屋に長い延長コードを引き込んで、町中のクリーニング屋に電話をかけ、ハンガーに幾ら出してくれるか聞いていました。母が部屋に入ってきて尋ねました。「ハンガーをどこから手に入れるつもり?」 私は 「地下室に来て」と言って下に降りていき、押し入れを開けました。そこには私が集めたハンガーが千本くらいもありました。他の子たちと遊びに行くと言いながら、私は近所の家を回ってハンガーを集め、売るために地下室にため込んでいたのです。何週間か前に、お金に換えられると知ったためです。普通は1本2セントでした。ハンガーならたくさんあるから集めてみようと思いました。ハンガーを集め回ったりしたら母が嫌な顔をすると思って、そんな風にしていたのでした。物事は交渉できるということをこの時に学びました。3セントと言う相手に、3.5セントに引き上げさせたのです。7歳にして少数の値段を付けられるということも理解していました。何倍かすれば、それでも払うことができるのだと、7歳児が気付いていたのです。1本3.5セントで千本のハンガーを売りました。

ナンバープレートカバーを戸別訪問して売りました。父がそれを卸してくれる人を私に探させたのです。9歳の時で、サドベリーの町を歩き回り、一軒一軒訪ねてナンバープレートカバーを売りました。あるお客のことをとても良く覚えています。私は他のものも売っていました。新聞も売りましたが、その人は私から新聞を買ったことがありませんでした。それでどうしてもナンバープレートカバーを売ってやろうという気になっていました。その人は「必要ないよ」と言います。私は「でも車を2台お持ちですよね…」と。9歳の子供がです。「車が2台あって、ナンバープレートカバーが付いてません」。彼は「分かってる」と。「こっちのはプレートがクシャクシャになってますよ」。「ああ、妻のだからな」。「じゃあ奥さんの車の前にだけ付けてみて、長持ちするか試してみてはいかがですか?」 2台車があって、それぞれにナンバープレートが2つあります。4つは駄目でも、1つだけなら買ってもらえるかもしれない。子供の時に学んだのです。

コミックの鞘取りもしました。10歳のときで、ジョージア湾の別荘でコミックブックを売っていました。自転車でビーチの一方の側に行き、貧しい子からコミックを買い取りました。それからビーチの別な側に行って、金持ちの子にそれを売りました。私には当たり前なことでした。安く買って高く売る。お金と需要を持った人を見つけるのです。お金のない貧乏な子ではなく、金持ちの子に売ってお金を頂く。私には当たり前なことでした。不景気な時期でしたが、不景気でもアメリカ経済には13兆ドルものお金が巡っているのです。稼ぎどころはある。私はそのことを子供の頃に学びました。もう1つ、出所を明かさないということも学びました。それを4週間くらい続けた後、コミックの入手元が金持ちの子にバレてぼこぼこにされました。高いお金を払わされていたのが気に食わなかったようです。

10歳のときに新聞配達をやらされました。本当はやりたくなかったのですが、「次にやる商売はこれだ」と父に言われたのです。1人分だけでなく2人分の仕事を請け負って、半分は誰か雇ってやらせるようにと。お金が手に入るのはチップを集めるときです。だから私はチップを集めることにしました。全部の集金をするのです。相方の方は新聞を配達するだけです。そうすれば儲かると気付いたのです。この時点で、もう私がどこかの社員になる可能性は消えました。(笑)

父は自動車修理工場を持っていました。古い自動車の部品が散乱していました。真鍮や銅の廃品がありました。それで何をするのかと聞くと捨てると言います。「お金を出す人がいるかも」。「どうかな」。私が10歳だったことを思い出してください。34年前、私はそこに可能性を見出したのです。ゴミの中にお金を見たのです。私は自転車で行ける範囲内にある自動車工場を回って廃品を集めました。土曜日に金属スクラップ回収業者へ父に車で乗せていってもらい、お金に換えました。すごくいかしていると思いました。奇妙なことに、30年後 私たちは「1-800-GOT-JUNK?」という廃品回収会社を立ち上げることになりました。

11歳のときにカブスカウトで、母の日に贈るための小さな針刺しを作りました。洗濯物を物干し紐に留めるための木製の洗濯ばさみを使い、椅子の形をした小さな針刺しを作ったのです。縫い針を挿しておくことができます。昔はみんな裁縫をして針刺しを使っていたものです。私が気付いたのはオプションが必要だということです。それで私は茶色に塗ったやつをたくさん作りました。「おひとついかがですか?」と言う代わりに、「どっちの色が好きですか?」と聞くのです。10歳の子供相手にノーとは言いません。特に2つのオプションがある場合には。茶色か白か選べるんです。私はこの教訓を幼くして学びました。

手作業は最悪だということを学びました。芝生を刈るのは重労働です。夏の間中、近所の芝生という芝生を刈ってお金をもらっていました。そして一人の顧客から得られる継続収入はすごいということに気付きました。一度顧客を手にしたら、その人から毎週収入が得られるのです。それは洗濯ばさみ細工を1個ずつ売ろうとするよりずっといいです。洗濯ばさみ細工は1つしか売れませんから。継続収入形態は素晴しいということを小さな時に学んだのです。

私はそのように育てられました。雇われ人にはなれません。私はゴルフコースに行ってキャディをしようと思いました。そのゴルフコースには13番ホールのところに大きな丘があって、みんなゴルフバッグを担ぎ上げるのに苦労していました。私はそこに折りたたみ椅子で陣取って、キャディのいない人のためにバッグを運んでやりました。上までバッグを運んで1ドルもらいます。一方で私の友達は5時間ずっと誰かのバッグを運んで10ドルもらっていました。「5時間も働かなきゃならないなんて馬鹿みたいだ」と思いました。もっと早くお金になる方法を見つけるべきなのです。

毎週私は角の店に行ってジュースをたくさん買い込み、ブリッジをしている70歳のおばあちゃんたちに届けることにしました。彼女たちはその後毎週注文してくれるようになりました。私はジュースを届け、2倍の値段を付けました。市場を押えたのです。契約は必要ありません。需要と供給があり、自分を気に入ってくれる客がいればいいのです。彼女たちは私のことを気に入ってくれていたので、他所から買うことはないと分かっていました。

ゴルフコースでボール拾いをしました。他の人はみんな藪とか溝の中を探します。私は彼らを出し抜きました。ボールはみんな池の中にあったのですが、池に入る人は誰もいなかったのです。それで私は池に入って、つま先でボールを拾い上げました。両方の足を使って拾い上げるのです。ステージ上ではちょっとできませんけど。ボールを見つけたら水着のトランクスの中に放り込み、終わる頃には200個も溜まっていました。問題はみんな古いゴルフボールは欲しがらないということです。それでパッケージを作りました。12歳の時です。3種類のパッケージを用意しました。「ピナクル」とか「DDH」のような当時の一流品は1個2ドルで売りました。それからきれいなやつは1個50セントにしました。汚いやつは練習用として50個まとめて売りました。

中学のときには、学校中の人にサングラスを売りました。友達みんなから始終お金を取ろうとしているわけですから煙たがられましたけど、お金にはなりました。すごくたくさんのサングラスを売りました。それから学校に禁止されました。職員室に呼び出されて、もうやめろと言われたのです。それで私はガソリンスタンドに行って、彼らが客に売るためのサングラスをたくさん売りました。販路を手に入れたわけです。14の時だったと思います。

カールトン大の最初の年の学費は、ワイン用の革袋を売って稼ぎ出しました。ラム酒の40オンス瓶や、コーラが2本分入ります。何に使うか分かりますか? ズボンに忍ばせておけば、フットボールの試合のときにタダで酒盛りができるので、みんな買ってくれました。需要と供給、大きなチャンス。私はブランド化も図って、大学のロゴを入れたのを5倍の値段で売りました。

子供たちにゲームを買う代わりに、起業家の素質がある子供には、素質を伸ばせるようなゲームを与えてはどうでしょう? お金を無駄にしないことを教えるのです。バンフで 道の真ん中へ行けと言われた時のことをよく覚えています。私が1ペンスを道に投げたので、父が言ったのです。「拾ってこい。働いて得た金だ。1ペンスたりとも無駄にするな」。私はこの教訓を今日まで心に刻んでいます。

お小遣いは子供に悪い習慣を与えます。お小遣いというのは雇われ人になるよう教えることになります。起業家なら定期収入を期待すべきではありません。お小遣いは、子供に小さな頃から定期収入を期待するようにさせます。起業家を育てたければ、これは間違っています。私には9歳と7歳の子供がいますが、家や庭を見て回り、何かできることがないか探すように教えています。見つけたら子供たちは私のところに言いに来ます。あるいは私の方から「これをやって欲しい」と言うこともあります。それから何をすると思いますか? 価格交渉です。子供たちは仕事内容を理解して、その仕事を幾らでするか交渉するのです。子供たちに定期収入はありませんが、たくさんの仕事を見つける機会があります。交渉のスキルを学び、機会を見つけるスキルを学んでいます。そういう能力を育てるのです。

子供たちは貯金箱を2つ持っています。稼いだりもらったりしたお金の半分は家用口座に、半分はオモチャ用口座に入れます。オモチャ用口座のお金は好きなように使えます。家用口座のお金は 6ヶ月ごとに、銀行へいっしょに預けに行きます。それから毎年銀行のお金を株式仲介人に預託しています。9歳と7歳の子供が既に株式投資しているのです。そうやって貯蓄の習慣を身につけさせます。30歳の人が「そろそろ年金のこと考えたほうがいいかな」などと言うのを聞くと頭がおかしくなりそうです。25年も何をしていたんでしょうか。そういう習慣は、不安を感じ始める前に、小さな子供の時に教えることができるのです。

子供に毎晩お話を読み聞かせないで、週に4日だけお話を読み聞かせ、あとの3日は子供たちにお話をさせることです。いっしょに座って、何か4つのもの、例えば赤シャツと、青いネクタイと、カンガルーと、ノートPCを挙げて、その4つのものを入れたお話を作らせるのです。私の子供たちはいつもやっています。これで売り込みを学べ、創作を学べます。自分で考えることを学べます。そういったことを楽しみながらできるのです。

子供たちには人前で話をさせることです。友達の前に立って劇をしたりスピーチをするというのでも構いません。これは育てるべき起業家のスキルです。悪い顧客サービスや悪い社員が何か教えることです。愛想の悪い社員をそれと示すことです。態度の悪い顧客サービスに出会ったら、「これは悪い社員の例だからね」と教えましょう。それから「これが良い社員の例だよ」と (絵に描いたような美男美女の社員が笑顔で拍手している写真)。レストランに行ってサービスがひどかったら、まずいカスタマサービスについて教えてやれます (レストランのテーブルにケチャップで「30分待っても何も来なかったぞ」と書かれた写真)。目の前にたくさんの教訓があるというのに、みんなその機会を生かさず、代わりに家庭教師を付けて教育しているのです。

大きくなった子供たちにはいらなくなった家にある2年前のガラクタを集めて、「これをCraigslistやキジジで売ってみようか?」と言ってみましょう。売るという体験から、メールが来たときに詐欺師を見分ける方法を学べます。そういうのが現れるでしょうから。値段の決め方、値段の見当の付け方、写真のアップの仕方を学べます。そういうやり方やお金の稼ぎ方を教えるのです。お金が手に入ったら、50%は家用口座に、50%はオモチャ用口座に入れます。子供たちは喜んでそうします。

子供たちに育てるべき起業家の資質には、達成、粘り強さ、リーダーシップ、内省、相互依存、価値観などがあります。これらの資質は小さな子供にも見られ、伸ばせるよう手助けできます。そういったものに注意してください。それから壊さないように注意してほしい資質があります。注意力欠如障害の子を薬漬けにしないでください。どうしようもなく酷いのでもない限りは。(拍手)  躁病や緊張や抑鬱も、症状がよほど酷くない限りはそうです。躁鬱病は「CEOの病」とあだ名されています。スティーブ・ジャーベソン、ジム・クラーク、ジム・バークスデールはみんな躁鬱病ですがNetscapeを作ったのです。彼らがリタリンを投与されていたらどうなっていたか考えてみてください。アル・ゴアが本当にインターネットを作っていたかもしれません。(笑)

起業家のスキルは、その他のことと同様に教室で教えるべきです。子供を弁護士なんかにするなと言っているわけではありません。ただ起業家というのも、他のものと同じように扱ってほしいということです。そこにはものすごい可能性があるのですから。

最後に短いビデオをお見せして終わりにしたいと思います。私がアドバイスをしている会社が作ったビデオです。Grasshopperという会社です。子供と起業をテーマにしています。これに刺激を受けて、私から聞いた話を生かし、世界を変える何かをしていただけたらと思います。

(ビデオ映像) 子供の頃…何だってできると思っていた? 今でもできるんだよ。不可能だと思うことの多くは、実は簡単に乗り越えられる。気付かなかったかもしれないけど、私たちが住んでいるのは、1人の人間が違いを生み出せる世界なのだから。証拠が欲しい? この国を作った人たち、両親、祖父母、叔父さん、叔母さん、彼らは移民で、一旗揚げようという新参者だった。ほんのわずかのものしか持たずにやってきて、もしかしたら持っていたのはただ1つ、素晴しいアイデアだけだったのかも。彼らは思想家とか、行動家とか、イノベーターと呼ばれていた。そう、相応しい名前が見つかるまでは…… 起 業 家! 彼らは何が可能かというみんなの意識を変える。生活をもっと良くできるというビジョンを示す。みんなのために、たとえ厳しい時であろうとも…。今は見通しが悪く、視界は障害に遮られているけど、社会の動揺はチャンスをも生み出す。成功や達成のチャンスがある。そして後押しをする…新しいやり方を見つけるようにと。何のためにどんなチャンスを追いかけるのか? 起業家なら、求めるべきものがリスクではないことを知っている。求めるべきものは、イノベーションを駆り立てること。人々の生活を変えること。仕事を生み出すこと。成長の力になること。そして、より良い世界を作り出すこと。起業家はあらゆるところにいる。小さな会社を回して経済を支えている。役に立つツールをデザインしている…友達や家族や世界中の仲間と繋がれるように。古くからの社会の問題を解決する新しい方法を見出している。誰か起業家を知っている? 誰だって起業家になれるんだ……君自身だって! ずっと望んでいた仕事を作る機会を掴もう。経済が癒える手助けをしよう。違いを生み出そう。自分の仕事を新たな高みに引き上げよう。でも一番大切なのは……子供の頃を思い出して、何にでも手が届いた時のことを。そして静かに、決然と自分に言おう。今だってそうなのだと。

どうもありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

[これはTED公式日本語訳です。翻訳をレビューしていただいた久島昌弘氏に感謝します。]

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オリジナル:  Cameron Herold: Let's raise kids to be entrepreneurs