ボディランゲージが人を作る (TED Talks)

Amy Cuddy / 青木靖 訳
2012年6月

皆さんにひとつ無料で技術不要の人生術をお教えしましょう。姿勢を2分間変えるだけでいいんです。ただその前に、自分の体を今どんな風にしているか確認していただきたいと思います。体を小さく縮こめている人はどれくらいいますか? 背中を丸める、脚を組む、足首を絡める、あるいは腕をしがみつくようにする。それから逆に体を大きく広げることもあります。(笑) やっている人いますね。(笑) 今自分がどんな風にしているかに注意を払ってください。後でその話をしますけど、それを少し変えるだけで人生を大きく変えられる可能性があるんです。私たちはボディランゲージに目を引かれます。特に他の人のボディランゲージに興味を引かれます。私たちは何かこういうぎこちないやり取りとか、笑顔とか、蔑んだ視線に関心を向けます。あるいはぎこちないウインクだとか、握手なんかもそうです。

(英米首脳会談の映像) 十番地に着きました。ラッキーな警官がアメリカ大統領と握手を交わします。それに英国首相とも・・・しません。(笑いと拍手)

握手するかしないかというだけのことが何週間も話題にされ、BBCやニューヨーク・タイムズまで取り上げます。ですからボディランゲージ、私たち社会科学者は「非言語行動」と呼んでいますが、それもまた一種の言葉、コミュニケーションなんです。コミュニケーションは人と人との交流です。相手のボディランゲージは自分に何を伝えているのか? 自分のボディランゲージは相手に何を伝えているのか? ボディランゲージをそのように見るのは妥当だと信ずべき理由がたくさんあります。ボディランゲージの効果や、それが人の判断にもたらす影響を、社会科学者は多くの時間をかけて研究してきました。人はボディランゲージから大まかな判断や推測をします。そしてその判断が人生において大きな意味を持つ場面、誰を採用し、誰を昇進させ、誰をデートに誘うかといったときに大きく影響するんです。

たとえばタフツ大学のナリニ・アンバディは、医者と患者の間の実際のやり取りを撮した30秒の無音のビデオを見ただけで、医者が訴えられることになるかどうかを、その医者の感じ良さから予想できることを示しました。医者の能力自体はあまり関係がなく、その人が好きかどうか、患者との接し方がどうかの方が大きいんです。

もっと劇的な例では、プリンストンのアレックス・トドロフは、候補者の顔を1秒見ての判断によって議員選や州知事選の結果を70%の精度で予測できることを示しました。

デジタルな世界でさえ、顔文字をうまく使うことでネット上での話を有利に進められます。でもまずい使い方をすると酷い結果にもなります。

私たちが他の人をどう判断し、他の人が私たちをどう判断するかに、非言語的な部分が影響するのは分かりますが、私たちが忘れがちなのは、自分の非言語行動に影響されるのは他人だけでなく自分もだということです。私たちの考えや感情や生理は、自分の非言語行動の影響を受けるのです。

どういった非言語行動を問題にしているのかですが、私は社会心理学者で、偏見の研究をしていて、競争意識の強いビジネススクールで教えています。そのため人の力関係に興味を持つようになりました。特に非言語的な力や支配の表現に関心があります。力や支配の非言語表現がどんなものかというと、こういうものです。動物の世界では体を広げます。自分を大きく見せ、体を伸ばし、広い空間を占めようとし、要は広げるというのが基本です。これは霊長類だけでなく、動物の世界に広く共通しています。人間もまた同じことをします。(ミック・ジャガーが腕を突き上げている写真——笑) これは力を持った人が絶えずしているという面もあれば、力を感じる瞬間にするという面もあります。これの特に興味深い点は、この力の表現がいかに古くからあって普遍的かということです。

この誇らしさの表現に関してはジェシカ・トレーシーによる研究があります。運動競技で勝ったときには、目の見える人も生まれつき盲目の人も、同じようにこのポーズをするのが分かりました。ゴールラインを切って勝利したとき、他の人がそうするのを見たことがあるかに関係なく、こんな風にするんです。腕をVの字に突き上げ、あごをやや前に突き出します。

一方で無力だと感じる時はどうでしょう? ちょうど逆のことをします。縮こまり、体を丸め、小さくなります。他の人と接触すまいとします。この場合も人と動物は同じようにします。

この写真は強い力と弱い力が一緒になった場合です。力に関して人は相手の非言語行動を補完しようとします。すごく力を持った人が一緒にいるとき、私たちは体を小さくします。同じようにではなく逆のことをするんです。

教室の中でこういう行動を観察していて気付くことがあります。MBAの学生の間では、多岐にわたる非言語的な力の表現が見られます。群れのボスを絵に描いたような人たちがいて、授業の始まるずっと前に教室に来てど真ん中に陣取ります。その場を支配しようとでも言うかのようです。そして席に座ると体を大きく広げます。手を挙げる時もこんな感じです(右腕をまっすぐ上に伸ばす)。教室に入ってくるとき萎縮しているように見える人もいます。顔にも体にも表れています。席に座り体を小さくします。手を挙げるときもこんな感じです(肘から上だけ挙げる)。

これについて気付くことが2つあります。1つは驚くことでもありませんが、性別に関係があるようだということです。女性は男性よりもこんな(ちぢこまった)姿勢を取りがちです。女性は概して男性より力がないと感じているので、驚くことでもないでしょう。でももう1つ気付くのは、どれほど積極的に授業に参加しているかにもある程度関係しているということです。これはMBAの教室では特に重要なことで、成績の半分は授業中の発言によって評価されるからです。ビジネススクールは男女間の成績のギャップという問題を抱えています。元々同じくらいの資質があっても男女で成績に差が付いてしまうんですが、これはある部分授業への参加姿勢によるものです。

だから私は考えるようになりました。授業に積極的に参加する(大きなポーズをして)こんな感じの学生がいますが、それを形だけでも真似したなら、もっと積極的に参加できるようになるのだろうか? バークレー校にいる共同研究者のデーナ・カーニーと私は、フリをしているうちにできるようになるものなのか知りたいと思いました。しばらくの間見かけを繕っていたら、実際に力強い行動をするようになるのだろうか? 他の人が自分をどう思いどう感じるかは非言語行動による部分が大きいというのは分かっていて、沢山の証拠があります。私たちの疑問は、自分で自分のことをどう思いどう感じるかも、非言語行動に大きく依存するのかということです。そう思われる証拠がいくつかあります。たとえば私たちは楽しいときに笑います。でも割り箸を口にこんな風に挟んで無理に笑顔を作っても楽しい気持ちになります。両方向なんです。力についても同じで、力強く感じる時こんな風に大きく振る舞いがちですが、でも力に溢れたフリをするだけでも力強くなったように感じるんです。

それで2番目の疑問は、心が体に変化を及ぼすのは分かりますが、体もまた心に変化を及ぼすのかということです。この力強さの文脈において心と言うとき何を指しているのかというと、思考や感覚、それに思考や感覚を生み出すある種の生理的なもの、私の場合は特にホルモンに注目しています。

力溢れる心と無力な心というのはどんな風のものでしょう? 力溢れる人は、当然のこととして、より断定的で自信を持ち、楽天的です。運任せのゲームにおいてさえ勝てると感じています。それにまた抽象的に考える傾向があります。よりリスクを取ります。力溢れる人と無力な人には多くの違いがあります。生理的にも、ある重要な2つのホルモンに違いが見られます。支配性のホルモンであるテストステロンと、ストレスのホルモンであるコルチゾールです。霊長類の群れの中で力を持つボスはテストステロンが多くコルチゾールが少ないですが、力強く有能なリーダーもまたテストステロンが多くコルチゾールが少ないのです。これは何を意味するのでしょう?

力について考えるときみんなテストステロンに目を向けます。何しろ支配性を司るものですから。しかし力というのはストレスへの反応にも現れます。支配的な力を持つテストステロン溢れるリーダーがストレスに過敏なことを期待するでしょうか? 違うでしょう。力強く、断定的、支配的であり、ストレスに動じないどっしりとした人を期待するはずです。霊長類の群れにおいてある個体が突然ボスの役割を引き継ぐことになったとき、数日内にその個体のテストステロンの値は大きく上昇し、コルチゾールの値は大きく下がります。だから少なくとも表面的なレベルで、体が心を形作りうるのと同様に、役割の変化も心を形作りうるという証拠があるわけです。

では役割の変化があると何が起きるのか? そういうことを些細な形でやったとき何が起きるのか? (仁王立ちになって)2分間この格好で立っていれば、力強く感じられるようになるのか? それでやってみました。研究室に人を集めてちょっとした実験をしたんです。みんなにそれぞれ力強いポーズか無力なポーズを2分間してもらいました。ポーズを5種類ずつ見ていただきましょう。これが1つ。さらに2つ。メディアに「ワンダーウーマンのポーズ」と紹介されました。さらにもう2つ。立ってやるのもあれば座ってやるのもあります。こちらは無力なポーズです。縮こまって体を小さくします。これは特に力の弱いポーズです。首に触るのは身を守ろうとしているのです。

実験の方法ですが、みんな集まったら小瓶に唾液を取ってもらい、2分間これかこれをやってくださいと言います。彼らにポーズの写真は見せません。力の概念を伝えたくないからです。力を感じてほしいのです。それで2分間これをやってもらい、それからいろいろな場面で「どれほど力強く感じるか」を聞きます。ギャンブルする機会を与え、それからまた唾液のサンプルを取ります。それで終了。そういう実験です。

分かったのはリスク耐性、今の場合ギャンブルですが、力強いポーズをした人は86%が賭に出ます。力の弱いポーズでは60%の人しかやらず、大きな違いが出ます。テストステロンについては、実験前の値を基準として、力強いポーズの人たちは20%増加し、力の弱いポーズの人は10%減少しました。ここでも2分間でこんな違いが出たのです。コルチゾールの方は、力強いポーズの人で25%の減少、力の弱いポーズでは15%増加しました。2分間のポーズがホルモンの変化をもたらし、脳の状態を変え、断定的で自信を持ち落ち着いた状態や、ストレスに弱い落ち込んだような状態になったのです。そういう感覚はみんな経験したことがありますよね?

そういうわけで、非言語行動は他人がどう見るかだけでなく、自分で自分のことをどう思い、どう感じるかも決めるのです。そして体は心に影響を及ぼします。

そこで次の疑問は、力のポーズを数分間することが、本当に人生を意味ある形で変えるのかです。やったのはあくまで実験室の中でのわずか数分のタスクでしたが、これは現実にどう応用できるのでしょう? そこがみんな関心のあるところですから。

それで私たちは考えて、これが使える状況は自分が値踏みされる状況、社会的な脅威を感じる状況だろうと思いました。たとえば友達からの評価、ランチの席でのティーンのような。ある人にとってそれは教育委員会でのスピーチや、売り込みをする時かもしれないし、このような講演か、あるいは就職面接かもしれません。多くの人が体験していて身近に感じるものとして、面接を私たちは選びました。 私たちがこの研究結果を公表すると、様々なメディアに取り上げられ、「では就職面接ではこうすべきなんですよね?」と言われました。(笑) 私たちは驚いて、違います、そういう意味じゃありませんと訂正しました。面接の場ではどうかこんなことしないでください。思い出してほしいのは、これは他の人へのメッセージというよりは自分へのメッセージだということです。就職面接に臨む前はどんな風にしているしょう? こんな風ですよね? 座って携帯をいじり、誰かを押しのけようなんてしません。手帳を見て、背を丸め、体を小さくします。でも本当はこんな風にしたほうがいいんです(両腕を上に突き上げる)。トイレにでも行って2分間やるんです。

これを実験しようと思い、研究室に人を集め、力強い、あるいは力のないポーズをした後にストレスの強い面接を受けてもらいました。5分間の面接をし、録画して、後で評価をします。面接官は非言語的フィードバックを与えないよう訓練されています。だからこんな感じです(無表情な男の写真)。こんな人に面接されるのを想像してください。5分間まったく無反応ですよ。詰問でもされた方がまだマシです。みんなこれを嫌います。マリアンヌ・ラフランスが言うところの「社会的流砂の中に立つ」状態です。コルチゾールが急増します。そういう面接を受けるときに何が起きるのかを知りたかったのです。

それからその録画テープを4人の人に見てもらいました。彼らは仮説のことも、実験の条件も知りません。誰がどのポーズをしたかも知りません。そして録画テープを見た後に「この人を採用したい」と彼らが言ったのは、みんな力のポーズを取った人でした。「あっちは採用したくない。全体としてこっちの人を高く評価する」と。何がそうさせているのか? 話す内容ではありません。その人が話す態度が重要なんです。私たちは能力を示す条件を評価していると思っています。「話はどれだけ筋道立っているか」「内容は良いか」「資質はあるか」。でもそういったものに効力はなく、態度こそ影響を与えるものなんです。基本的に面接では本当の自分が表れます。考えを述べるにしても、重要なのはその人を表すものとしてであって、言ったこと自体ではないのです。つまり、態度が効果を生み出し、効果を伝えるものだということです。

体が心に影響を及ぼし、心が行動に影響を及ぼし、行動が結果に影響を及ぼす、という話をすると、みんな「なんかフリをしているみたいだ」と言います。だから私は「できるまでフリをしなさい」と言うんですが、そんな風にしてまでやりたいとは思わない、ペテンみたいだ、ニセ者みたいに感じたくはない、そんな風にしても「自分はここにいるべき人間じゃない」と感じるだけだと言うのです。

これには個人的にすごく共感します。自分がニセ者で「ここにいるべき人間じゃない」と感じるのがどういうものか、私自身体験があるからです。私は19歳の時にひどい自動車事故に遭いました。車から放り出され、地面を何度も転がり、頭部外傷リハビリ病棟で目覚めました。大学も休学し、IQが標準偏差2個分も下がったのを知ってショックを受けました。自分のIQを知っていたのは、優れた頭脳を見出され、この子は天才だと言われていたからです。復学しようとずっと努力していましたが、みんなに言われました。「卒業は無理だよ。他にできることがきっとあるよ。大学に行ってもうまくいきっこない」。

すごく苦しみました。自分の核となるアイデンティティを奪われるということ、私の場合頭がいいということでしたが、それを奪われることほど無力に感じるものはありません。私はまったく無力に感じました。努力しては幸運を掴み、さらに努力するというのを繰り返し、ようやく大学を卒業できました。他の子たちより4年長くかかりました。そして私の擁護者であり指導教官であるスーザン・フィスクに受け入れられ、プリンストンに辿り着きましたが、「自分はここにいるべき人間じゃない」と感じていました。ニセ者です。プリンストンでは最初の年に、20人を前に20分のスピーチをするというのがあるんですが、そこで正体を晒すことになるのを恐れ、前の晩にスーザンに電話をして「辞めます」と伝えました。すると彼女は言いました。「あなたは辞めない。私はあなたに賭けたんだからいてもらう。あなたはここにいてやるべきことをやるの。できてるフリをしなさい。やるように言われた講演をすべてこなし、ひたすらやり続け、怖かろうが脚がすくもうが体外離脱を体験しようが、こう思えるようになるまで続けるのよ。“ああやれている! 本物になったんだ! ちゃんとやっている”」

たからそうしました。大学院に5年いて、最初ノースウェスタンに行き、それからハーバードに行きました。ハーバードにいく頃にはあまり考えなくなっていましたが、それまでずっと「自分はここにいるべき人間じゃない」と感じていたんです。ハーバードでの最初の年の終わりのことですが、それまで授業中に一言も発言しなかった学生がいたので、私は「ねえ授業にちゃんと参加しないと落第するよ」と言ってやったら、後でその子が部屋にやってきて、その子のことはそんなに知らなかったんですが、すっかり打ちひしがれた様子で、やってくると言ったんです。「私ここにいるべき人間じゃないんです」

この瞬間です。2つのことに気付きました。1つは、いつの間にかそんな風に感じなくなっていたこと。でも彼女はそう感じていて、それがどんなものか私は誰よりも知っていました。もう1つは、彼女はここにいるべきだということです。フリをしていれば本当にそうなれるんだと。だから言いました。「あんたはここにいるべき人間よ! 明日はできるフリをしなさい。力に溢れるフリを。そして教室に行って最高の意見を言うの」。

それでどうなったかというと、彼女は最高の意見を言って、みんな振り向いていました。「誰だろう? あんな子がいたのに気が付かなかった」(笑) 何ヶ月か経って彼女がまたやってきましたが、単にフリをしてやりおおせただけではなく、フリを続けて本当になったのが分かりました。彼女は変わったんです。だから皆さんに言いたいんです。フリをしてやり過ごすのではなく、フリを本物にしてくださいと。それが本当に自分のものになるまでやるんです。

最後にお伝えしたいのは、小さな変化が大きな違いに繋がるということです。たった2分間の積み重ねですが、この次ストレスを感じる評価される場面に臨むとき、やってみてください。エレベーターの中で、トイレの個室で、自分の部屋で、やってみてほしいんです。脳をその状況に最適な状態にし、テストステロンを上げ、コルチゾールを下げるんです。せっかくのチャンスに「自分らしさが出せなかった」なんて事にならないように。「自分がどんな人間か言ってやろう、見せてやろう」という気持ちになってください。そしてお願いしたいのは、力のポーズを試し、この科学を広めてください。すごく簡単なんですから。エゴで言っているのではありません。みんなに教え、共有してください。これが一番役立つのは、リソースも技術もステータスも力もない人たちです。1人でできるんですから。必要なのは自分の体と1人になれる2分間だけです。それが彼らの人生を大きく変えることになるはずです。ありがとうございました。 (スタンディングオベーション)

 

[これはTED公式日本語訳です。翻訳をレビューしていただいたEmi Kamiya氏に感謝します。]

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オリジナル:  Amy Cuddy: Your body language shapes who you are